アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

2021-04-01から1日間の記事一覧

岩波新書の書評(431)藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」

岩波新書の青、藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」(1968年)は、そのタイトルからして「おかげまいり」と「ええじゃないか」が等価の同量で等しく論じられているように思えるけれど、実はそうでない。本書では主に「おかげまいり」について…

岩波新書の書評(430)中村邦生「はじめての文学講義」

岩波ジュニア新書の中村邦生「はじめての文学講義」(2015年)は、渋谷教育学園渋谷中学高等学校にて(私は本新書を読むまで知らなかったが、本校は中学受験の世界では「渋渋」と略称され、都内の中高一貫校の中では有数の入学難関校であるという)、作家で…

岩波新書の書評(429)今井むつみ「英語独習法」

岩波新書の赤、今井むつみ「英語独習法」(2020年)だけを読むと気付かないかもしれないが、本新書は今井の旧著、同じ岩波新書の「ことばと思考」(2010年)と「学びとは何か」(2016年)の続編となっている。すなわち、「ことばと思考」と「学びとは何か」…

岩波新書の書評(428)渡辺金一「中世ローマ帝国」

中世ヨーロッパ史専攻で、なかでも東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に関する多くの論文や書籍や訳書を著している渡辺金一の岩波新書は、「中世ローマ帝国」(1980年)と「コンスタンティノープル千年」(1985年)の二冊がある。後出の「コンスタンティノープル…

岩波新書の書評(426)沢崎坦「馬は語る」

昔に旅行中、家から持ってきた書籍を旅の中途で全て読み尽くしてしまって、移動中や滞在先にて読む本が弾切れになり、旅先の現地で新しく読む本を仕入れようと思って、とある街の古書店に入った。もちろん、一見(いちげん)の知らない書店である。そのとき…

岩波新書の書評(425)鈴木大拙「禅と日本文化」

岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」(1940年)は戦中発行の旧赤版の岩波新書で、同時代の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下巻(1938年)と共に戦前の岩波新書の中で当時は相当に売れて広く読まれたらしい。鈴木大拙「禅と日本文化」と斎藤茂吉「万葉秀歌」は、…

岩波新書の書評(424)南博「日本的自我」

ある民族や国民について、その人々の集団の最大公約数的な共通性格や一般傾向を指摘して論ずる「××人論」という評論分野が昔からある。例えば「歴史があるイギリスの英国人は礼儀正しく、伝統を重んじて保守的である」とか、「ドイツの人はゲルマン民族の森…

岩波新書の書評(423)平松守彦「地方からの発想」

岩波新書の赤、平松守彦「地方からの発想」(1990年)は元大分県知事の平松守彦が知事在任中に著した書籍である。私は大分県出身の現在大分市在住なのだが、平松守彦が県知事退任の後、大分市中心街の老舗(しにせ)百貨店で私用で買い物している姿を一時期…

岩波新書の書評(422)阿波根昌鴻「米軍と農民」

岩波新書の青、阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)「米軍と農民」(1973年)は、私にはとても懐かしい書籍である。近年、本書は復刊されて容易に手に入り読めるが、昔は長い間、絶版品切れの入手困難でなかなか読めなかった。私が岩波新書の阿波根昌鴻「米…

岩波新書の書評(421)マイケル・ローゼン「尊厳」

岩波新書の赤、マイケル・ローゼン「尊厳」(2021年)の表紙カバー裏解説は次のようになっている。「 『尊厳』は⼈権⾔説の中⼼にある哲学的な難問だ。概念分析の導⼊として⻄洋古典の歴史に分け⼊り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、…

岩波新書の書評(420)吉田裕「アジア・太平洋戦争」(その2)

(前回からの続き)まずは太平洋戦争の日米開戦に至るまでの過程を以下の簡略な年表にて確認しておこう。1931年9月・柳条湖事件、満州事変(1931─33年) 1932年3月・満州国建国宣言 1933年3月・日本が国際連盟脱退を通告(※ドイツの国連脱退は1933年10月、イ…

岩波新書の書評(419)吉田裕「アジア・太平洋戦争」(その1)

最近、気になるのは、日本近代史に関し政治的・人道的な日本の問題には、それを「アメリカや中国らによる日本を不当におとしめる謀略の陰謀」と解釈して自国の日本の問題責任をどこまでも回避し、他方で歴史的に日本の国や日本人が優れていた点は過大に評価…

岩波新書の書評(418)土門拳「筑豊のこどもたち」「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(その2)

(前回からの続き)土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)には続編がある。「母のない姉妹」で筑豊の井之浦炭鉱で父親と妹さゆりちゃんと三人で暮らしていた、るみえちゃんのその後の写真である。タイトルは「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(1960年)。…

岩波新書の書評(417)土門拳「筑豊のこどもたち」(その1)

(今回から2回に渡り、写真家・土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」についての文章を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、土門拳「筑豊のこどもたち」は岩波新書ではありません。)土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)は、福岡…

岩波新書の書評(416)石井公成「東アジア仏教史」

紀元前四世紀から五世紀頃、インドにてガウタマ=シッダルタ(ブッダ、仏陀)が開いた仏教は、後にアショーカ王の保護を受けて発展し、アジアの各地に広がったが、前一世紀から二世紀にかけて中国・朝鮮・日本に伝わった、いわゆる「北伝仏教」は、ガウタマ…

