アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(34)小熊英二「生きて帰ってきた男」

フランクル「夜と霧」(1946年)やソルジェニーツィン「収容所群島」(1973年)など、「収容所文学」ともいうべき二0世紀の苛酷体験を素材にした文学を私達はすでに相当持っており、そのジャンルの作品は今では量質ともにかなりの蓄積に上(のぼ)る。

近代日本文学における収容所文学といえば、石原吉郎「望郷と海」(1972年)が私は即座に思い浮かぶのだが、岩波新書の赤、小熊英二「生きて帰ってきた男」(2015年)も、その石原「望郷と海」と同じくシベリア抑留帰還者による収容所体験記に当たるものである。ただし当人の執筆ではなく、抑留帰還者からの第三者による聞き取りを素材に「ある日本兵の戦争と戦後」という一人物の生涯を通しての戦前・戦中・戦後の日本の生活史、社会史、民衆史を描き出す聞き書き、いわゆるオーラルヒストリー(口述歴史)となっている。しかも「第三者による当事者からの聞き書き」というのが赤の他人ではなくて、血縁の父子関係を介してであり、子の小熊英二が父・謙二の話を聞いて著作にまとめた体裁である。岩波新書、小熊英二「生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後」の概要は以下だ。

「とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活模様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五年生まれ)の人生を通して、『生きられた二0世紀の歴史』を描き出す」(表紙カバー裏解説)

また「あとがき」にて、著者の小熊英二は述べている。

「本書は、一九二五年生まれのシベリア抑留体験者のインタビューをもとに構成されている。この本は二つの点で、これまでの『戦争体験記』とは一線を画している。その一つは、戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いたことである。多くの『戦争体験記』は、戦前および戦後の記述を欠いている。そのため、『どんな境遇から戦争に行ったか』『帰ってからどう生きていったのか』がわからない。…二つめは、社会科学的な視点の導入である。同時代の経済、政策、法制などに留意しながら、当時の階層移動・学歴取得・職業選択・産業構造などの状況を、一人の人物を通して描いている。本編は一人の人物の軌跡であると同時に、法制史や経済史などを織り込んだ、いわば『生きられた二0世紀の歴史』である」(379ページ)

なるほど、小熊が父・謙二の経験を記録するにあたり、苛酷なシベリア抑留体験以外にも生誕から学校進学、入隊、大陸戦地へ従軍、抑留解放後の帰国、そして戦後の生活まで聞き書きにて全て書い抜いており、この本は著者の父のシベリア抑留の苛酷生活のみを記したものではない。父の生家の間取や近所の地図、就職・転職の職歴や給与の詳細、年金の加入と給付状況、転居や新築の履歴に子細で、例えば会社の公用車や自家用車の購入履歴の具体的車種(「サンバー」とか「スカイライン」だとか)など正直、私にはどうでもよいと思える枝葉末節な生活の隅々に至るまで非常に事細かに詳述している。この辺り、一般庶民の生活の正確な記録に努める民衆史の社会科学的視点、歴史社会学を標榜する小熊英二の矜持(きょうじ)によるものか。

オーラルヒストリーにおける口述の語り手たる著者の父・小熊謙二が、良い意味での理念的な「名もなき民衆」であり、ゆえに氏は自身の戦争体験を通し肌身に染みて戦中の軍隊や国家や戦後の社会に対し確実に思う所がある。だが、その自身の思いを理論に昇華できない。しかし、世間一般に流通している戦争体験記や戦争文学における不自然な物語劇化の虚偽は自身の戦争経験から明確に批判できる。でも、その反感の思いを公的発言や文章にして残すことはない。著者の父・小熊謙二は本来ならば「名もなき民衆」の一人として言葉の記録を残さず、無言のままやがては去っていく存在である。

例えば、自身の兵隊経験に照らし合わせ昭和天皇の戦争責任に関し小熊謙二は、「自分は兵隊だったから、開戦の詔勅を書いた大元帥は、戦争に負けたら責任をとるのが当然だという感覚だった。…天皇陛下は、ここで一度退位したほうがいいと思う」(186ページ)と考えていた。またアジア諸国への戦争責任、日本軍の一般市民に対する戦時暴力に関し、戦後の日本社会が歴史修正主義に傾き南京虐殺事件の存在が否定される、もしくは市民への戦時暴力の問題が軽く見積もられる風潮に対し謙二は、「『南京虐殺はなかった』とかいう論調が出てきたときは、『まだこんなことをいっている人がいるのか』と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。…シベリアの収容所にいたとき、中国戦線の古参兵である高橋軍曹が、猥談のついでに残虐行為の話をしていた。戦火をさけて中国人の婦女子だけが隠れている場所を発見し、集団暴行をしたというような内容だった。ほかにも古参兵たちの伝聞で、日本軍がどんなことをやっていたのかはだいたいわかった」(312ページ)、「政治家が靖国参拝をくりかえすことや、南京事件が虚構だとかいった論調にたいしては、もはやあきらめの心情だ。しかし『静かな怒り』はいつもある」(376・377ページ)と述べて憤(いきどお)る。

