アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(7)増田四郎「ヨーロッパとは何か」

「ヨーロッパとは何か」を知るためには、例えばまずイタリアの歴史をやり、次にイギリスの歴史をやり、さらにフランスの歴史をやって、というように一国史を丹念に積み重ねて足し算していってもなかなか分からない。各国史をやる以前にヨーロッパを一つの地域と見なし、全体として総体的に把握しておく必要がある。岩波新書の青、増田四郎「ヨーロッパとは何か」(1967年)は、そうしたアプローチからの書籍である。

そこで改めて「ヨーロッパとは何か」。著者は述べる、ヨーロッパとは以下の三つの文化要素からなると。(1)ギリシア・ローマの古典古代の伝統、(2)キリスト教の教え、(3)ゲルマン民族の精神である。これらギリシア・ローマの古典とキリスト教とゲルマン民族精神の三つとくれば、中世ヨーロッパのフランク王国の「カロリング・ルネサンス」を想像することは容易だ。なるほど、「ヨーロッパとは何か」におけるヨーロッパ的なもの、特に西ヨーロッパ世界の原型は中世ヨーロッパのフランク王国に求められること、フランク王国のカロリング・ルネサンス以降からヨーロッパの歴史が本格的に始まることを、まずは確認しておきたい。

またヨーロッパを以下の三つの地域に分けることができると著者はいう。(1)地中海周辺地域、(2)西ヨーロッパ、(3)東ヨーロッパである。(1)はイタリア。ラテン系でカトリックであり、(2)はフランス・ドイツ・イギリス。主にゲルマン系でプロテスタントである。(3)はロシア・東欧諸国であり、スラブ系でギリシア正教にあたる。確かにそうだとは思う。

読んで面白かったのは、中世における修道院の原理(神の前での平等・兄弟団思想、人間の組織化・合理的な集団、信仰と労働の結合など)が後の「近代の萌芽」をヨーロッパが自らの内にあらかじめ内包していたこと(127ページ)。重要だと思えたのは、権力者や国家による支配といえば領土を確定して囲い込み、特定地域の軍事や租税や裁判などを一元的に掌握支配する(現代の)「領域国家」のイメージがあるが、そうした「領域支配観」が現れるのは12・13世紀になってからであって、それ以前は「ここからここまでの地域は××の領土で、全ての人や物がその統治の支配下にある」とする確固とした領域支配区分(国境)があるわけではない。一つの地域でも、あらゆる人々の人的結合の支配関係があり、それらが入り組んで網の目のように複雑に張り巡らされている。日本史でいえば「職(しき)の体系」の平安後期の律令国家の崩壊から鎌倉を経て、室町後期の守護大名から戦国大名の領国一円支配が始まるまでの時代がこれに当たるはずだ。

地代の金納化によって領主による人格支配を徐々に脱し、農奴の団結と対抗意識の中世の農民階層が成立していく過程がある(168・169ページ)。「封建貢租の金納化から人的つながりが貨幣関係を軸にした方向に転じていき、封建制下の経済外的強制が徐々に剥(は)がれ落ちていく点」は、世界史と日本史とを問わず歴史学において、かなり重要な指摘だと思える。人間同士の支配関係に金銭授受が軸になった時、被支配者は金銭を払えば自由になり、同時にそれまでの金銭を介しない抑圧を「不当な経済外的強制だ」と初めて意識でき気付いて、その不当な抑圧支配に反抗できるようになるからだ。

そして最後に「変革のおこる地域について」、いわゆる「辺境革命論」というものがある。

「いいかえれば、社会の発展というものは、一直線的に、ある一つの社会がその矛盾を露呈し、それと同一の社会が自力でそれを克服してゆく新しい創造力を発揮するというのではなくて、旧体制と新しい要素とが混合または接触するような周辺地帯に、次代をきりひらく新しい体制の萌芽がうまれるのではなかろうか、ということである」(189ページ)

前半の「一直線的に、ある一つの社会がその矛盾を露呈し」云々は明らかにマルクス主義、史的唯物論の弁証法的発展に対する批判になっている。例えば著者はフランク王国を三つの地域に区分し、南部はローマ大土地貴族の本拠でラテン的教養と地中海式農業が残存し、北部はフランク族の本拠でゲルマン的性格の強い地域とする。そして、これらの中間に位置する「ローマの伝統とゲルマンの特性が隣り合う第三の地域」で旧体制と新しい要素の文化の混合・融合の化学反応が起こり、新たな変革(三圃農業など)が生まれるとしている。

なるほど、この「辺境革命論」は実に面白い。ヨーロッパからすれば、隣接する文明の発生起点であるナイルのエジプト、メソポタミアのアジア・オリエントの存在はかなり大きい。まずそれら中核地があって、それから文化の中心がギリシア・ローマの地中海地域に時代を経て移っていき、次にゲルマン民族の移動でフランク王国あたりの北部が発展して開かれ、さらに近代以降の国際覇権国家の変遷を加えると「スペイン・ポルトガル─オランダ─イギリス─アメリカ」となり、エジプト・メソポタミアを中核起点にして「変革のおこる地域」が辺境にずれて北西方向に直線的に上昇していっていることが分かる。昔のフランスであるガリアはローマ人から見れば何にもない単なる辺境であり、イギリスも地中海地域から遥かに離れた辺境の島でしかない。そして、それらは明らかに周辺地域だから、中心の旧体制とは異質な新しい要素の文化(地中海貿易、アフリカ・大西洋航路、アメリカ新大陸への到達、ローマ教皇からの自立、地域国家の成立など)と接触して混合・融合の化学反応が起こる地域となる。歴史を大局的に見て、周辺地帯や辺境は「次代をきりひらく新しい体制の萌芽」といえる。

日本も、中国を中心とする「東アジア文化圏」のなかでは東端の周辺の辺境である。「中華」の中心起点から朝鮮半島の東の端まで行って、さらに海を渡らなければいけないので。東アジアでは、従来の「東アジア文化圏」からの自立も、西洋の近代主義の柔軟な摂取の近代化も、ほぼ辺境の日本から始まる。まさに「変革は周辺地帯の辺境から」なのであり、私は腑(ふ)に落ちて合点(がてん)がいく。