アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(41)丸山眞男「日本の思想」

岩波新書の青、丸山眞男「日本の思想」(1961年)は、おそらく丸山の著作の中で一番よく読まれているのではないか。丸山眞男の代表作は決して「日本の思想」ではないと私は思うが、「日本の思想」は新書で廉価であり未だ絶版でなく現在でも入手しやすいし、内容も優れている。

丸山眞男「日本の思想」は本編の他にも、丸山による「あとがき」が意外に良い。以下、その良い所を抜き出して一緒に読んでみよう。

「たとえば、『日本の思想的伝統を生かす』という問題について一言してみよう。『超国家主義の論理と心理』以来、日本ファシズムや日本のナショナリズムに関する諸論文、さらには日本の政治的状況についてのエッセイなどを通じて、私の分析は、批判の側からも支持の観点からも、大体において日本の精神構造なり日本人の行動様式の欠陥や病理の診断として一般に受け取られて来た。それは私にいわせれば、ある面では当たってるし、ある面では当たっていない。当たっていない、あるいは明白な誤解と思われる受けとり方の例としては、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を『理想』化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとか、いったたぐいである」(185ページ)

思えば、丸山眞男という人は自分の論文やエッセイが他人からどう読まれるか、かなり気にする人だった。そして、自身の書いた文章が明らかに誤った読み込みや読み手の読解力不足で自分の本意が伝わらないことに、よく不平を漏(も)らす人であった。それは丸山の文章が多くの人々に広く読まれ、彼に対する批判が多かったこと、また丸山自身が常にそのように注目される人物だったため丸山には対談や執筆依頼が多くあり、そこで彼が自身の文章が言わんとすることの本意が伝わっていない不満を漏らす公的機会に比較的恵まれていたからに他ならない。

この「日本の思想」の「あとがき」においても、「丸山は大体において日本人の精神構造や行動様式の欠陥や病理の診断ばかりやっている」云々の批判に対し、「ある面では当たっているし、ある面では当たっていない」と他ならぬ丸山自身が、自分の文章の読まれ方に不平を漏らし反論しているわけである。

「ある意味では上のような見方が当たっているというのは、右のような論稿がいずれも戦争体験をくぐり抜けた一人の日本人としての自己批判─あまりにすりきれた言葉であるけれども、これよりほか表現の仕方がない─を根本の動機としており、しかも三0年代から四0年代において何人の目にもあらわになった病理現象を、たんなる一時的な逸脱ないしは例外事態として過去に葬り去ろうとする動向にたいする強い抵抗感の下に執筆されたために、そうした病理現象の構造的要因を思想史的観点からつきとめることにおのずからアクセントがおかれたからである」(186ページ)

「丸山眞男は日本人の行動様式の欠陥や病理の診断ばかりやっている」といった世間一般の丸山評価に対し、丸山自身が「ある面では当たっている」というのは、彼がいうように「一人の日本人としての自己批判が根本の動機」である、と。随分と使い古された、確かに「あまりにすりきれた言葉であるけれども、これよりほか表現の仕方がない」ところの「戦争体験をくぐり抜けた一人の日本人としての自己批判」、つまりは自国への自身への厳しい自己批判から来る、日本人の病理現象の構造的要因の思想史的観点からの突き詰めである、と丸山は述べる。「思想史研究は問題史としてしかあり得ない」といったことを日頃から表明している、いかにも丸山眞男らしい立派な「自己批判」の言葉である。そして丸山はさらに続ける、

「これにたいして、いわゆる日本の『良き』思想的伝統を過去の歴史のなかからとり出して来る作業の方は、二の次になった。その間、いわゆる進歩派の思想的陣営からも、いろいろな形で民族的遺産の継承とか発展とかいうことがとりあげられたけれども、日本思想史における思想の継受の仕方、『外来』思想の移植と『伝統』思想の対応形態といったものを全体として問題にし、そのなかで個々の思想を位置づけることなしに、自己の好みや、政治的課題に直接適合するものを『伝統』としてすくいあげることは、歴史的認識としても容易に反対例証によって反駁されるし、現実的効果としても明治末期の『国民道徳論』のさまざまな変奏曲にさらに一つをつけ加えるにすぎないのではないかという危惧の方が強かったし、今でも強い」(186・187ページ)

「一つの動かぬ確固した歴史的真実が必ずある。それを明らかにすることが歴史学の役目であり、歴史研究の目的だ」などと未だ素朴に信じている人がいるとしたら、明らかに誤りである。歴史認識においては立場も違えば見方も違う。主義もあれば党派もある。そうした中で一つの動かぬ確固とした歴史の真実など素朴に存在しない。立場や主義や党派が違えば、それと同じだけの歴史認識が等価で多様にあるだけだ。