だが、その一方で戦後に「不戦兵士の会」に参加して「例会では、藤田省三さんが講演したりしていた。『アジアへの戦争責任』とか『被害者から加害責任への転換』といった話も聞いた。自分は理論的なことはあまり考えないし、話がむずかしかったから、『なるほどなあ』という感じだった」(335ページ)。小熊謙二は「不戦兵士の会」と距離を置き、やがては疎遠になる。また帰国後に戦争文学を読んで、軍隊小説の野間宏「真空地帯」(1952年)に関しては「レベルが高すぎてよくわからなかった。斜め読みするには適さない作品だった。自分は忙しかったから精読できなかった」(310ページ)、収容所文学のソルジェニーツィン「収容所群島」については「独特の文体で、ラーゲリ(収容所)という特殊状況が書かれていた。細かい文字がびっしりの本で、読みにくいのを耐えて全部読んだ」(314ページ)と答えて理論的な話は苦手で「よくわからない」旨を正直に明かす。自身の直接の戦争体験を理論に昇華させることは不得意である。

しかしながら他方で五味川純平「人間の条件」(1956年)の軍隊小説に対し、「あまり感動はできなかった。実際に軍にあれだけ反抗したら半殺しになるし、耐えることはむずかしいから、スーパーマンの話だと思った」(309ページ)と一刀両断、世間一般に流通している戦争体験記や軍隊小説における不自然な物語劇化の虚偽は自身の戦争体験から明確に批判する鋭(するど)さも持つ。

著者の父である小熊謙二のように、自身の戦争体験を通し肌身に染みて、戦中の軍隊や国家や戦後の社会に対して確実に思う所がある、だが、その自身の思いを書き言葉にして理論に昇華できず、自身の思いを公的な発言や文章にして残すことなく無言のまま、そのまま去っていく名もなき民衆はいつの時代にも多い。実は私もあなたも含めて、ほとんどの人がそうである。だからこそ「記憶とは、聞き手と語り手の相互作用によって作られるものだ。歴史というものも、そうした相互作用の一形態である。声を聞き、それに意味を与えようとする努力そのものを『歴史』とよぶのだ」(388ページ)とする小熊の「歴史」観に裏打ちされたオーラルヒストリーは記述され後々まで残されなければならない。そして、その口述歴史の営みは、沈黙して無言のままやがては去っていく名もなき民衆個々に対し、その人の生の意味を汲(く)み取り掘り下げて、結果「歴史」として後世に永(なが)らえさせることを可能にするのだと思う。すなわち「父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである」(389ページ)

ただ小熊英二「生きて帰ってきた男」を読んでいて、氏の父・謙二の戦前・戦中・戦後の人生の軌跡に私がそこまでのめり込んで時に圧倒されたり深く共感したりで熱心に読めなかった、比較的フラット(平板)な醒(さ)めた気持ちで読了したというのもこれまた読後の率直な感想だ。以前に石原吉郎「望郷と海」を初めて読んだときのような、生と死の人間実存を考えさせられ心をわし掴(づか)みにされて震撼する、そういった衝撃は小熊「生きて帰ってきた男」には無かった。それはなぜなのか。

その一つの要因に聞き書きのオーラルヒストリーにて、最終的に執筆してまとめるのは直接体験をした語り手ではなく第三者の聞き手であり、第三者を介しての間接的な歴史記述になるため、本来は「書かれざる歴史」としてあった語り手自身の体験歴史の内実が薄められ、語り手その人の歴史の生き方内容にオーラルヒストリーの読み手は直にたどり着けない、さらにはその手前のオーラルヒストリーの聞き手たる歴史の書き手の記述の手際(てぎわ)が時に気になって結果、オーラルヒストリーの内容記述に対し、そこまで深くのめり込んで時に圧倒されたり深く共感したりで熱心に読めないといったことも、オーラルヒストリーという間接的な聞き書き形式そのものの原理的問題としてある。

本書に即していえば、父・謙二の人生軌跡の内容よりも息子・英二の聞き書き形式のあり様の方が場合によっては気になってしまう。そうした著者の聞き書きにて、まとめる際の気になる失策記述が本書にはいくつかある。例えば117ページの「大日本帝国の朝鮮統治は赤字だったともいわれるが…」の一連記述が、その典型失策に当たる。これは父・謙二の直接の発言ではないし、謙二の発言から推(お)し量(はか)れるような心的本意でもない。オーラルヒストリーの聞き書きの中で、聞き手であり書き手である著者の小熊英二が自身の考えを牽強付会(けんきょうふかい)に書き入れ添えており、違和が浮き出てて見える。あの箇所を含む、いくつかの失策記述が小熊英二「生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後」にはあり、本書を読んでいて正直、私は気になった。