アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(48)佐藤誠「リゾート列島」

岩波新書の赤、佐藤誠「リゾート列島」(1990年)は初版が1990年であり、当時進行していた1980年後半から90年代初頭にかけてのバブル景気を背景に拝金主義と不動産投資の延長線上に成り立つ日本各地で沸き上がる開発投機熱の列島フィーバー(ゴルフ場、スキー場、マリーナ、サーキット、テーマパーク、ホテル、別荘、リゾート・マンションなど豪華施設の建設ラッシュ)を文字通り「リゾート列島」として問題視し、そこに「日本型」リゾート開発の社会的病理を指摘したものだ。

本書にて著者が殊更(ことさら)に「日本型」リゾート開発と表記しているのは、当時のリゾート投機熱が諸外国のように国家の自由放任の下で民間で私的にやられていた過熱現象ではなく、日本の場合は「地域活性化の国土開発」の名目で政府や中央官庁や地方自治体の公的機関が積極的に介入し、全国各地でのリゾート開発構想の「リゾート列島」の投機ブームを率先して支え先導していたからに他ならない。ゆえに公的国家と民間私企業との官民一体の全国展開プロジェクトの点において、「日本型」リゾート開発の「リゾート列島」なのである。この官民あげての「日本型」リゾート開発は、1987年6月のリゾート法(総合保養地域整備法)施行に伴う、地方での巨大リゾート開発促進のための環境保全規制の大幅緩和や補助金の交付、税制の優遇措置、地方自治体による熱心な企業誘致の現象を伴って当時、全国各地にて繰り広げられた。

本書は全四章からなるが、現代社会の病理を問題にする、その種の書籍として実に基本的な論述構成となっている。まず「第一章・欧米リゾートの潮流」にて「本来的なあるべきリゾートとはどういったものか」を理念的に述べて著者の判断基軸を読者に示し、次に「第二章・開発のリゾート」と「第三章・社会病理のリゾート」で「日本型」リゾートの現状報告をやって現実の問題点を明らかにし、最後に「第四章・再生のリゾート」として本来的なリゾート成立のための解決方向の模索たる具体的な取り組みを紹介する。これら三段構成にして論述を展開させている。

より詳細に言って「第一章・欧米リゾートの潮流」にて、ヨーロッパの歴史伝統にまで遡(さかのぼ)り範を求め、本来あるべき理念的なリゾートを著者は以下のように定義する。

「教科書的に言えば、欧米ではリゾートとは、人々をひきつける魅力としてのアトラクションと来客をもてなすサービスのハイブリッド(混合新種)であるとされている。…言い換えれば、魅力ある環境芸術とイベントをベースにして、生き甲斐を実感させてくれる人間的な絆や温かなもてなしがあり、すべてが組み合わさってリゾートを構成するのだ」(28・29ページ)

その上で「第二章・開発のリゾート」と「第三章・社会病理のリゾート」では「日本型」リゾート開発の問題点として、バブル景気を背景とする「金余り」で過熱する投資ブームによる地方のリゾート開発地の地価狂乱と、各地方での秩序なきリゾート乱開発がもたらす自然環境破壊の二つを主に挙げている。「この二年間、リゾート開発の現場を見てまわった」いう著者が実際に現地へ出向き、その上でまとめた当時のリゾート開発現場からの現状報告よりなる第二章と第三章が、この本の最良の部分だと私には思える。軽井沢、熱海、新潟の湯沢、阿蘇、北海道の余市ら著者自身の足で調査し取材した独自の現場報告が本新書の一つの読み所だ。

本書の肝(きも)は、リゾート法制定など政府や地方自治体の公的支援による官民一体な日本特有の「日本型」リゾート開発の問題意識を著者が持ち得たことから、それを「民間版公共事業」と捉えて公的倫理の観点から「リゾート列島」の開発ブームを本質的に批判できたことにある。著者の「リゾート列島」に対する批判は、リゾート・フィーバーの発熱源たる開発投機による一部企業と地方自治体のみが資産増大で利する現象や、国土の大規模保養地の巨大開発が自然環境破壊につながる点など表面的なものにとどまることなく、「なぜ人々の経済的繁栄と暮らしの豊かさとが結び付かないのか」の問題にリゾート開発のテーマに即し、より深く切り込む。

本書にてリゾート・フィーバーの土地投機による地価高騰や乱開発による自然環境破壊の問題以外にも、本来は万人に広く提供されるべき保養の余暇のリゾートであるのに豪華リゾート施設の実需要は一部企業の交際費や福利厚生費で実現されているとし、「富国貧民・富社貧員の悪循環」で経済的弱者がリゾートの恩恵を享受できていない、リゾート開発を通じての民間企業の繁栄が経済的弱者に結び付かない問題を著者は指摘する。また「国民の余暇生活の豊かさ」を謳(うた)ったリゾート法施行に象徴される、政府と地方自治体の積極的介入による「民間版公共事業」たる「日本型」リゾート政策は、「広大で豪華絢爛な保養地開発の美名」に塗り固められた実際には過剰な開発投機現象でしかなく、そうしたリゾート政策の強行は健康で文化的な人間らしい暮らしを実現させる公的な、その他の教育・余暇・福祉諸政策の不在を隠蔽(いんぺい)しているという(226・227ページ)。さらにはリゾート・フィーバーにて、異常な投機熱による地元地価の高騰や巨大開発による自然環境破壊に翻弄されて疲弊する地域住民の困惑の姿を記録することも著者は忘れていない。

