アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(54)NHK東海村臨界事故取材班「朽ちていった命」

(今回は、新潮文庫「朽ちていった命」についての書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、「朽ちていった命」は岩波新書ではありません。)

福島第一原発の放射能漏(も)れ事故がいまだ継続中で、終息の出口が見えない状態が続いている。NHK東海村臨界事故取材班「朽ちていった命」(2006年)は原発問題関連の書籍で先日、読んだ。その内容はというと裏表紙解説には以下のようにある。

「1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった。生命の設計図である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント」

副題が「被曝治療83日間の記録」であり、臨界事故で被曝した大内久(おおうち・ひさし)は、結論からいうと治療の甲斐なく83日後に亡くなっている。

「JCO東海事業所に作業員として勤める大内久…三十五歳。妻と小学三年生になる息子がいる。息子の小学校入学にあわせて実家の敷地に家を新築し、家族三人で暮らしていた。几帳面な性格の大内は毎日午前六時には起きて、六時四0分には家を出た。一日一箱のたばこを吸い、午後五時過ぎに帰宅したあと、焼酎の水割りを二杯ほど飲んで、九時には寝る。それが大内の日常だった」「ラグビーをやっていたという七0キロを超える体格。釣りが趣味だと聞いた」「奥さんとのなれそめをたずねると、『高校のときからの知り合いで、七年くらい付き合ったあと、結婚したんだ』と話した」

大内久は最初の内は比較的元気であった。話もでき、受け答えもしっかりしていて担当の看護師らと普通にコミュニケーションをとった。「大内は事故についてはほとんど語らなかった」。会社に対する怒りや現場の安全管理の杜撰(ずさん)さ、被曝の危険性を知らされずに「裏マニュアル」を指示した上司への不満、原子力事業そのものの是非など彼は言わない。ただ「こんなふうに放射線を浴びたら、白血病みたいになってしまうのかな」「チェルノブイリの被害者はのどが渇(かわ)くと言っていたと聞いていたが、本当に渇くんだな」

病状が急激に悪化していくと「我慢の限界を超えた叫びが多くなっていった」。「もう嫌だ」「やめてくれよ」「茨城に帰りたい」「おふくろ」「一人にしないで」。そして彼の病床での苦しみからの無意識のつぶやきに医師と看護師らはショックを受ける。「おれはモルモットじゃない」。大内久の生前の肉声が率直に心に刺さりルポを読んでいて、つい反応してしまう。

本書にて印象深いのは医療従事者の心の揺れ動きだ。治療に当たった医師は初見で「『あれ?』と思った。ふつうに会話できる状態だとは思っていなかった。被曝という言葉から、外見的にもかなりダメージを受けているだろうし、意識レベルも低いのではないかと想像していたのだ。しかし外見だけでは、一体どこが悪いのだろうとしか思えない。致死量といわれるほど高い線量の放射線を浴びたと聞いたのが、とても信じられなかった。『ひょっとしたらよくなるんじゃないか。治療したら退院できる状態になるんじゃないかな』」。放射線被曝の場合、病気が起きて徐々に悪くなっていくのではなくて、たった零コンマ何秒かの被曝の瞬間に染色体が破壊され運命づけられる。細胞が再生不可となる。全身すべての臓器が悪化の一途を加速度的にたどりダメージを受けていく。治療開始当初の甘い見込みは消え、医療チームは放射能被曝が人体に与える恐怖を目の当たりにし、最後は無力感に打ちひしがれる。医師は大内を看取って、「放射線障害の圧倒的な広がりと強さに、医師として虚無すら感じ、『勝てぬ戦に挑んだドン・キホーテの闘いだったのだろうか』と思った」。

看護師にしても大内久が治療の過程で病状の悪化で痛くて、いよいよ苦しくなって我慢できず「こんなのはいやだ。このまま治療もやめて、家に帰る、帰る」というと、「みんながんばってほしいと思ってるし、もう少しがんばって治療を受けようよ。奥さんも、がんばってもらいたいと思ってるよ、きっと」。これだけ言うのが、やっとの精一杯だった。治療の過程で病状について正確なことは大内本人に知らせていない。最期は亡くなった大内久に向かって「いままでがんばってきて、やっと休めますね。痛いこととか、つらいこととか、いっぱいあったけど、もうがんばらなくていいですね、よかったですね」と心のなかで話しかけていた。「被曝治療83日間」すべてが終わった後で、大内の妻から「お世話になりました、すごく、よくしていただいて」と穏(おだ)やかに礼を言われ、涙が止まらなくなってしまう。

「朽ちていった命・被曝治療83日間の記録」から人命尊重の人道主義の真摯(しんし)な正義感を嗅(か)ぎとって「安っぽい」と諌(いさ)めたり、本書の読まれ方に日本の原子力政策の否定と反原発への世論誘導の政治利用の線を見切って「公正ではない」と批判するのは比較的容易だ。もしくは、正規の手続き作業をやらず裏マニュアルを強いた現場のあり様だけを問題にし、改善に努めて今後も国は原子力事業政策を今まで通りに進めていけばよいだけなのかもしれない。だが、本書から読み取れる被曝による一人の人間の死の「社会的」意味は果てしなく深刻で重い。

そして「あとがき」での臨界事故の顛末は以下である。

「大内さんらに対する業務過失致死などの罪を問われたJCOの六人の幹部の裁判は2001年4月23日に始まった。この中で検察側は、大内さんの妻が『夫は日ごろ自分の仕事は危なくないと言っていたが、仕事の危険性をよく理解していなかったのだと思う。今では夫は会社に殺されたのだと思っている』と証言していたことを明らかにした。…2003年3月3日。水戸地方裁判所は、長年にわたる会社のずさんな安全管理が臨界事故を引き起こしたとして、六人にいずれも執行猶予のついた禁固三年から二年の判決を言い渡した。検察側も被告側も控訴せず、有罪は確定した」

「長年にわたる会社のずさんな安全管理が臨界事故を引き起こした」ですか。原子力の現場でのこういった過酷事故は、これからも起きますか?福島第一原発の放射能漏れ事故も「長年にわたる会社のずさんな安全管理」がありますか?