アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(425)鈴木大拙「禅と日本文化」

岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」(1940年)は戦中発刊の旧赤版の岩波新書で、同時代の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下巻(1938年)と共に戦前の岩波新書の中で当時は相当に売れて広く読まれたらしい。鈴木大拙「禅と日本文化」と斎藤茂吉「万葉秀歌」は、現在でも岩波新書の発行部数、歴代ベストの上位に入っているほどなのである。鈴木「禅と日本文化」は後に続編も出ており、斎藤「万葉秀歌」と同様、全二冊構成であった。

鈴木大拙「禅と日本文化」は、そのタイトル通り二つの内容からなっている。まずは「禅」であり、それから「日本文化」である。最初の「禅」については第一章の「禅の予備知識」でその概要が解説されている。その上で次の「日本文化」については、内容を「一般美術」や「武士道」や「茶道」にそれぞれに具体化させながら、例えば第二章は「禅と美術」、第三章は「禅と武士」、第六章は「禅と茶道」というように、必ず「禅と××」という形式で「禅」と個々の「日本文化」との組み合わせにて章展開させている。ここで本書の目次を挙げておく。第二章以降が、いずれも「禅と××」というタイトル形式及びそれに基づく考察内容になっていることに留意されたい。

「第一章・禅の予備知識、第二章・禅と美術、第三章・禅と武士、第四章・禅と剣道、第五章・禅と儒教、第六章・禅と茶道、第七章・禅と俳句」

鈴木大拙「禅と日本文化」における「禅」は、言うまでもなく仏教の一派である禅宗のことである。もともとのインド発祥の仏教には人間の「我執の否定」の根本の教えがあり、それが後にアジア諸地域に伝播して、生きとし生けるものへの憐(あわ)れみ・慈(いつく)しみの心の「慈悲」や、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の仏性具有という点での人間平等の普遍的な教えとなった。このことに関して、経典の意味解釈や強調の力点、そうした理念に至る現実的な修練の方法、信仰を主になす社会階層と運営の教団組織の相違から、後に仏教には様々な宗派が生じるわけである。だから禅宗も仏教の一派であり、禅宗は「座禅」(仏教の修行法で足を組んで端坐し瞑想すること)の修行法を殊に重んじた仏教の一派であった。日本で禅宗といえば、鎌倉新仏教の栄西の臨済宗や道元の曹洞宗が有名であり、それら禅宗の主要宗派が、後の日本文化全般に与えた影響は大きい。

もちろん、鈴木大拙も以上のことを踏まえて「禅と日本文化」を論ずるにあたり、仏教の一派たる禅宗とのつながりから始めている。第一章の「禅の予備知識」にて鈴木は、

(1)仏教開祖の「仏陀(ブッダ)の精神はなんであるか」と問い、それを「般若(知慧)」と「大悲(愛または憐情)」とした上で、(2)それら「般若」や「大悲」に至るための禅宗の独自の鍛錬法の詳細を指し示し、(3)そうした禅の雰囲気の内に見受けられる、世の事物に対する特殊な考え方と感じ方の特徴を七点に分け挙げる。

という順序で論じている。岩波新書「禅と日本文化」の序章たる「禅の予備知識」の展開は、以上のような3点教授になっているのだ。特に、この序章のまとめの結語にあたる「われわれは、禅の雰囲気のうちには一般に、世の事物に対するある特殊の考えかたと感じかたが存することを知るのである」と鈴木が指摘する所の、「禅の雰囲気のうちに見受けられる、世の事物に対する特殊な考え方と感じ方の特徴の七項目」(10・11ページ)は本新書に当たるものは当然、押さえておくべき重要箇所である。

続く第二章以降は、序章の「禅の予備知識」の要訣を踏まえ、各日本文化との組み合わせの具体的考察である。鈴木大拙によれば、「一般美術」や「武士道」や「茶道」ら日本文化の中に「禅に見受けられる世の事物に対する特徴的な見方・考え方」が集約されてあるのであった。その中で特に読み所と思えるのは、「日本人はどういったものに美を感じ、何を美しいと思うのか」の日本文化の審美眼を全般的に論じた第二章の「禅と美術」、そして日本文化として根付いた禅宗の禅と中国由来の儒教と日本古来の神道との三つの思想の絡(から)み合いを総体的に論じた第五章の「禅と儒教」あたりか。その他、私は剣道や茶道をやったことがないので、読んでもあまり詳しい事は分からないが、第四章の「禅と剣道」や第六章の「禅と茶道」も剣道や茶道をやる人ならば一度は読んでおくべき、と昔から定番でよくアドバイスされる所である。

最後に、岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」に対する今日からの読みの視点を二つ指摘しておこう。

第一に、鈴木大拙(1870─1966年)という人は、明治・大正の時代から早くにアメリカに渡り、日本的禅の思想ならびに東洋の仏教文化を西洋の人々に直接に説いた人であった。また鈴木の著作には最初から鈴木大拙が英語で執筆したものや、日本語執筆の著書で後に英訳されたものも多い。そうした、もともと禅の思想や仏教文化に未知で前知識がない初学の西洋の人達に向けて、禅に象徴される東洋的な物の見方・考え方や「日本的霊性」を鈴木大拙は説いたため、この人が概説する日本的禅の概要や東洋世界の仏教文化は、妙に簡略化・単純化された、西洋の伝統文化や現代の近代化の思想と明確な対照(コントラスト)をなす、二項対立の一端を毎回選択する平板な説明になってしまう。当の鈴木は気付いていないかもしれないが、主にアメリカ人ら欧米の人に向けて日本の東洋的なものを解説するので、いつも出来るだけ分かりやすく語ろうとするサーヴィス精神の悪い癖の鈴木大拙の地が、つい出てしまう。

