アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

記録・随筆

岩波新書の書評(71)石田保昭「インドで暮らす」

インドについての私の印象は、近年に観た映画「スラムドッグ・ミリオネア」(2008年)でのそれだ。本作はインドのスラム街で育った少年の自伝的話であるが、常に街中にあふれる大勢の人々、駅のターミナルや客車での高密度の乗客、宗教対立からある宗派の集…

岩波新書の書評(62)大牟羅良「ものいわぬ農民」

岩波新書の青、大牟羅良(おおむら・りょう)「ものいわぬ農民」(1958年)は、戦後まもなく山村を古着の行商をして歩いた著者が「日本のチベット」といわれた岩手県、その山村で自然と共に生きて貧困と因襲を背負いながら黙々と働く「ものいわぬ農民」たち…

岩波新書の書評(51)新藤兼人「老人読書日記」

岩波新書の赤、新藤兼人「老人読書日記」(2000年)は八十八歳になる映画監督の著者が、どのように日々書物に接し、これまで何を読んできて、その書籍から何を感じ学んできたのかという私達が知りたい事柄や本書表紙カバー裏解説にあるような「スーパー独居…

岩波新書の書評(34)小熊英二「生きて帰ってきた男」

フランクル「夜と霧」(1946年)やソルジェニーツィン「収容所群島」(1973年)など、「収容所文学」ともいうべき二0世紀の苛酷体験を素材にした文学を私達はすでに相当持っており、そのジャンルの作品は今では量質ともにかなりの蓄積に上(のぼ)る。 近代…

岩波新書の書評(27)金沢嘉市「ある小学校長の回想」

岩波新書の青、金沢嘉市「ある小学校長の回想」(1967年)の帯には次のようにある。 「本書は真実の教育のために悩み闘ってきた一教師の記録である。著者は戦時中、国家に忠実な教師として出発し、戦後その姿勢を反省し、現場の教師として、後には教頭・校長…

岩波新書の書評(21)原武史「滝山コミューン 一九七四」(その2)

(前回からの続き)原武史「滝山コミューン・一九七四」(2007年)は、「国家や政治権力と対決する民主政を標榜する自治集団が、なぜか同質的な全体主義になってしまう逆説的な社会ファシズム現象」を描いていて非常に優れている。読んでいて滝山団地の第七…

岩波新書の書評(20)原武史「滝山コミューン 一九七四」(その1)

前回、岩波新書の赤、原武史「昭和天皇」(2008年)を取り上げたので、今回は岩波新書ではないが、同じく原武史の著作「滝山コミューン・一九七四」(2007年)について以前に書いた書評を2回に渡り例外的に「岩波新書の書評」ブログに載せます。念のため、…

岩波新書の書評(6)大江健三郎「ヒロシマ・ノート」

大江健三郎「ヒロシマ・ノート」(1965年)は岩波新書の青版で、この書籍は同岩波新書の青版の「沖縄ノート」(1970年)と連続してつながっている。「日本人と核」について大江が一貫して考え抜く内容である。 福島第一原発での放射能漏(も)れ事故(2011年…