アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(423)平松守彦「地方からの発想」

岩波新書の赤、平松守彦「地方からの発想」(1990年)は元大分県知事の平松守彦が知事在任中に著した書籍である。私は大分県出身の現在大分市在住なのだが、平松守彦が県知事退任の後、大分市中心街の老舗(しにせ)の百貨店で私用で買い物している姿を一時期よく見かけた。

平松守彦(1924─2016年)は大分県出身、東京大学法学部に進学し卒業後、商工省(元・通商産業省、現・経済産業省)に入省。当時、平松は通産省で工業立地関係の仕事を手掛けており、大分県からの依頼で大分鶴崎臨海工業地帯の開発計画を後押しした。大分から上京してくる県の陳情団に東京の役所で親身に話を聞き、郷土の大分の力になっていた平松を、平松の前任の大分県知事が後継者と見初める。そこで平松守彦は大分に戻り副知事の経験を経て、後に大分県知事に就任。平松県政は1979年から2003年まで24年の長期に渡る。平松は大分県知事選で圧倒的な強さを見せ、反・平松の対立候補に毎回、大差をつけて大分県知事職を6期の24年間、継続した。

通産省に入省後、産業振興行政の仕事をしていた平松は、企業誘致や県特産品の販売促進はできるが、地方自治には当初は全くの素人で、医療、教育、福祉、防災ら地方行政の地域政治には明るくなかった。このことは自著にて平松が自身の事として語っている。そのため、かつて東京での通産省時代に培(つちか)った産業振興行政の経験手腕にもっぱら依拠した形での平松県政となった。もっとも平松守彦は、前任知事からその産業振興の実績と手腕を買われての後継指名であったのだが。

ゆえに平松において「行政はPR」なのであり、昔から平松知事に批判的な人達からの悪評は「平松県政は祭り好き。誘致と宣伝のイベントばかりやりたがる」が多くを占めた。平松守彦が県知事時代に打ち出した諸政策については平松の自著「地方からの発想」に詳しく、例えば以下のようなものがあった。

「一村一品運動」(平松が知事就任後、最初に提唱した平松県政の柱の目玉となる地域運動。それぞれの地域が地域の誇りとなる特産品─それは農産物でもよいし観光でも民謡でもよい─をつくりあげ、それらを全国に宣伝していく県特産品促販運動である。姫島の車エビ、津久見のみかん、九重の豊後牛、中津江の鯛生金山など)

「豊の国テクノポリス」(県内へのハイテク企業誘致の促進。新日鉄や昭和電工や九州石油ら、従来の大分臨海工業地帯への工場誘致とは異なり、製鉄や電気や石油などの重厚大の産業ではなく、IC技術ら軽薄小のハイテク産業の工場誘致を進める。製鉄や電気や石油ら従来型の重厚大の基幹産業では、技術的に大分の地場企業が商品開発で参入する余地がほとんどなかった。しかし、IC技術ら軽薄小のハイテク産業の場合、地域企業参入の機会が増える。また若者や女性の雇用が、製鉄や石油の基幹産業よりもIC技術らハイテク産業誘致にて、より多く見込める。国東のカメラ・ビデオ機器製造のキャノン大分工場、大分市郊外のIC組み立ての東芝大分工場の誘致など)

「大分マリノポリス」(従来型の養殖・栽培漁業ではなく、より効率的で資源の無駄を出さない、機械音を出しての海流餌付けシステムなど、生態自然の環境に近づけた海洋牧場の構想。県南の臼杵や蒲江で実施)

岩波新書「地方からの発想」は、平松守彦が大分県知事在任中、第4期の1990年に出した書籍である。本書出版時の1990年はバブル経済の好景気の消費に日本中が浮かれていた明るい時代で、しかも、そもそもの平松守彦が、かつて東京での通産省時代に培った産業振興行政の経験手腕の実績にもっぱら依拠した形での産業振興と消費推進の、いわば「誘致と宣伝」の地方政治を強烈に展開した人であるので、大分市在住の私は、大分県知事選に毎回投票してきたが、ずっと近くで平松県政を見てきて到底、堅実とは言い難い投機のギャンブル的な所が多々あって、やはりこの人は相当に危なっかしいのである。本書を2000年代以降の今日読み返してみると、「大分県のセールスマン」を自認する平松自身の政治家資質とバブル経済の当時の時代の好景気に調子に乗り後押しされて、平松県政の「今は昔」というか「あとの祭り」というか、率直に言って「平松県知事時代は失政だったのでは」と私には思えなくもない。

