アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(418)土門拳「筑豊のこどもたち」「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(その2)

(前回からの続き)土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)には続編がある。「母のない姉妹」で筑豊の井之浦炭鉱で父親と妹さゆりちゃんと三人で暮らしていた、るみえちゃんのその後の写真である。タイトルは「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(1960年)。

従前の持病に加え、普段からの安い焼酎の飲みすぎの不摂生からか、るみえちゃんの父親が脳溢血で倒れ突然亡くなる。その知らせを聞き、土門拳は筑豊の井之浦炭鉱の炭住に再び、るみえちゃん姉妹を訪ねる。しかし、姉妹は田川市の児童相談所に引き取られた後だった。だから「るみえちゃんのお父さんは死んだ」の写真集は田川児童相談所の子どもたちを撮った内容になっている。特に、るみえちゃん姉妹ばかりを撮影しているわけでなく、相談所の他の児童もまんべんなく撮っている。

いくら児童相談所とはいえ、やはりそこは厳しい現実の世界だ。入所の児童には、なるべく私物を与えない。子どもたちの中で知らず知らずに序列ができて強い子や年上の子が年下の子や弱い子の持ち物をとったりするから。また履き物は、はかせない。基本裸足である。靴があると、そのまま脱走するから。一度脱走して児童相談所に連れ戻された年長女子が先生に叱(しか)られ、泣きながら説教をくらっている写真が載っている。

るみえちゃんとさゆりちゃんも井之浦から児童相談所へ連れて行かれる時、「ここにいるんだ」と泣き叫び、後に児童相談所を無断で出て井之浦の炭住の自分たちの家に帰ろうと夜道の暗がりの峠を姉妹二人で歩いているところを地元のバス運転手に発見され、施設に連れ戻されている。それからしばらくして、出稼ぎに出たまま音信不通だった姉妹の母親を児童相談所で探し、るみえちゃんたちは無事お母さんとの再会を果たす。母が出稼ぎに出てから実に六年ぶりの対面であった。以下は写真に添えられた土門の文章である。

「笑顔で話しかける母親に対して、姉妹はかたくなにおし黙っていた。三時間もおし黙っていた。しかし、母の記憶のないさゆりちゃんがまず母親のひざへ近寄って行き、やがて、るみえちゃんも『母ちゃん』とかすれた声でつぶやくようになった。母親は二人のこどもを抱きしめて泣いた」

さらに後日、「きっと迎えにくるから」と約束した母親に向けて書いたるみえちゃんの手紙の抜粋。

「おかあさん、お元気ですか。…はやくむかえにきて下さい。るみえもさゆりもおかあさんが、むかえにくるまでまってます。おかあさん、からだに気をつけてしごとにいって下さい。さむくなったり、あつくなったりするので、とくに気をつけて下さいね。…お母さん、お父さんがしんだときのことをしっていますか。お父さんは、ぼんの十五日のあさ、たおれたのですよ。そして、いしゃにみてもらいました。ところが、しんぞうまひで、ばんの八時半ごろ、お父さんはいきをひきとってしまいました」

るみえちゃんの手紙の後半、「お母さん、お父さんがしんだときのことをしっていますか」。父の最期の様子をあえて詳しく、るみえちゃんが母親に説明するくだり。筑豊の炭住で困窮極めた生活ながらも、一緒に暮らした父親への愛情と思慕。そして、出稼ぎに出たまま音信不通で、六年ぶりに名乗り出た母親に対する少女のかすかな無意識の復讐。本当に申し訳ないが、私はそれをるみえちゃんの手紙から勝手に感じてしまって非常に複雑な思いがする。

(※るみえちゃん姉妹のその後については、「目撃!にっぽん・『筑豊のこどもたち』はいま」(2020年)というNHK制作の追跡ドキュメントが近年あった。るみえちゃんのその後と現在は!? 父親の遺骨を保管している筑豊の寺院に後に親族と名乗る人から連絡があった。その時の記録をたどって取材班は、るみえちゃんの現在にたどり着く。番組では、るみえさん本人の映像や声はなく、るみえさんの娘さんのコメントをナレーターが読み上げる形である。娘さんのコメントによれば、田川の児童相談所から後にるみえちゃん、さゆりちゃん姉妹は母親に引き取られ、母親は、とある街で飲食店を持ち、るみえちゃんは妹を学校に通わせるため、母親の店を手伝い働いていたようである。後にるみえさん自身も店を持ち、飲食店経営をしていた。また彼女は結婚し娘さんを産んで、追跡取材の2020年の時点で娘さんの世話になり暮らしているという。そうして、るみえさんの父親・秀吉さんの命日には毎年、父が大好きであったお酒とタバコを手厚く供えて、娘さんに「祖父のお参りに来なさい」と言うそうである)

さて、「筑豊のこどもたち」と「るみえちゃんはお父さんが死んだ」の土門拳の一連の仕事に関し、桑原史成のことに全く触れないわけにもいかないので最後に書いておこう。これは割と有名な話で、土門の全集刊行時に桑原が寄せた文章にて、当時まだ学生だった桑原史成が土門と同時期に筑豊の井之浦炭鉱に入り、実は同様にるみえちゃんの写真を撮っていた。土門拳は、どうも他の写真家がすでにるみえちゃんを見つけ写真を撮っていること知って、その先取権を主張するために筑豊での撮影から写真の雑誌発表までを異常に急いだフシがある。それで土門が「筑豊のこどもたち」を急いで雑誌発表した後、桑原史成がるみえちゃん姉妹の掲載写真を見て、「しまった!先を越された」。挫折と敗北感に打ちひしがれるわけである。彼はその後、水俣に旅立って水俣病患者をずっと撮り続け自身のライフワークの大きな仕事にしていくのだが。

同じ被写体を同様に他人が撮っているなら自分が撮った写真を早く発表して既成事実を作り、被写体の先取権を主張する。例え相手が無名のアマチュア学生であっても、「若い芽は全力で摘み取り、容赦なく若手を潰す」大人げないプロカメラマンの土門拳である(笑)。だが、もし仮に桑原史成がるみえちゃん姉妹の写真を先に世に出し公表していたら、果たして土門拳のように、その写真集が多くの人に見られ社会で話題となり、姉妹に対するカンパの援助が全国から集まったり、何しろ「るみえちゃんはお父さんが死んだ」は映画にまでなっているから、そこまで世間の人々の注目や関心を惹(ひ)いたかどうか。非常に微妙で難しい問題だと思う。