岩波新書「禅と日本文化」でも、鈴木は物質と精神、理論と直感、文字伝達と不立文字、消費享楽と清貧禁欲、社会的な儀礼・慣習と個人的な孤絶・修養の二項対立で単純に簡略に説明しようとする。鈴木が力説するのは悉(ことごと)く後者である。鈴木大拙が説く「禅と日本文化」は精神であり、直感であり、不立文字であり、清貧禁欲であり、また個人的な孤絶・修養であって、前者の西洋の伝統文化や現代の近代化の思想の各項目と常に対立をなし、それらへの対抗言説として、きれいに整って解説され過ぎている。そうした平板さの違和感を私は鈴木大拙の著書に毎度、抱く。必ずしも西洋文化や近代化思想と対照セットな対抗言説ではなくて、それ自体として「禅と日本文化」について深く掘り下げ考察するやり方も私はあると思うのだが。

第二に、鈴木大拙「禅と日本文化」の日本語版は1940年初版であり、時代は近代天皇制国家の第二次近衛内閣での翼賛体制の下、国民が国家のために自らの死を厭(いと)わないよう強要する超国家主義が異常に幅を利かせた十五年戦争時の戦時の時局であった。この1940年の翌年の41年に対米英戦の太平洋戦争の開戦となる。こうした時期に出された岩波新書「禅と日本文化」の第三章「禅と武士」にて、鈴木大拙は鎌倉幕府執権の北条時宗から江戸時代にまとめられた「葉隠」の文献、戦国武将の武田信玄と上杉謙信を通して以下のように述べる。

「『潔(いさぎよ)く死ぬ』ということは、日本人の心に最も親しい思想の一つである。…『潔く』は『悔(くい)を残さずに』『明らかな良心をもって』『勇士らしく』『ためらうことなく』『落着払って』などの意味である。日本人は思い切りわるくぐずぐずして死を迎えるのを嫌う。風に吹かれる桜のように散り逝くことを欲する。たしかに日本人のこの死に対する態度は禅の教えと一致したに違いない。日本人は別段、生の哲学は持たないかもしれぬが、たしかに死の哲学はもっている」(第三章「禅と武士」)

その上でさらに、

「禅を深く吸込んでいる武士の精神はその哲学をまた庶民の間にまで拡げた。庶民は自分たちがとくに武士の仕方で鍛錬されていないときでもその精神を吸込んでいて、正しいと考えるいかなる理由のためにも、自分の命を犠牲にする覚悟をしている。これは従来、日本がなにかの理由で飛込まねばならなかった諸戦争で、しばしば説明せられてきたことである」(第三章「禅と武士」60・61ページ)

これは「禅の日本文化」を通して人間の死を潔(いさぎよ)いものと美化する思想である。本書での「禅と日本文化」を通しての、

「『潔く死ぬ』ということは、日本人の心に最も親しい思想の一つである。日本人は別段、生の哲学は持たないかもしれぬが、たしかに死の哲学はもっている。その精神は武士だけでなく庶民の間にも拡がり、庶民は自分たちが正しいと考えるいかなる理由のためにも、自分の命を犠牲にする覚悟をしている。このことは従来、日本がなにかの理由で飛込まねばならなかった諸戦争で、しばしば説明せられてきた」

というような旨の鈴木大拙の語りと、同時代の戦時における大日本帝国による、例えば自国の日本軍兵士への「戦陣訓」の教え(「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」など軍人が戦場で守るべき道徳・行動の準拠)や、いわゆる「玉砕」(「玉が美しく砕け散る」ように部隊ごと全滅すること)や「特別攻撃隊(特攻隊)」(有人の航空機・小艇による空母などへの体当たり戦法)の命令、ならびに非戦闘員の民間人に対する「集団自決」の強要とは相当に近いものがある。今時の目下の戦争にて「人間の死を美化して国家のために死ぬことを暗に勧める」国民の戦時動員の国策遂行に加担の自覚が、戦時に「禅と日本文化」の書籍を出した鈴木大拙自身に果たしてあったかどうか。とりあえず当時の軍部や挙国一致内閣の戦争指導者らは、鈴木大拙の「禅と日本文化」を読んで、国民の死への動員基調の筆致に小躍りして喜んだに違いない。それほどまでに国民の戦時動員の国策遂行に加担の疑いが果てしなく強い鈴木大拙「禅と日本文化」なのであった。

「日本文化の禅の精神」の自然の発露として「潔く死ぬ」日本人の「死の哲学」を力説する、戦前から戦後もまたいで90歳以上長く生きた鈴木大拙本人は誠に無責任でお気楽でよいが、そうした鈴木から「潔く死ぬこと」を書籍を介し美化して勧められる私ら日本人の庶民は「潔く死ぬこと」をいきなり暗に強要されて、たまったものではないのである。

いずれにしても、岩波新書「禅と日本文化」に対する今日からの読みの視点として、こうした人間の死の美化を通しての国民一般の戦時動員の推進という戦争責任の問題を、鈴木大拙の「禅と日本文化」理解から摘出し、私達は批判的に読み直すべきであろう。そういえば、本新書の巻頭に付された「序」の書き手は、鈴木大拙と親交が深かった当時の京都帝国大学文学部哲学科の西田幾多郎、いわゆる「京都学派」の哲学者として後に「知識人の戦争責任」を追及される西田の手によるものであった。

「禅は日本人の性格と文化にどのような影響をおよぼしているか。そもそも禅とは何か。本書は、著者が欧米人のためにおこなった講演をもとにして英文で著わされたものである。一九四0年翻訳刊行いらい今日まで、禅そのものへの比類なき入門書として、また日本の伝統文化理解への絶好の案内書として読みつがれている古典的名著」(表紙カバー裏解説)