アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(431)藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」

岩波新書の青、藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」(1968年)は、そのタイトルからして「おかげまいり」と「ええじゃないか」が等価の同量で等しく論じられているように思えるけれど、実はそうでない。本書では主に「おかげまいり」について述べられており、「ええじゃないか」に関しては、ほんのわずかしか触れられていない。

本新書は七つの章からなっているが、「ええじゃないか」に詳しく触れた章はわずか一章のみである。残りの六章は全て「おかげまいり」の紹介と考察の章になっている。それには本書記述での著者によれば、本書を執筆時には「ええじゃないか」に関する各人よりの言及や見解の解釈が様々にあって研究蓄積も多くあったが、他方「おかげまいり」については研究が少なくその実態の解明や歴史的考察が比較的なされていない事情があったため、本新書では「おかげまいり」についての叙述にあえて傾注したという。そうしたことが本書の「まえがき」に記されている。

ここで、本新書のタイトルになっている「おかげまいり」と「ええじゃないか」の概要を確認しておこう。

「おかげまいり(御蔭参り・御影参り)─江戸時代に流行した伊勢神宮への集団参拝。多くは親や主人の許可を得ず、旅行手形も用意せずに家を出た抜参り(ぬけまいり)であった。大規模なものは1771年の200万人の参加。60年ごとに『おかげ年』が回ってくるという60年周期説が信じられ、1830年には500万人が熱狂的に参加した。その様子は、歌川広重の『伊勢参宮宮川渡しの図』などに描かれている」

「ええじゃないか─1867年秋から冬にかけ、東海道・近畿・四国地方に広がった民衆の狂乱。『ええじゃないか』と連呼・乱舞し、京坂一帯が無政府状態となり、その間に倒幕運動が進展した。その様子は、歌川国芳の門人・一恵斎芳幾(いつけいさい・よしいく)『豊饒御蔭参之図』などに描かれている」

本書の構成を改めて述べておくと、最初の三つの章は「おかげまいり」の起源と概要、近世の「おかげまいり」の実態が史料を介して詳しく紹介されている。それから次の一つの章で「ええじゃないか」についての同時代の先行研究や「ええじゃないか」に対する歴史的意義の各人評価を次々に紹介している。その上で最後の三つの章にて、前章での「ええじゃないか」に関する先行研究や評価を参考にしながら、「おかげまいり」に対しての著者の歴史的意義の考察をまとめる、の順序になっている。

これらの中で本新書の読み所は、第四章に当たる「四・慶応の『ええじゃないか』」で同時代の各人の「ええじゃないか」への歴史的評価を踏まえた上で、続く後の最後の三つの章「五・解放運動としての『おかげまいり』」「六・民族形成運動としての『おかげまいり』」「七・宗教と民衆運動」にて即(すぐ)にその手法を真似て、「おかげまいり」に対する総括の歴史的意義の評価を下す著者の論述の手際(てぎわ)にあると思える。

近世初期の「おかげまいり」は、当初は人々の娯楽として流行した伊勢神宮への集団参拝であったが、封建的拘束に反発する抜参り(ぬけまいり・「親や主人の許可を得ず、旅行手形も用意せずに参拝参加する違法行為のこと」)の常態化に加え、幕末には「おどり」の騒ぎも伴い、「おかげまいり」は「ええじゃないか」や百姓一揆と同様な大規模な民衆運動と目されるようになっていた。

「四・慶応の『ええじゃないか』」では、ノーマン、土屋喬雄、羽仁五郎、遠山茂樹、山口吉一ら先行研究にての各氏の「ええじゃないか」に関する見解や歴史的評価の各説を挙げている。それら各人による「ええじゃないか」への見解は様々であるが、「ええじゃないか」と類似する同時代の近世江戸の百姓一揆の民衆運動に対するそれも勘案すると、このことは本新書には書かれていないが、それら歴史的評価は次のようにまとめることができるように思う。

まず「作為的か自然発生的か」の評価軸があり、さらに「統制の取れた組織的政治運動か、無秩序なマス・ヒステリー的騒乱か」のもう一つの評価軸もあって、その2つの評価軸の4つの極限の組み合わせの四象限により、各人における「おかげまいり」や百姓一揆についての歴史的評価が決まると考えられる。すなわち、

☆作為的かつ統制の取れた組織的政治運動─幕藩体制の崩壊を目する尊王派や明治新政府側から画策された、極めて組織的な一種の倒幕運動説。☆作為的かつ無秩序なマス・ヒステリー的騒乱─幕藩体制の崩壊を目する尊王派や明治新政府側から画策された一種の倒幕運動であったが組織的統制が取れず挫折した、ただの一過性の民衆のお祭り騒ぎの狂乱説。☆自然発生的かつ統制の取れた組織的政治運動─民衆の間から自生した下からの運動で、それが自発的に高度に組織化された反封建闘争の民衆運動説。☆自然発生的かつ無秩序なマス・ヒステリー的騒乱─民衆の間にある反封建社会的な意識の自生的現れではあるが、それがただの一過性の民衆のお祭り騒ぎでしかなかった狂乱説。