日本の歴史に対し、自分の「好み」や日本的伝統の「良さ」だけを選択し重点的に集めて、日本人や日本の歴史の「素晴らしさ」を称揚することは簡単である。同様に日本の歴史の中から、あえて日本的伝統の欠陥や問題点ばかりを集め並べて、自己批判で日本の歴史を俎上(そじょう)に載せる操作も容易である。どちらも歴史「研究」の名の下に、実はプロの歴史家や研究者は技術的に極めて簡単にできる。日本の歴史の伝統的「良さ」だけを恣意的選択の「好み」で重点的に取り上げたり、その「好み」を「愛国心」喚起の政治的課題に合うよう熱心に日本の歴史を絶賛したとしても、その立場は今度は逆に日本の歴史の問題点を集め反対例証として挙げぶつけることで、いくらでも反駁される。それが丸山のいう「自分の好みや政治的課題に直接適合するものを『伝統』としてすくいあげることは、歴史的認識としても容易に反対例証によって反駁される」ということだ。

そうして恣意的にすくいあげた日本の歴史の「良さ」を日本的「伝統」として喧伝して言い募(つの)る事は、愛国心喚起の政治的課題に見合う現実機能的なイデオロギー性を歴史に担わせる事に他ならず、かつての明治末期の「国民道徳論」のように体制賛美の国家イデオロギーとして再び歴史が利用されてしまう危険性に陥る。それが丸山のいう、「現実的効果としても明治末期の『国民道徳論』のさまざまな変奏曲にさらに一つをつけ加えるにすぎないのではないかという危惧の方が強かったし、今でも強い」ということである。日本人の行動様式の「日本の思想」の欠陥や病理の診断を主にやるのは、日本人としての自己批判から来る動機と関心ゆえであり、逆に日本の思想的伝統の「良さ」を取り出す作業が二の次になったのは、歴史的認識の相対性で特定の歴史的認識立場は容易に反駁できるし、また日本的伝統の「良さ」を今さら重ねてみても、それがかつての「国民道徳論」のように国家翼賛イデオロギーの変形バージョン(「変奏曲」)として利用されるに過ぎないと考えるから。自己批判の精神や歴史的認識立場の相対性、現実的効果としての歴史のイデオロギー的使われ方まで熟知し、よく分かってる丸山眞男である。この人は政治学者、日本思想史の研究家として破格の一流の人だと私は思う。

もし私が歴史記事を書いて文筆で日々食べている、しかも常に仕事の受注をたくさん得たい仕事熱心な(?)、軽薄ライターであったら、右派・保守の雑誌や新聞からの原稿依頼の際には発注元の意向を汲んで、あえて日本の歴史的伝統の「良さ」ばかりを選択して書き出し、「だから日本は素晴らしい。日本人よ、もっと自国の歴史に誇りを持て!」の文章など史料の裏付けをしっかり添えて「客観的」に簡単に書ける。同様に左派革新の側から原稿執筆の依頼が来たら、今度は逆に日本人の病理の問題性を歴史の中に指摘する記述、自己批判で現在の人々に日本の歴史を深く考えさせる文章を、これまたしっかり史料を添えて「客観的」にソツなく仕上げることもできる。

ただ私が仕事が欲しくて相手の要求を察知して何でも書くような八方美人の軽薄ライターではなく、きちんとした価値意識を持つ歴史研究者で、日本の思想の伝統的「良さ」も病理の問題も恣意的選択の「好み」でどちらも技術的に本当は誰でも「客観性」を持って「日本の歴史」として書けるカラクリを知って、どちらも自在に書けるとしたら、そのどちらの方向で書くかの選択判断は自身の厳しい倫理観からして丸山のように「あまりにすりきれた言葉であるけれども、これよりほか表現の仕方がない日本人としての自己批判」の意識から、あえて日本人の精神的病理の欠陥をあぶり出す歴史の研究書や歴史記述の論文の方を率先して書くだろう。それは別に私が「日本人のくせに反日で日本が憎いから」とか、「不当に日本の国の歴史を貶めて、中国や韓国など他の東アジアの国々に肩入れしたいから」といったことでは当然なくて(笑)。もし私が日本史研究を本格的にやるとしたら、後者の日本の歴史や思想の欠陥の病理を明らかにする歴史研究を自己批判精神の厳しい倫理意識から自覚的に選択してやるだろう。

