アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(38)山岡耕春「南海トラフ地震」

「南海トラフ地震」とは、海底プレート境界の南海トラフ沿いが震源域と考えられるプレート間地震のことだ。過去の記録(古文書の解読、地層堆積物の調査)から、南海トラフ地震は周期性を持ち、約90─150年の間隔で発生するといわれている。マグニチュード8から9クラス。2017年時点での今後30年以内の発生確率は70パーセント程度である。関東から東海、関西、四国、九州まで広い範囲で激しい揺れや津波に見舞われる。その前後に各地での連動噴火と誘発地震も想定される。日本の経済と社会の中枢を直撃するこの巨大地震は、ひとたび起これば未曾有(みぞう)の大災害をもたらす可能性がある。

さらに「南海トラフ地震」における「南海トラフ」の意味を岩波新書の山岡耕春「南海トラフ地震」に即し確認しておくと、

「南海トラフは、東海地方から西日本太平洋側の海底の地形につけられた名称である。『トラフ(trough)』とは、もともとは家畜を飼育するための『桶(おけ)』のことである。桶といっても丸いものではなく、竹を縦に半分に割った内側の形を思い浮かべればよい。そのような特徴を持った地形をトラフと呼んでいる。南海トラフはプレートが沈み込む場所であるが、その地形の特徴からトラフという呼び名が付けられたのである」(16ページ)

このような「南海トラフ」にて、プレート沈み込み圧力のひずみがたまると蓄積したひずみ解放のために地殻変動が起こり巨大地震となる。南海トラフにて、ひずみの蓄積とひずみの解放(地震)は繰り返し、発生間隔の幅はほぼ一定である。

岩波新書の赤、山岡耕春「南海トラフ地震」(2016年)は、南海トラフで発生する巨大地震について「必ず起こるか。いつ起こるか。そのとき何が起きるか。どう備えるか」という一般読者の4つの素朴な疑問に答える形で地震学者の山岡耕春が平易に解説している。ただあらかじめ述べておくと、新情報や著者ならではの独自の理論・予測はなく、普段から新聞・テレビや雑誌のマスメディアに接していたりネットにリンクして日常的に情報を得ている人には既知な事柄がほとんどだ。

まず「必ず起こるか」については、甚大な被害をもたらすと想定される巨大地震たる南海トラフ地震は誠に残念ながら近い将来「必ず起こる」と著者は断定している。

「南海トラフ地震は、必ず起こる。日本列島に住み、生きていくかぎりは避けられない、いわば『宿命の巨大地震』である。…昭和の地震からすでに七0年経過している。フィリピン海プレートは休むことなく日本列島の下に沈み込み、西日本の地殻を少しずつ押し縮めている。今こうしている間にも、刻一刻と次の地震に向けて、プレート境界にかかる力は少しずつ増加している。その日は必ず来る」(13ページ)

南海トラフ地震は日本に住む人にとって「宿命の巨大地震」など学術的な地震学専攻の学者としてあるまじき、やや扇情的な安っぽい週刊誌記事のような書き方になってはいるが、確かに「今こうしている間にも、刻一刻と次の地震に向けて、プレート境界にかかる力は少しずつ増加している 」。ひずみの蓄積は休むことなく、まさに今この瞬間にも刻々と重ねられており、やがては南海トラフ巨大地震は確実に起きる。

次に「いつ起こるか」については「固有地震モデル」や「時間予測モデル」の本書にての細かな解説を飛ばして結論だけいえば、「地震の長期評価」における確率計算の期待値は前回の南海トラフ地震から約88年後、つまりは2033年頃から発生確率が飛躍的に高まるらしい(48ページ)。「将来、南海トラフ地震が起こることは確実」として、ならば「いつ起こるか」。これはおそらく多くの人が非常に関心がある知りたい事柄で、各種の確率計算にて導き出される次に起こる南海トラフ地震は、前回地震の規模(ひずみ解放の程度)や新たなひずみの蓄積具合からして、「昭和の南海トラフ地震から約90年後、つまりは2030年代前半」という指標は有益だ。この指標により昨今、派手なメディア露出にて悪目立ちしている地震予知の輩(地震学者、占い師、有料メルマガ配信の地震予知サービス)が該当地域にて地震が連続すると、「これは南海トラフの前兆で要警戒。近日中に南海トラフ巨大地震が…」などと、やたら煽(あお)りまくる無責任な扇情的地震予知に振り回されずにすむ。やはり2030年前後での発生が妥当か。まだ2010年代や2020年代では、南海トラフ地震は時期尚早という見通しを持つことが出来る。