従来、「ええじゃないか」や百姓一揆を民衆闘争史の文脈にて理解し、それらに近世江戸の民衆の下からの抵抗の政治的エネルギーを見出したい理念的思考な民衆思想史家は、これら四象限の評価の中で、3番目の「自然発生的かつ統制の取れた組織的政治運動─民衆の間から自生した下からの運動で、それが自発的に高度に組織化された反封建闘争の民衆運動説」の理想的な歴史意義的解釈を百姓一揆らの歴史現象の解釈・評価に積極的に取りたがる傾向にある。その反面、4番目のような「自然発生的かつ無秩序なマス・ヒステリー的騒乱─民衆の間にある反封建社会的な意識の自生的現れではあるが、それがただの一過性の民衆のお祭り騒ぎでしかなかった狂乱説」は、近世江戸の民衆の下からの政治的抵抗のエネルギーを皆無と見なすか、不当に軽く見積もるものとして、この見解を取らず、むしろ積極的に否定し排除したがる。

そうして、これら「「四・慶応の『ええじゃないか』」にての同時代の各研究者の見解総括を参考にして、著者の藤谷俊雄は「おかげまいり」に対する総括の歴史的意義の評価として、最終章に当たる「七・宗教と民衆運動」にて、およそ以下のような結論をまとめている。

「わたくしは前にもいった通り、『おかげまいり』と百姓一揆とを比較して、『おかげまいり』の歴史的意義をいちがいに低く評価することには賛成できない。百姓一揆はたしかにもっとも鋭い階級闘争の形態であるが、地方的な小規模の自然発生的な百姓一揆が、それだけでは封建支配にたいして、ただちに大きな革命的影響をもちえなかったことは明らかである。百姓一揆に爆発した農民の革命的なエネルギーが、政治的に結集され組織されなければ、真に革命的な人民運動とはなりえなかったという点では、『おかげまいり』のばあいも同様であったといいうるとおもう。…江戸時代の『おかげまいり』は、…神の信仰にもとづいた民衆の自主的な秩序がおこなわれており、けっしてマス・ヒステリーという言葉が印象づけるような無秩序な状態であったわけではない。…しかしながらそれは、後期になるほど乱れていったようである。とくに性的倒錯という点ではひどくなっていった。…そのことが、あの封建支配の空前の危機に当って、うっせきしたエネルギーを内部に包蔵しながら、日本の民衆が、幕藩支配から天皇制支配への移行を、まったく政治の局外で見送ってしまう結果となったのである」(「民衆闘争の分岐点」)

著者によるこの「おかげまいり」に対する総括の歴史的意義の評価は、幕末の民衆の革命的なエネルギーに突き動かされた階級闘争の一応の成果を「おかげまいり」に見るのであるが、同時に他方で政治的に結集されず組織化されず、真に革命的な人民運動とはなりえなかった限界を有していた事も明らかであって、さらに後期には以前の民衆の自主的な秩序が崩壊し、「おかげまいり」の集団内にて性的倒錯の横行など、マス・ヒステリーな無秩序な集団的堕落状態におちいっていった。結果「おかげまいり」は、うっせきした当時の人々のエネルギーを内部に包蔵しながらも、それを下からの民衆闘争の政治的運動として自らを昇華し得なかったとする結論である。

これは「ええじゃないか」や百姓一揆に対する、前述の4つの極限の組み合わせの四象限による歴史的評価の型で見れば、3番目の「自然発生的かつ統制の取れた組織的政治運動」の民衆の運動エネルギーを高く見積もる肯定的評価と、4番目の「自然発生的かつ無秩序なマス・ヒステリー的騒乱」の民衆の自主的な秩序形成の欠如を厳しく弾ずる否定的評価の混合(ミックス)の結論であるといえる。

その他「おかげまいり」は、元々は日本の伝統的な神道信仰に基づいた伊勢神宮への参詣の宗教行為であるから、「おかげまいり」は宗教的観点から一貫して考察される必要がある。この点で岩波新書の藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」では、近世江戸の百姓一揆の研究を通して「世界史的に見れば近代社会成立期における民衆闘争は、一般に宗教的形態をとった。そしてそのことが、民衆闘争を『世直し』の論理として政治権力に向かわせた」ことを以前に指摘した安丸良夫の一連の民衆思想史研究に触れた記述もある(160─162ページ)。この箇所も、確かに本書の読み所である。