平松の「地方からの発想」を読むと、東京一極集中への批判から「地方再生の地域振興を果たす、地方からの真の豊かさの実現」の理屈に時に隠され上手い具合に誤魔化されているけれど、県内への企業誘致や県の特産品の販売促進には、それなりの公共投資や宣伝費用が要(い)る。ただ頼み込んでも県外の企業は大分県には来てくれないし、宣伝のPR活動がなければ「一村一品」の大分県の特産品は全国区で売れず県内観光地も集客はできない。事実、平松県政の問題点として、県外企業誘致や県内産業振興のために、後先考えずの採算度外視な大規模な土地開発事業や箱物施設建設やイベント開催の大型公共投資の連発があった。岩波新書「地方からの発想」では、平松は自画自賛の自己実績の自慢に終始しているため、これらのことには一切言及せず終始、巧妙に隠されている。そうして平松退任後、かつての平松知事時代に連発された採算の取れない箱物インフラの維持管理の問題や無理筋で強引な産業振興計画の後始末のために、後々まで大分の県財政は長期に渡り圧迫され続けるのであった。

この意味で、「東京で産業振興行政の仕事を手掛けていたので、企業誘致や県特産品の販売促進はできるが、地方自治には当初は全くの素人で、医療、教育、福祉、防災ら地方行政の地域政治には明るくなかった」旨の平松の自己認識や、昔からあった平松知事に批判的な人達からの「平松県政は祭り好き。誘致と宣伝のイベントばかりやりたがる」の悪評は、あながち間違ってはいない。

例えば平松県政の問題点として「香りの森博物館」の案件(バブル景気崩壊後の県財政悪化にもかかわらず、香りの森博物館の建設を知事の平松が強行し、案の定、経営破綻の後に平松の親族経営の学校法人・平松学園に博物館施設が破格の安値で売却された問題)は、前からよく指摘される所である。また本書「地方からの発想」には書かれざる、その後の平松県政の最終6期における総決算の目玉としての、2002年サッカー・ワールドカップ日韓大会での開催地立候補のために大分にJリーグ参入を目指す「大分トリニータ」のプロサッカーチーム創設、その上でドーム型サッカースタジアムの建設ならびにスタジアム周辺のスポーツ公園の大規模土地整備事業に絡む巨額の公的資金(つまりは税金)注ぎ込みの問題もあった。

大分トリニータのプロサッカーチームの創設は、Jリーグ参入を目指すことでの地域スポーツ振興のための長期政策というよりは、「とりあえずは直近の大分でのワールドカップの開催誘致実現に向けてドーム型サッカースタジアムの建設ならびにスタジアム周辺のスポーツ公園の大規模土地整備の大型公共事業を、毎度のお祭りイベント好きな平松知事が単にやりたかっただけなのでは」と大分県人の私には正直、感じられたし、周りの人達からのそうした冷ややかな声は県内にて当時よりあった。ドーム型のスタジアム建設や大規模な周辺のスポーツ公園整備に、地元の建設業界は思わぬ大型公共事業の特需で大喜びであったかもしれないが、言ってみれば「一時的で派手な祭りのあと」のワールドカップ終了後の、スタジアム経営や大分トリニータのサッカークラブ運営に平松県政は極めて無責任で、資金計画的に相当に杜撰(ずさん)で滅茶苦茶だった。その辺りの事情は、木村元彦「大分トリニータの15年・社長・溝畑宏の天国と地獄」(2010年)の書籍に詳しい。

本書を読むと、大分トリニータのJリーグ参入は、とりあえずの見切り発車で計画性なく極めていい加減、県庁内と県財界内での平松と反・平松派の対立や策略の駆け引きもあって、平松県知事時代の暗黒面(ダークサイド)を確かに覗(のぞ)いたような非常に馬鹿らしい思いが私はする。岩波新書の赤、平松守彦「地方からの発想」には書かれざるその後の平松県政の問題を知る上でも、木村元彦「大分トリニータの15年・社長・溝畑宏の天国と地獄」は、もし未読な方がおられたら、私は現大分市在住の大分県人として強くお勧めする。