このように官民一体の「民間型公共事業」として「日本型」リゾート開発の内実を押さえ、それが半ば公的事業であるため、単なる私的で営利目的な経済活動のリゾート開発ブームへの表層的批判にとどまらない「人間の尊厳に値する生活、自然環境や充分な自由時間の確保によって、国際的に通用する」(227ページ)普遍的価値の追求という理念的視点からの公的倫理を現状のリゾート開発にぶつけることができたがゆえに、著者によって可能となる、より深められた日本の「リゾート列島」批判なのであった。

さて本新書出版の1990年からさらに時は過ぎて、株式や不動産を中心にした資産価格の上昇と好景気の経済拡大期間たるバブル景気を背景に、拝金主義と不動産投資の延長線上に成り立っていた日本各地での沸き上がる開発投機熱の「リゾート列島」フィーバーは今日ではもはやない。地方にてゴルフ場やスキー場、テーマパークやホテル、リゾート・マンションの豪華施設の建設ラッシュなリゾート熱現象は現在の日本では見る影もない。ならば本書「リゾート列島」は、もう役割を終えて今では読まれる必要はないのか。そもそも、ある時代の社会病理の問題に触れた書物は、その時代が過ぎて問題がうやむやになってしまえば書籍の内容も賞味期限が切れて無効になってしまうのだろうか。私はそうは思わない。過去の時事的問題を扱った書籍でも、後の時代に長く継続して一心に読まれ続ける道はあるはずだ。そうした「書物再生」ともいうべき、時事問題を扱った本を後々まで長く生きながらえさせて読ませる方法は主に二つあると思われる。

まずは、その書の指摘から問題構造を抜き出し、それに今日的な最新の時事トピックを盛って新たに読み返してみることだ。ある時代のある特定の社会的病理の問題は状況の中を絶えず流れていくけれど、問題現象の表層が一見違っていたとしても、そのものの内的構造は以前のものと本質的に同一の焼き直しであることは案外よくある。新たな社会病理の問題が起きたのは、私達が以前の問題を放置していたため、また同じ構造の問題を繰り返し反復させているだけで、実は私達は過去の事例から何ら学んでいないと後ろ向きに悲観して捉えることもできれば、以前に構造的同一な類似の社会的病理の問題があったのだから再度それを参照して、その教訓を今日的に生かす取り組みが可能だという楽観の前向きな姿勢で問題に処することもできる。

本書「リゾート列島」における日本のバブル経済絶頂期の官民一体な「日本型」リゾート開発ブーム問題を同じく「リゾート」開発ということで、例えば今日のいわゆる「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)」構想のそれに中身を置き換え、しかし同じ構造反復の社会問題として再考してみるべきだ。政府が主導する官民一体の「民間版公共事業」であるカジノを目玉にした「日本型」リゾート開発たる「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)」構想を、まず本書での理念的なリゾート定義「魅力ある環境芸術とイベント、生き甲斐を実感させてくれる人間的な絆(きずな)や温かなもてなし」に照らし合わせ再考するとよい。果たして投機のカジノ・ギャンブルが「魅力ある環境芸術や生甲斐を実感させてくれる人間的な絆や温かなもてなし」のリゾートの精神につながるか否か。さらには岩波新書「リゾート列島」の内容に即して以下の4点から、それぞれ子細に検討してみればよい。

(1)政府が推進する「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)」法案が、一部民間企業と政府や地方自治体のみが資産増大で利する歪んだ公的事業になっていないか。(2)自然環境破壊ではなくても、カジノ・リゾート施設が地域の治安悪化やギャンブル依存症の人心荒廃の悪影響をもたらさないか。(3)「富国貧民・富社貧員の悪循環」で経済的弱者がリゾートの恩恵を享受できないような、リゾート開発を通じての民間企業の繁栄が経済的弱者に結び付かない問題になっていないか。(4)政府主導のカジノ・リゾート構想が「生活の必要」を満たす本来、実行されるべき公的な教育・余暇・福祉諸政策の不在を隠蔽していないか。

過去の時事的問題を扱った書籍でも後の時代にまで長く読まれ続ける「書物再生」のもう一つの方法は、その本から学べることを抽出し普遍化して、自身の日常生活の指針や人生の教訓に積極的に生かすことだ。

本書「リゾート列島」を読んで、私はいわゆる「金余り」で資産活用投機のおぞましさを身に染みて感じざるをえなかった。今でも私の周りで「資産活用で新築アパート経営のサブリース」案件の儲け話が時に持ち込まれたりするが、本来自分が居住しないのに儲けのために住居を無闇に複数持つべきではない。つまりは「自身が使用しないのに投機目的で物を所有するのは倫理的に良くない」の思いを私は強くする。また、昔の西洋ではリゾートは貴族的有閑階級の時間と金のみせびらかしの浪費競争としてあった旨(「サロン型リゾート」67ページ)の本書記述を読んで、自身の休養や満足よりも人に見せ優越するためにやるステータスとしての余暇行為の不毛さを痛感し、自分の生活の戒(いまし)めにしたことも以前に私はあった。