アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(25)相良守次「記憶とは何か」 高木貞敬「記憶のメカニズム」(その2)

「記憶力を強くするにはどうすればよいか」。前回と同様、昔の岩波新書の青、相良守次「記憶とは何か」(1950年)と高木貞敬「記憶のメカニズム」(1976年)を参考に便宜、私の経験も交えながら以下、「記憶力を強くするヒント集」的に有効と思われるものを出来るだけ数多く挙げるかたちで今回も続けていこう。

前回述べたように、記憶とは「記銘─保持─(忘却)─想起─再認」の4つのステージからなり、「記憶する」とは何らかの「記憶痕跡」を自身の中に形成し残すことである。そこで記憶に関する心理学的用語で「体制化」と「抑制化」というものがある。「体制化」とは、記憶痕跡が自身の中に形成され記憶が定着してすぐに覚えられること。逆に「抑制化」とは記憶痕跡の定着が妨げられ、なかなか覚えられないことである。よって記憶力を強くするためには、記憶の第一段階である最初の「記銘」にて「抑制化」を出来るだけ回避し、同時に「体制化」を出来るだけ促進するような環境整備や主体の条件付けをしてやればよいわけだ。

また物事を覚える環境手順に関し、「遡向抑制」と「順向抑制」というのがある。「遡向抑制」とは、後の経験からもたらされる物が先の経験内容の保持を損じ忘却の重大な原因になること。「順向抑制」とは、類似の系列を先に学習させると、その後に学習の主系列の類似の項の記銘が阻害されることである。つまりは、物事を覚える「記銘」の前後に似ている内容や経験を重ねると先の記銘と後のそれとの間に混同・同化の現象が起こり、記憶痕跡の正常な定着が妨げられる。ゆえに「効率的に正確に覚えられない」弊害が生じる。こういった「遡向抑制」や「順向抑制」を防ぐには、記憶痕跡同士が一緒に寄り合い同化することの防止に配慮すべきで、記憶する環境手順に際し、混同しやすい類似の内容や作業が連続しないよう工夫する必要がある。例えば学生の試験勉強ならば、歴史科目の日本史を覚えた後に続けて同じ歴史科目の世界史をやると先と後との類似な学習内容からもたらされる混同・同化の「遡向抑制」ないしは「順向抑制」が相互に生じるため、日本史を勉強した後にあえて理系科目の数学をはさみ、その後に改めて世界史を勉強する、もしくは各教科の学習終了ごとに適度な休憩を入れるなどして「抑制化」防止に努めるべきである。

記憶の第二段階である「保持」については、「エビングハウスの忘却曲線」が昔から記憶術指南書の類(たぐ)いにて定番で必ず紹介されており、私など食傷気味だが(笑)、やはり重要である。「エビングハウスの忘却曲線」というのは、心理学者のエビングハウスが行った実験結果をグラフにしたもので、「人間が記憶した内容はどれくらいの時間で忘れてしまうのか」に関し、「節約率」(一度記憶した内容を再び完全に記憶し直すまでに必要な時間をどれくらい節約できたか表す割合)の記憶具合と時間経過とを曲線グラフにしてみたら、横軸の時間が経つごとに縦軸の記憶保持の度合い数値が記銘の直後から短時間で一気に大幅に下がり、あとは緩(ゆる)やかな勾配を描きながらゆっくり下がり続けていくというものだ。この実験結果を踏まえ、「記憶を保持させるには定期的に見直し復習を行い忘却曲線の下降を防ぐべき」というアドバイスが昔から定番でされている。エビングハウスの忘却曲線の下降カーブから見て、「記憶保持のためにより効果的で最適な見直し復習のタイミングは、学習記銘から1日後と1週間後と1ヶ月後の計3回」であるらしい。なるほど、「記銘」の後の「保持」にて「記憶痕跡」の消去や変容を防ぐために繰り返し見直して記憶の保持率を高めることは非常に大切で、記憶内容の確認・反復は記憶術にて必須の作業であるといえる。

その他、記憶痕跡の「保持」に関しては「レミニセンス現象」というのがある。「レミニセンス現象」というのは、記銘の直後には今できたばかりの記憶痕跡が互いに抑制し合うため直後の再生はうまくいかないが、しかしその抑制作用が止(や)んだ後には再生が容易になる。よって記銘の直後よりも、しばらく時を経る方が痕跡相互がよりまとまり整理され記憶痕跡が体制化されて結果、記憶の再生が容易になる現象を指す。