そして「そのとき何が起きるか」と「どう備えるか」については、本書の「第二章・最大クラスの地震とは」と「第四章・被害予測と震災対策」に記述がある。前者の「そのとき何が起きるか」に関しては、この岩波新書が2016年発行であり2011年に発生した東日本大震災からまだ5年ほどしか経過しておらず、巨大地震への恐怖心が人々の間に生々しく拭(ぬぐ)えずにあるためか、ないしは直近の巨大地震の教訓を受けての危機意識からか、南海トラフ地震の被害想定はかなり厳しく悲観的なまでに大きく見積もられている。次回の南海トラフ地震は、過去数度の割合にて起きるとされている東海、東南海、南海の三連動が、あたかも確実規定のような書きぶりである。近年の政府による南海トラフ地震の発生規模や被害想定が東日本大震災の経験を経て、あからさまに被害拡大方向に大幅修正された事例を見るにつけ、地震の専門家ではない素人の私からすれば「いたずらに究極事態を悪想定しすぎだ」と正直、思える。事実、「内閣府が想定した南海トラフで発生する最大クラスの地震は、地震本部によると過去一六00年間には発生したことがない」のである(208ページ)。南海トラフ地震は近い将来に確実に起こるとしても、「低頻度巨大災害」(大規模な災害ほど頻度が低い)という言葉もある。

さらには著者が本書にて南海トラフ地震の被害想定を述べる際、「3・11と何が違うか」と近年の東日本大震災と比較の上で南海トラフ地震を発生様式や自然条件や社会的条件の各項目別にて逐一説明している。南海トラフと東北太平洋沖の地震は、もともと別個の事案であるにもかかわらず両者を結びつける、このような比較対照な論じ方自体が「南海トラフ地震の方が東日本大震災よりも被害はさらに甚大」という心理的誇張を加味して導く無駄に恐怖心を掻(か)き立てる扇情的誘導記述でしかなく、専門の地震学者として著者の書き方は明らかな失策に思える。

また「どう備えるか」についても、著者は相当に悲観的である。そして「終章・それでも日本列島に生きる」にて「地震が怖ければ海外に行く」、以前に母校にて南海トラフ地震の講演をした際、参加の中学生から「地震が怖ければ海外に行くという言葉が印象に残りました」なる感想をもらい、氏も「面食らったが、未来を担う若者にはそのような選択肢があってもよいのかも知れない」と納得してしまうエピソードが書き入れられてある(201ページ)。専門家の地震学者である以前に、社会人の大人として若い世代の前で南海トラフ巨大地震のメカニズムや発生予測や被害想定や対策の一連の話をした後に、若い中学生に「だったら海外に行って逃げる」と安直に思わせて、またその中学生の発言を受けて「なるほど、それも一つの選択肢かも」と、いい年した大人が一瞬であれ納得してしまうのは社会人の大人として責任を果たしていない気がする。ましてや専門家の地震学者で、本書執筆の時点で名古屋大学大学院環境学研究科教授、地震予知連絡会議副会長の肩書を持つ著者が、「いよいよの時は海外に行くのも究極の南海トラフ地震対策で一つの選択肢」と安易に述べてしまうのは、例えば「100年後の世界はどうあるべきか?」の質問に「どうせ私は墓の中」と答えるのと同様な無責任なナンセンスだ。「来るべき南海トラフの巨大地震にどう備えるべきか?」「地震が怖いので海外に行く」←(爆笑)。

その他、前述のような南海トラフ地震は日本に住む人にとって「宿命の巨大地震」など学術的な地震学専攻の学者としてあるまじき、やや扇情的な安っぽい週刊誌記事のような著者の書き方も正直、気になる。近い将来予測される巨大地震を「宿命」などという「運命」に結びつける感傷的な言葉で語るのは不適切であり、せいぜい「不可避な巨大地震」の表現が妥当だ。

こういった「宿命の巨大地震」という書き方や「地震が怖ければ海外に行く」に納得してしまうエピソードは、地震学のプロの学者として専門知識があるとか優秀であるとかいう評価以前に、著者の資質や性格から(おそらくは)来るものであり、岩波新書の赤、山岡耕春「南海トラフ地震」を読んで逆にそこが面白いと私には思えた。