アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(59)中内敏夫「軍国美談と教科書」

岩波新書の赤、中内敏夫「軍国美談と教科書」(1988年)は、とても面白い。戦前の日本にて「軍国美談」が学校「教科書」紙面に大きな比重を占めていた「軍事教材の歴史」を通しての著者による軍国主義的教育批判の大枠がまずあって、さらにその国家から民衆への教育注入(教化)たる軍事教育に対する批判の枠内に細かな議論がいくつも巧妙に仕込まれており、著者の周到な書きぶりが読者を惹(ひ)きつけ、さらに先を読ませるからだ。

本新書にて取り上げられているのは、初等学校の国定教科書の「修身」と「国語」科目に採用された、主に兵士の戦争秘話や民衆の軍隊体験を美化した「軍国美談」の軍事教材である。初等学校の教育過程は近代日本では国家教育の体現であり、幼少時から児童にあるべき日本臣民の精神を叩き込むことは戦前の国家教育制度の重要な支柱の一つであった。

この種の軍事教材群を作っていたのは、文部省総務局に属していた係官たちで、大臣官房図書課属となって「図書監修官」と呼ばれていた人達であった。彼らが内閣や軍部の指示を仰ぎ国家の意向を汲(く)んで「軍国美談」掲載の国定教科書執筆を行っていた。初等教科書は1886年の民間製作の教科書検定制を経て、1903年には国が作成する国定制になった。その国定制の体制が1945年の敗戦まで続き、国定教科書には計五回の改定があり、第一期(1904年)から第五期(1945年)までに分けられる。つまりは戦前の初等教科書は作成と改廃(改作と廃棄)を改定ごとに繰り返し、五つのバリエーション(種別)の国定教科書が存在したわけだ。

そうした作成と改廃を経て改定され続けた国定教科書に掲載の「軍国美談」を通して何が教えられたのか。著者によれば、その内容は主に四つあるという。すなわち、

(1)乃木希典関係教材(陸軍大将・乃木希典や軍神・広瀬武夫やラッパ卒・木口小平など、実在の人物を通して清廉、公徳、至誠、温情、忠義の心といった徳目を説くもの)(2)入隊・兵役関係教材(民衆一般に一君万民原理で天皇に絶対服従な「皇軍の皇軍たる」ゆえん、日本的集団主義の組織原理を教え込むもの)(3)靖国関係教材(招魂思想の日本人の民族的死生観をもとに戦死しても霊としてあがめられるとする、死を通しての国家への献身、国による顕彰の靖国思想を説くもの)(4)母性社会原理(息子を国家に捧げ、息子が国家に功を尽くすことだけを、わが生きがいとする模範的な軍国の母像を示すもの)

岩波新書「軍国美談と教科書」が面白いのは、以上のような類型を持つ「軍国美談」教材が、実際に教科書として世に出てみたら学校現場の教員や児童、世間一般での読まれ方により、執筆した図書監修官たちの事前の想定や期待の教育効果をおよそ裏切って、時に反発を招いて不評だったり、遥かに予想を越えた別方向への跳(は)ね方をしたりで、国家が国定教科書の新たな作り直し作成や改廃の対策に、その都度、後手で追われるといった事情を著者が各種の「軍国美談」教材に即し細かに追跡し明らかにしている所だ。

例えば(1)の「乃木希典関係教材」に関し、実在の人物なため教科書掲載の公徳強調に一致しない人間的な世俗の側面、乃木の妾囲いや酒乱、広瀬の軍国主義に徹しきれない文人的ヒューマニズムな面が一般人や学校現場の教員から指摘され、現実とのズレが生じてしまい「軍国美談」にはそぐわない教科書教材になる。本書での著者の表現からして「教材にキズができて」しまう。同様に(4)の型の「母性社会原理」の「軍国美談」に対し、実話素材の「水兵の母」や「一太郎やあい」の実在モデル探しを当時の地元の地方新聞が盛んにやり、記事にして事実が世間に判明する。両者ともに探し当てられた美談の主の母子は、病気で中途除隊し実は戦闘に参加していなかったり、出征したものの戦地での負傷の後遺症に悩まされ除隊後に悲惨な極貧生活を強いられていたりで、美談の主たる母子の現状が新聞メディアを通して好奇の衆目にさらされることとなる。国定教科書を以て教化する国の側からすれば、このことは「軍国美談」の美しい話が悲惨な事実の裏話や後日談と結びつく矛盾を民衆一般に感じさせて、教科書理解を妨げる国定教科書の権威失墜を招く教化政策に誠に重大な過失をきたすわけで、軍事教材の新たな作成や改廃をその都度追(せま)られる「軍国美談」教材を執筆の図書監修官の苦労が、そこにあった。

教材に説得力を持たせ、その陶治力(とうやりょく)を高めようとして実在モデルを素材にとると、現実とのズレが生じ、いわゆる「キズのある教材」になってしまう。しかし、現実とのズレが出るのを避け、かつ近代マス社会の民衆要請に対応すべく、一般匿名者の素材にすると、その陶治力は拡散し無の近くまで落ちてしまって効果的な軍事教材の体裁をなさなくなる。そうした教科書製作のジレンマが「軍国美談」教材執筆の図書監修官にあったのだった。