日本の近隣東アジア諸国に対しひたすらヘイトで対抗し、東アジア諸国や欧米諸国からの日本の歴史認識批判や自分たちにとって都合の悪い歴史的事柄には「不当に日本を貶める諸外国の攻撃」でその都度、場当たり的に処理して、その分「日本の歴史をよくよく見てみたら日本は素晴らしい。だから卑屈にならず、日本人は自国の歴史にもっと誇りを持て」といった、日本の歴史の「良さ」を集中的に取り上げる方が確かに耳障りはよい。そういった「日本の歴史」の方が世間一般では確実にウケる。実際、ネットや書籍や雑誌や新聞も、その手の内容で執筆した方が人気が出ることは確かだ。事実、昨今では「日本の歴史賞賛本」が多く書かれ、書店店頭にたくさん陳列されている。

しかし、自分に甘くて他人に厳しい、自己愛が過剰で自分の自国を甘やかして自己批判の精神が皆無な自己に厳しくない人は他人から人間として尊敬されない。自己批判の精神の欠如で、自分の「良さ」だけを恣意的にピックアップし自分を甘やかして自己賞賛だけを常に繰り返す人は、倫理的堕落の明らかな第一歩である。たとえ当人は、その自己欺瞞に気付いていなくとも。

ところで、昭和の政治思想家の丸山眞男と並んで江藤淳という文芸批評家が以前にいた。江藤がやった仕事に「閉ざされた言語空間・占領軍の検閲と戦後日本」(1989年)というのがある。これは敗戦後、占領と同時に日本が連合国から「言論の自由」をいかに封じられてきたか、アメリカによる占領下日本での言論統制・検閲の実態を明らかにした江藤の仕事である。江藤淳という人は、文学論でいえば、例えば「成熟と喪失」(1967年)のような非常に優れた傑作文芸批評を書く一方で政治的にはかなりの右派・保守な人で、彼が政治的なものについて書いた評論を読むと、いつも私は落胆する。

常日頃から、そのような右派・保守な江藤淳である。その江藤が「閉ざされた言語空間」という論考を出す。自由で民主主義を標榜していると思われていたアメリカが占領下の日本にて統制の検閲をやって「言論の自由」が保障されていなかったことを告発し、「検閲で自由を制限する加害国のアメリカ、検閲で自由を制限される被害国の日本」の視点から江藤淳は一方的に書く。「閉ざされた言語空間」のモチーフを江藤が思いついた際、それと同じ構造で全く対照な「戦中に日本が台湾や朝鮮の植民地に対し、また日本国内にて当時の政府がいかに言論統制を行い検閲を遂行していたか」、加害国の日本、被害国の台湾や朝鮮、言論の自由を制限された戦前の日本国内の人々の逆視点で「閉ざされた言語空間」を書く選択肢も実は同時にあったはずだ。

しかしながら、保守・右派の江藤淳は根っからの救いようがないくらいの自己愛の入った「愛国」だから、自国の「日本が被害国であった歴史」を率先して選んで懸命に書く。逆に「日本が加害国であった歴史」は、江藤は決して絶対に書かない。ここには丸山眞男がいうような「自己批判の精神」は皆無であり、反省総括で自国(自分)に厳しく向き合う倫理観など何にもないのである。甘ったれの自己愛の延長で、敗戦後に自分たちがアメリカから統制され検閲されて「言語の自由」を封じら抑圧されてきた、「ただただ被害者で虐げられた私たち日本人の歴史」しか江藤は書かない。

ついで言うと、前述のように江藤淳は政治的に相当な筋金入りの保守・右派な論客で、彼はアメリカ主導の日本の戦後民主主義体制を否定したくて仕方のない人だから日本の戦後の始まりの占領下にてアメリカによる言論統制・検閲の実態を告発することで日本の戦後民主主義の出自の正統性を疑い、そのままアメリカ追従の日本の戦後民主主義の否定につなげたい。そうした政治的役割を江藤により、あらかじめ過剰に担わされて「閉ざされた言語空間」は執筆されていることも押さえておくべきだろう。

そういった意味で「閉ざされた言語空間」の江藤淳は常に被害者意識の日本人の自己愛だけで、自己批判の精神に欠けるから人間的深まりがない。他方、丸山眞男は「日本の思想」の「あとがき」にて「自己批判」ということをはっきりと述べ、それを丸山は思想史研究にて実践できているから人として一目おける。少なくとも私は丸山を人間的に信用できる。

岩波新書の青、丸山眞男「日本の思想」を読むと、いつも江藤淳のことが丸山眞男と対照して即座に思い起こされ、「丸山の『日本の思想』の『あとがき』は本編に負けず劣らず良い文章だな」とやや感傷的(センチメンタル)に私は思ってしまう。