私達の実際の経験でも、スポーツ技術習得など言語を介しない「非陳述記憶」や試験勉強や仕事の手配・段取りの言葉を使った「陳述記憶」にて、詳しく教えられたけれど記銘の直後にはミスが多く、なかなか上手に出来なかったのに、しばらく時間経過して失敗を繰り返しながらもめげずに根気よく継続して努力を重ねていると、ある瞬間から突然、驚くほど飛躍的に向上し上達して上手に出来るようになることがある。あれこそが「レミニセンス現象」であり、記憶痕跡が自身の中で体制化して定着するには記銘して即ではなく、ある程度の時間をかけて徐々に自分の中に記憶痕跡が、ゆっくり定着し神経間の組織化が保持され、痕跡相互の連関が緊密に形成される。それは表面的な模倣や即席の「インスタント記憶」ではなく、いわば「遂には自身の血肉になる。初めて自分の腹の底から感得し本当の意味で分かる」状態になるのだと思う。だから、スポーツの技術習得でも勉強の成績向上でも教えられたのにすぐに出来なくて成果が出なくとも、そこで諦(あきら)めてはいけない。人は記銘し覚えても「記憶痕跡」が安定し体制化されるまで上手く再生できない。記憶が自身の中で緊密に組織化して定着し「保持」されるのを待つ停滞期間が少なからず必要だ。その事を知り「レミニセンス現象」による痕跡体制化までのタイムラグ(時間のズレ)を想定し、事前に繰り込んだ上で根気よく記憶の努力を続けなければならない。

また、この「レミニセンス現象」を理解しているなら、物事を学習する際には「集中的試行法」(休みなく立て続けに繰り返し試みる方法)ではなく、「分散的試行法」(休みを適度に入れながら反復して繰り返す方法)の方が「レミニセンス現象」を介した痕跡の体制化には効果的で、記憶したい事柄は一気に集中して短時間でやりきるよりも、作業を細切れ分割し長期日程の習得計画にて余裕を持って「レミニセンスによる緩慢な記憶定着」を待ちながらやる方がより効果的であると知るはずである。

「保持と睡眠の関係」については、よく指摘されるように確かに睡眠中の無意識状態にて記銘した記憶痕跡の体制化が活発に促進され、記憶痕跡の保持が効果的にはかられる。これは私の経験からしてそうだ。私は、どうしても覚えられない知識事項を夜寝る直前に確認し、それからすぐに寝て朝起きた時、即座に再確認するという事を一時期よくやっていた。その方法でやると、どんなに複雑で難解な事柄でもさすがに覚えられる(笑)。人間は寝ている間の無意識下にて痕跡が体制化し、記憶が定着する。文字通り「人は睡眠中に学ぶのだ」と実体験からして強く思う。

記憶の第三段階である「想起」と第四段階の「再認」は共に再生に属する過程で、「想起」とは記憶痕跡を集めて過去の印象痕跡を引き寄せ再構成すること。「再認」とは再生された過去経験の痕跡が、かつてのものと同一だと認識了解することである。

記憶に関するよくある悩みで「ここまで出かかっているのになかなか思い出せない」というのがあるが、あれは「想起」プロセスに問題があるからで、「なかなか思い出せない」問題の根本を更にたどると前段階の「保持」と「記銘」のあり方に問題がある。おそらく記銘・保持での記憶痕跡の形態が安定しておらず、「よい形態」で記憶保存が出来なかったので痕跡が消去・変容してしまったか、ないしは「想起」が長期間行われず再生契機がなかったため保持されていた痕跡印象が薄れてしまったか、もしくは記憶内容に類似した物が連続してあり、痕跡が混同して再生できない「再生抑制」が生じているかだ。したがって、その場合には記憶痕跡の形態のあり方を見直す、反復確認して「想起」を習慣づける、記憶内容を整理配置して痕跡同士の「抑制」を解消するの解決策が考えられる。単に「私は記憶するのが苦手で私は記憶力が弱い」の思い込みで終わらせず、原因を理知的に追究し対策することが大切である。

よく学校の授業で「確認テスト」を頻繁にやったりするが、あれは「想起」と「再認」の手続きを繰り返しやらせることで「保持」の記憶痕跡を安定・定着させる効果を狙ったもので、実は大変に意味あることなのだ。だったら他人の教師から形式的な確認テストを殊更(ことさら)やってもらわなくても、自身の心の中で「××は何だったかな」と「自問自答の想起と再認の再生操作を日常的に頻繁に繰り返し、絶えず保持の痕跡を保つ思考習慣を身に付ける」ことも、これまた記憶には効果的だ。

また「非陳述記憶」の運動技術や「陳述記憶」の知識内容を「想起」し「再認」する際には、記憶内容そのものだけでなく「記銘」時の状況印象(「いつ・どこで・どんな風に記憶したか」)の出来事(エピソード)に絡めて半ば強引に、いわば「エピソード記憶」として記銘し想起・再認に活かす方法も効果がある。私は旅行のとき書籍を持参し、よく旅先で読むが、後々その書籍の内容を思い出す際に「この本は、あの旅の滞在中にあの時あの場所で読んだな」と旅先エピソードと共に内容知識を明快に思い出すことが多い。「理想的な程度の高い再認」とは、初手の記銘・保持と出来るだけ同一で忠実で正確な再生であることだ。

