アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(27)金沢嘉市「ある小学校長の回想」

岩波新書の青、金沢嘉市「ある小学校長の回想」(1967年)の帯には次のようにある。

「本書は真実の教育のために悩み闘ってきた一教師の記録である。著者は戦時中、国家に忠実な教師として出発し、戦後その姿勢を反省し、現場の教師として、後には教頭・校長として民主教育・平和教育に力をそそいできた。子どもの力をどう伸ばしたらよいか。そのための学級・学校経営や父母との協力の仕方、また受験準備教育や、ゆがんだ国家統制への批判などを四十年にわたる体験を通じて語り、今後の教育実践の方向を示唆する」

本書は、師範学校卒業のち昭和三年に東京郊外の農村に小学校教師として赴任し、そこからキャリアを重ね、最後は都心の「小学校長」になるまでの著者の教師としての苦労や喜び、氏の四十年にわたる教職経験を「回想」で振り返るもので、文字通りの「ある小学校長の回想」である。「著者は戦時中、国家に忠実な教師として出発し、戦後その姿勢を反省し、現場の教師として、後には教頭・校長として民主教育・平和教育に力をそそいできた」。奇(く)しくも著者の教職キャリアが戦中と戦後をまたいでいることから、戦時に「国家に忠実な教師として」軍国主義教育に加担していた著者が、戦後どのような反省や自己批判、葛藤や良心の呵責(かしゃく)、新たな目標と抱負の様々な思いを背負いながら学校現場に復職し教職再開の途に就(つ)くのか。この辺りの「回想」記述が、おそらくは本書での最初の山場の読み所となるに違いない。

少なくとも私はそうしたアタリを付け本書を手にとったわけで、戦前の日本の軍国主義の国策遂行の末端機関たる学校現場の教員として戦争加担して、しかし敗戦を迎え戦後民主主義の自由と平等、反戦平和の教育風潮の中で戦前の日本の国家のあり方や今まで自分がやってきた国家主義的教育に疑問を抱き、さりとて安易に「転向」して戦後の民主的教育に新たに着手する図々しさも自分にはなく、それで教師の仕事そのものが馬鹿らしくなって未練なく潔(いさぎよ)く教師を辞めた、例えば「氷点」(1965年)の著者でキリスト者の三浦綾子の事例を私達はすでに知っている。

この辺りのことは第二章の「敗戦と教育」に記載されている。

「『鬼畜米英』も教えた。『打ちしやまん』とも教えた。『大君のへにこそ死なめ』とも教えた。そして卒業生たちには出征のたびに激励のことばも送った。その私がどのつらさげて再び子どもたちの前に立つことができようか。政府の指導者は大いなる誤算であったとすましていられるかも知れないが、一人一人の魂に接していく教師、人間の真実に迫っていく教育、つねに真理を真理として教えていく教師が、今までのことはまちがいであったと簡単に言うことは道義的にはできないのである。それが純真な子どもであればある程人間としての責任の深さに思い悩んだ」(44ページ)

これはあくまで私の読みの印象であり、よって最終的には各自で読んで判断してもらうしかないが、著者の言葉が比較的軽い。著者にとって「回想」すること自体が相当に辛いはずの戦後の新教育への自身の転向経験を直に述べる「戦後その姿勢を反省し」の内実に関しては短い字数で前半の早い章にて早々に記述を済ませ、「現場の教師として、後には教頭・校長として民主教育・平和教育に力をそそいだ」自身の戦後の民主的教育の実践「回想」へと主に話は移っていく。

本書を読みながら、「回想や自伝は自分のことを自分で書くのでどうしても自己評価が甘くなる。しかし、それは人としてやむを得ない。自身を過酷に批判したり完全否定の厳しい筆致で回想・自伝に臨めば、その人の人格は破綻してしまう」という回想や自伝を読む際の教訓を今更ながら思い出し、私は噛(か)みしめていた。そして本書のほとんどの部分を構成する「現場の教師として、後には教頭・校長として民主教育・平和教育に力をそそいできた」著者の戦後の取り組みにて、どんな人が書いても回想・自伝に付き物な「自身の手柄」の書き連ね、そのことに対し多少の違和はあるものの、それが本書への過小評価に繋(つな)がることは決してない。回想や自伝というのは、当人が自分のことを書く限り誰でも少なからず自身に有利な内容に筆が傾くものである。

だが結局のところ、著者は最後は校長の役職にまで登り詰めるほどの方で、本文中にあるような著者が戦前・戦中の自らの国家主義的教育実践への反省から戦後に一転して、いくら都の教育委員会と学校経営予算や体育館建て替え計画を巡って険悪になろうとも、著者が中学受験の進学主義に反対し児童の父母と対立しようとも、そういった「回想」内での体制教育反発の著者申告の「武勇伝」はそれはそれ、最後は互いに関係破綻がないよう時に妥協の落とし所を探し、著者も引く所は引いて問題処理していっているはずで、本書には書かれざるそういった場面がおそらくは現実にあったであろうことも推測できる。常識的に考えて、例えば日教組に属して猛烈に反戦・平和運動をやったり、教育行政による管理主義への対抗や現場教師の待遇改善のために労働運動を現場指揮している教員、進学指導に反対し保護者から激しく反感を買っている教員は、教頭や校長の学校管理職にはなれない。それら教師に出世の道はなく、おそらくはほとんど平のままの教員で定年を迎え退職していく。「小学校長」にまでなる教師には、それなりの保守性や妥協の要領のよさがあるはずで、また教頭や校長になるにあたり教育委員会や父母会の推薦・協賛もあるに違いなく、そういう面は「小学校長」にまでなるその人の力量・長所であり、決して私は否定しない。

こうした醒(さ)めた意識も他方で持ちつつ、「小学校長」たる著者による教職経験の「回想」を通し、戦後日本の教育をめぐる様々な問題をコンパクトに概観一望できる。そこが岩波新書の青、金沢嘉市「ある小学校長の回想」の最大の良さだと私には思えた。

本書にて触れられている「戦後日本の教育をめぐる様々な問題」とは、すなわち教育現場への国家の統制圧力(任命制教育委員会法、全国勤務評定実施、「教育の政治的中立の確保要請」という名目での教員の組合運動つぶし、教科書検定実施と検定の強化など)、教育行政と学校現場の軋轢(学校経営予算の配分確保、行政による事務的・一律的な割り振り仕事、全国的な学力テスト(学力調査)の実施、「モデル指定校」や「底辺校」ら学校の序列化・格付け問題、現場教師の労働環境改善への不作為など)、反戦・平和教育の後退、中学受験の進学主義、教師の暴力(体罰)と無気力、子どもたちの無気力・精神荒廃・暴力(いじめ、不登校、文化教育や情操教育カリキュラムの欠如)、子どもの貧困(各家庭の貧困問題)らである。

本書での著者の結語は以下だ。

「校長はつねに教育の指導者であり、先駆者である。そしてまた防波堤でなくてはならない。このことは、私自身に対する戒(いまし)めのことばであるとともに、また私の誓いのことばでもある」(214ページ)

「指導者」とは、校長は学校管理者であるだけでなく、進んで先頭に立ち他教師や父母とスクラムを組んで同じ方向に向かう姿勢でなければならない。「先駆者」とは、官僚的になり中央集権化が進み民主教育が後退しつつある今日、校長は民主教育を進める先頭に立たなければならない。「防波堤」とは、校長は教師と権力の板ばさみに苦悩せず、上から周りから学校現場に押しつけられる力に対し防御に徹しなければならない。