(2)のタイプに属する「爆弾三勇士」の勇敢な戦闘行為逸話の軍事教材も、一般的な戦争「美談」として当時は世論を巻き込み社会的一大ブームを巻き起こした好評人気な「軍国美談」であったが、実は「三勇士」の爆破工作は「任務完遂の名誉の戦死」ではなくて、「技術的失敗による不慮の爆死」とする現実とのズレが「三勇士」の近親者や軍関係者から指摘され「キズのある教材」になったほか、国民教化の効力を広範に持たせるために「三勇士が後発資本主義の底辺部を支える労働者階級出身の兵士であった」という話の設定が、一君万民主義の国家原理を底辺民衆にまで浸透させて感化しようとする図書監修官や国家の治者らの当初の思惑を大きく外れ、無産階級を勇気づけて、彼らの反国家的運動への団結を促す思わぬ方向に「美談」が跳ねて逆の効果を引き起こす事態が起こった。また当時の反戦運動のビラに「三勇士」の「軍国美談」教材のパロディ記事が載せられた事もあった。そのため「爆弾三勇士」の軍事教材は有名「美談」で当時は人気であったにもかかわらず、一期のみの採用で短期間で国定教科書から姿を消している。

このように「軍国美談と教科書」における著者がいう所の「せめぎ合う国家原理と民衆心理」があって、ただ一方的に国家が上から「軍国美談」を「教科書」的に説いて軍国主義の思想教育を果たせていたわけでは決してない。「美談」を提供して民衆教化をはかる文部省の図書監修官や時の内閣、軍部の国家の側も、民衆側の一般的な「軍国美談」の受け取り方を見ながら時に予想外の反応に悩まされ新たな対応を迫られて、ある意味「民衆に翻弄されながら」試行錯誤で軍事教材製作に取り組んでいたのだった。

戦前の日本にて「軍国美談」が学校「教科書」紙面に大きな比重を占めていた「軍事教材の歴史」を通しての、著者による軍国主義的教育批判の本書の大枠がまずあって、しかしその内部では上からのストレートな「軍国美談」の教育貫徹の一般イメージとはおよそ程遠い、「せめぎ合う国家原理と民衆心理」という複雑要素の関係性にて軍国主義の教育施策を具体的な軍事教材史料に即し考察しているため、国定教科書を通しての「軍国美談」の民衆への伝播や浸透定着の過程が一元的な平板記述になることをうまく回避している。歴史現実が各階層からの様々な反応によって複雑に構成されてあることを見事に押さえられている。そこが岩波新書「軍国美談と教科書」の誠に優れた所であり、実際の読み所だ。

この点に関し、著者は一貫して周到な書きぶりである。例えば以下のような、「確かに『教科書が日本人を作った』が、民衆はもっぱら支配され教育される受動的存在ではなく、同時に民衆は能動的存在でもあった」とする趣旨、本書のアウトラインをあらかじめ述べた著者による「はしがき」を読後に改めて読み返してみると非常に重みがある。

「日本の民衆の心はたしかに軍部とこれに従属した文部省によって支配されてきた。そういうわけで『教科書が日本人を作った』面も否定できない。しかし、民衆は軍部によって支配されながら、同時に軍隊と戦争を生きぬいてもきたのである。民衆は能動的存在でもある。そうみると、ことはこれまでとはすこしちがってみえはじめる。軍事教材は、じつは、軍部と民衆の、軍事をめぐっての、せめつ、とられつの闘争と妥協の、さらには協調の場所のひとつだったことになる。軍事教材の比重のふえてくるさまを、軍部による文部省支配の歴史としてだけではなく、民衆の軍隊生活と戦争体験の、軍部・文部省による活用とその成功・失敗の歴史としての側面からもみなければならない。本書はこのような方法による教科書史のひとつである」(「はしがき」)

そして最後の本書「あとがき」である。

「軍事教材の歴史をふりかえってみてあらためて感ずるのは、この種の教材は、その内容が反社会的だとか軍国主義だとかいった教育的効果うんぬんの問題をこえて、というよりもそれとは異なる次元で、ひろく内政・外交上の重要問題だということである。このことを、戦後、八0年代の文部省検定教材は、またも経験したのだった。『軍と教育』というテーマの共同研究の一部に入れる予定で、わたくしは、しばらく前に本書であつかったのと同じ問題を考えてみたことがある。ところがこの共同研究は、その成果があらかたまとまった段階になって、オルガナイザーの身上に生じたある個人的事情のために頓挫し、原稿は金庫のなかに眠ることになった」(「あとがき」)

「軍事教材の歴史をふりかえってみてあらためて感ずるのは、この種の教材は…ひろく内政・外交上の(政治的な)重要問題だということである」という書き出しから始まり、「本書であつかったのと同じ問題テーマの共同研究は、その成果があらかたまとまった段階になって、オルガナイザーの身上に生じたある個人的事情のために頓挫し、原稿は金庫のなかに眠ることになった」とする著者の「あとがき」は、本新書が出版された1988年当時も行われていた文部省による教科書検定制度是非の政治問題に絡(から)み、本書のような「軍と教育」というテーマの共同研究を発表するにあたって共同研究責任者のオルガナイザーに対し、どこからか政治的介入の妨害が入ったような暗示的記述でもあり、「軍国美談と教科書」という国家が望まない国家の意向に反する、そうした歴史研究に対してへの政治的圧力のありやなしやの闇の深さを読み手に何とはなしに想像させる。こうした「あとがき」にての著者の周到な書きぶりまで岩波新書の赤、中内敏夫「軍国美談と教科書」は読者を十分に惹きつけて終始離さず、最後まで一気に読ませるものがある。