加えて、過去に失敗したり習得に苦労した経験は強烈な「エピソード記憶」となり、痕跡印象が強められて人はなかなか忘れない。「記憶における失敗や挫折の効用」というのは確実にあって、過去に手痛い失敗をしたり一度挫折し放置して後に再度着手したりすると、印象痕跡が強化され忘れにくくなる。だから、もし状況が許すなら「記銘」の段階にて、わざと「失敗」したり中途で「挫折」するのも記憶力を強くする一つの有用な方法かもしれない(笑)。

「記憶と心ぐみ」については、やはり重要であり、記憶とは「記銘─保持─想起─再認」なわけだから、常に「今、自分がやっている作業は記憶ステージのどの段階に当たるか」意識してやることが必要だ。例えば「記銘」の第一段階においては、「絶対に覚えよう」とする強い意思を持って記憶しなければいけない。ただ何となく漠然と記銘の作業をやっても覚えることはできない。同様に「想起」の段階では、「記憶痕跡を出来るだけ正確に漏れなく再構成しよう」という強い意思を持って思い出さないといけない。よく毎日継続してやっている日常仕事のルーティーン作業や「既知体験」に関し、ついつい度忘れしてしまうというのは「想起」と「再認」の明確な意識が欠落しているからで、それは「無意識下の慣れの油断」から生じる。よって記憶のステージ全4つの過程にて、常に緊張感を持って取り組まなければならない。この「緊張度を高める記憶環境の工夫」としては、例えば記憶の締め切り期日を設ける、記憶する事柄達成の最低ノルマを課す、厳しい指導者の下であえて練習(記憶)するの方策が考えられる。しかしながら、あまりに極度の緊張や「必ず覚えなければいけない、絶対に忘れてはならない」の重い心的負担にさらされ続けると逆に記憶能力が正当に発揮できないので、他方ある程度の「精神の楽天性」(「必ずしも一度に全部、完璧に覚えなくてもよい」)も必要である。

その他、身体コンディションを整えることも大切だ。飲酒、喫煙、睡眠不足は確実に記憶に良くない。特に睡眠不足は記憶に際して弊害以外の何物でもなく、前述のように「人間は寝ている間の無意識下にて痕跡が体制化し記憶が定着する」のだから良質な記憶のためには絶対に徹夜などせず、必ず一定の睡眠時間を確保しよう。あと肥満も記憶に良くない。「一日一食」の少食にしたり、数日間絶食(断食)すると人は神経が研ぎ澄まされ記憶力が増すという実験データもある。また記憶力を強くする食物(良質なタンパク質、アミノ酸など)の摂取も有効だ。適度な運動も記憶には良い。適度な身体刺激は脳細胞や伝達神経を活性化させる。

最後に、言語を介した「陳述記憶」には「機械的記憶」(数字の羅列、意味をなさないつづりの系列の無意味材料に関する記憶)と、「図式的記憶」(数字や用語個別に意味はあるが、断片的で相互に関連つながりがない羅列の半意味材料に関する記憶)と、「論理的記憶」(個別に意味内容があり意味的に相互に関連を持ち、各部が全体の論理の脈絡の中に収められてある有意味材料に関する記憶)の3つがある。

私たち人間の脳は非常によく出来ていて意味のないことや必要のないことは結局は覚えられない。そのように人間の記憶メカニズムはなっている。明らかに「機械的記憶」や「図式的記憶」に該当な無意味な事柄の記憶に際し、語呂合わせやイメージ連関の連想法やリズムによる暗誦を利用して無理矢理に強引に記憶するのは私は全く感心しないし、その手の記憶術を実際に私は使わない。やはり人間の記憶の仕組みからして、意味のない事柄は覚えられないように人の脳は出来ている。だから、意味のある「論理的記憶」以外の「機械的記憶」や「図式的記憶」はなるべく回避すべきであり、そういった無意味な「機械的記憶」や「図式的記憶」を強いられる困難な窮地に自身を積極的に置くべきではない。意味のない「機械的記憶」や「図式的記憶」に自分を、いたずらにさらさないことが賢明である。

しかし人として生きていると無意味な「機械的記憶」や「図式的記憶」を強いられる困難も時にあるわけで(例えば学生の試験勉強で無意味な数字羅列の歴史の年号を覚えないといけない、社会人の商談仕事で無原則な商品の種別記号や規格数値を正確に覚えておかないといけない)、そういう時は仕方がないので語呂合わせやイメージ連関の連想法やリズムによる暗誦を利用して乗り切るしかない。だが、人間の記憶の本筋はあくまでも相互に緊密な関係を備えている意味ある「論理的記憶」であって、まず「記銘」し安定した良質な「記憶痕跡」を形成して「保持」し、しかし一時的に「忘却」して、それから「想起」しさらに「再認」する過程にあるべきで、それら語呂合わせやイメージ連関の連想法やリズムによる暗誦は、いよいよ困った時に緊急的に使う「その場しのぎの記憶法」でしかないと私は思う。