岩波新書の書評(415)都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」

岩波新書の赤、都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」(2011年)は時折、定期的に読み返してみて「専門の研究者による一般読者へ向けての日本古代史研究に関する非常にサーヴィス精神に満ちた親切な語り下ろしの読み物」といった好感の思いが毎度、私はす…

岩波新書の書評(414)ジョン・ガンサー「死よ 驕るなかれ」

岩波新書の青、ジョン・ガンサー「死よ驕(おご)るなかれ」(1950年)は、アメリカのジャーナリストでノンフィクションライターでもあるジョン・ガンサーが記した、若くして10代で脳腫瘍で亡くなった息子、ジョニー・ガンサー(1929─47年)の追想録である。…

岩波新書の書評(413)小林秀雄「無常という事」(その3)

前回で要約の要旨をまとめ、一応終わった感のある小林秀雄「無常という事」について、今回は前回に出した「無常という事」の要旨を踏まえ、小林秀雄の「無常という事」が発表された当時の時代状況にて果たしたであろう、あの作品の政治的役割について考えて…

岩波新書の書評(412)小林秀雄「無常という事」(その2)

前回からの続きで、小林秀雄「無常という事」の読み解きをやっている。今回は最終段落を読み切って、いよいよ読解を完成させよう。「上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそ…

岩波新書の書評(411)小林秀雄「無常という事」(その1)

(今回から3回連続で岩波新書ではない、小林秀雄「無常という事」について書いた読み解きの文章を例外的に「岩波新書の書評」ブログに載せます。念のため、小林秀雄「無常という事」は岩波新書には入っていません)小林秀雄「無常という事」(1942年)に関…

岩波新書の書評(410)田中彰「明治維新と西洋文明」

岩波新書の赤、田中彰「明治維新と西洋文明」(2003年)の概要はこうだ。「男⼥の⾵俗、議会、⼯場、公園に博物館─ 明治初年、近代化の課題を背負って⼆年近い欧⽶視察の旅を続けた『岩倉使節団』にとって、⻄洋⽂明との出合いは衝撃の連続だった。その公的…

岩波新書の書評(409)指原莉乃「逆転力」

(今回は、講談社AKB48新書、指原莉乃「逆転力・ピンチを待て」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、指原莉乃「逆転力」は岩波新書ではありません。)先日、指原莉乃「逆転力・ピンチを待て」(2014年)を読んだ。…

岩波新書の書評(408)齋藤孝「『できる人』はどこがちがうのか」

(今回は、ちくま新書、齋藤孝「『できる人』はどこがちがうのか」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、齋藤孝「『できる人』はどこがちがうのか」は岩波新書ではありません。)明治大学文学部教授(教育学)の齋…

岩波新書の書評(407)三浦俊彦「ラッセルのパラドクス」

岩波新書の赤、三浦俊彦「ラッセルのパラドクス」(2005年)のタイトルになっている「ラッセルのパラドクス」とは、素朴集合論において矛盾を導くパラドックスであり、「自分自身を含まない集合全体を考えると矛盾が生じる」というものだ。これは、ラッセル…

岩波新書の書評(406)寺沢拓敬「⼩学校英語のジレンマ」

岩波新書の⾚、寺沢拓敬「⼩学校英語のジレンマ」(2020年)の表紙カバー裏解説は次のようになっている。「⼆0⼆0年四⽉から⼩学校で教科としての英語が始まる。『⽇本⼈の英語⼒向上の切り札』との期待と、『国語に悪い影響』『英語嫌いが増える』などの…

岩波新書の書評(405)⼭岡淳⼀郎「⽣きのびるマンション」

岩波新書の⾚、⼭岡淳⼀郎「⽣きのびるマンション」(2019年)の概要はこうだ。「修繕積⽴⾦をめぐるトラブル、維持管理ノウハウのないタワーマンション…。難題⼭積のなか、住⺠の⾼齢化と建物の⽼朽化という『⼆つの⽼い』がマンションを直撃している。廃墟…

岩波新書の書評(404)⽊下武男「労働組合とは何か」

岩波新書の⾚、⽊下武男「労働組合とは何か」(2021年)の上梓に⾄る概要はこうだ。もともと著者が「労働組合論」の講義を法政⼤学にて1984年から⼗数年間、担当してきて、通年授業の半分以上は労働組合史の歴史部分であって、これを⼀冊の書籍にまとめたい…

岩波新書の書評(403)佐和隆光「経済学とは何だろうか」

岩波新書の⻩、佐和隆光「経済学とは何だろうか」(1982年)は、「経済学とは何か」とか「経済学とは何であるか」のタイトルではない。「経済学とは何だろうか」である。この「何だろうか」の優しく素朴な問いかけが、ともすれば10代の少年少⼥向け読み物た…

岩波新書の書評(402)細⾕博「太宰治」(その3)

太宰治の本名は津島修治である。太宰は⻘森県北津軽郡⾦⽊村の出⾝である。太宰の⽣家は県下有数の⼤地主であった。津島家は「⾦⽊の殿様」と呼ばれていた。⽗は県議会議員も務めた地元の名⼠であり、多額の納税により貴族議員にもなった。津島家は七男四⼥…

岩波新書の書評(401)細⾕博「太宰治」(その2)

「太宰治全集」にて私には⼀時期、太宰と⻑兄で家⻑たる兄・⽂治とのやりとりがある作品箇所だけ、わざと選んで読み返す楽しみの趣向があった。太宰治の本名は津島修治である。太宰は⻘森県北津軽郡⾦⽊村の出⾝である。太宰の⽣家は県下有数の⼤地主であっ…