アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(10)岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」

岩波ジュニア新書の岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」(2003年)は「ヨーロッパ思想」について、かなり思いきった原理的構成の単純化をやっている。そして、それが見事にはまっている。

「ヨーロッパ思想は二つの礎の上に立っている。ギリシアの思想とヘブライの信仰である。この二つの礎石があらゆりヨーロッパ思想の源泉であり、二000年にわたって華麗な展開を遂げるヨーロッパの哲学は、これら二つの源泉の、あるいは深化発展であり、あるいはそれらに対する反逆であり、あるいはさまざまな形態におけるそれらの化合変容である」(「はじめに」)

「ギリシアの思想」とは万物の根源を探求するギリシア哲学であって、それが呪術を排した合理的な自然科学の発展の元となり、「ヘブライの信仰」とは、すなわちキリスト教のことであって、それが人権思想・個人主義の精神的背景になっているとする。よく歴史学でヨーロッパ崇拝、ヨーロッパ中心主義が批判されるが、現在世界を覆ってる近代主義は所詮「ヨーロッパの発明品」であって、近代の二本柱たる自然科学と民主政治(人権思想)は、ここで著者が指摘している「ギリシアの思想とヘブライの信仰たるヨーロッパ思想の二つの礎石」とそのまま対応する。確かに世界のなかでは「単に一つの地域のヨーロッパ」でしかないが、科学主義と個人主義というかなり有用で普遍性ある「ヨーロッパ思想」の原理のもと確実に現代の世界は動いているので、やはり「偉大なヨーロッパ」、もちろん中東、南アメリカ、アジア、アフリカに対する後の植民地主義の問題もあるけれど、「腐っても鯛(たい)」のような「腐ってもヨーロッパ」なところが私の感触として強くある。

本書は「ヨーロッパ思想」の原理的構成に対応するように第一部で「ギリシアの思想」、第二部で「ヘブライの信仰」をそれぞれ説明し、第三部ではそれら原理の上に展開された「ヨーロッパ哲学のあゆみ」について述べている。第三部のなかで、私の心に響くのは「カントの道徳法則」と「ロールズの正義論」だ。

カントに関しては「人間はいかに生きるべきか」、本能による因果律の欲望充足や「幸福」の獲得ではなく、理性による「もっと高い善」の遂行、すなわち道徳的絶対命令の履行の問題である。では、その道徳的絶対命令とは何か。「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」(177ページ)。要するに「自分の主観的な判断や行為が自身のみに利することがないよう、同時に他者にも、あてはまるよう判断し行動しろ」ということだ。「個別的幸福の欲望充足は、所詮は動物的な本能の働きの現象界での自然の因果律であって、他者のことを目的の人格として考えない普遍性なき意志は人間として物自体に半架橋した理性を何ら活用していない」ということになる。

この「現象界における本能による個別的な欲望充足の感性的生き方」と「物自体における理性による普遍的道徳実践の理念的生き方」の対立思考の間に成立する実践理性の道徳に思わず私は舌を巻く。それでヨーロッパの人が果たして、そのようなカントの普遍的道徳律を理性により実践しているのか、今まで実践してきたのか甚だ怪しいわけだが、しかしながら、こういう理性による人間の欲望充足のエゴイズムの乗り越えをドイツ観念論にて掘り下げ突き詰めて考えられているところが、たとえ哲学上のきれいごとであったとしても「ヨーロッパ思想は良いな」といった感慨を私は持つ。

他方、ロールズの正義論は特に第二原理「配分の原理」が心に響く。「自由競争社会において、大きな能力によって大きな成果をあげた者は、乏しい能力のために成果をあげえなかった弱者に、その富を奉呈しなければならない」。なぜなら「能力は個人のものではなく社会の共有財産」であり、「能力は偶然に与えられたものだからである。自分はたまたま優れた能力をもっているが、乏しい能力の所有者であったとしても少しも不思議はない。自分はたまたま日本人であり、たまたま女であり、たまたま健康であったが、すべてそれ以外であったとしても少しもおかしくない。それゆえ、能力を私する理由はないのである」(206・207ページ)。つまりは「公平配分の動機付け」ということだ。「人種も、性も、能力も、社会的地位も、自己本来のものと考えるべきではない。…民族や階級の出自・所属、能力の有り様にこだわる人は、自分の存在が理由なき偶然であることを忘れているのである」。ある意味、上手い具合に多少のフィクションも交え(なぜなら能力は個人の努力で後天的に花開くこともあるから)、人種、能力、社会的地位を相対化(先天的であり、たまたま偶然に個人が手にしたものでしかない)することで、「社会的弱者への公平配分の正義の要請」が促される仕組みになっている。

特に現代社会は新自由主義(ネオリベラリズム)のもとでの能力至上主義で、能力なきものは「使えない」人間として市場原理で弾かれ排除されて、あからさまに人格否定される風潮があるので、こうした「個人の能力や社会的地位は、実は理由なき偶然によるもの」でしかなく、個人の能力崇拝の過酷な競争に歯止めをかける、能力の乏しい社会的弱者への配分正義の配慮の論理(フィクション)があってもよいと思う。

そして、カントの理性信仰による普遍的な道徳律の実践ゆえの個別的・感性的な「幸福」追求の否定も、ロールズの「能力・社会的地位の諸々は、たまたま偶然に個人に寄与されたもの」とする能力主義の相対化も、おそらくは「ヨーロッパ思想」の源泉のひとつである一神教のキリスト教原理の影響がかなり強いと感じる。