以前に東京大学に政治学者の丸山眞男という人がいて、彼の志向する政治学を「丸山政治学」、その丸山門下の弟子の人達を「丸山学派」と一般に呼ぶ。そして藤田省三は丸山眞男の弟子で、「丸山学派」の中で最も左寄りで頭がキレる普遍主義者であり思想史家である。藤田は「丸山学派」筆頭の正統な弟子の一人だ。
私は藤田省三が好きで、藤田の著作を昔から愛読していた。同様に岩波新書も昔から好きで今でも愛読している。以前は氏の著作が「天皇制国家の支配原理」(1966年、未来社)や「精神史的考察」(1982年、平凡社)のわずか数冊の例外を除いてほとんどが、みすず書房から出ており、師の丸山眞男の岩波新書「日本の思想」(1961年)とは異なって、藤田省三の著作が岩波新書に入っていないことを私はかねがね不満に思っていた。藤田省三ほどの才能ある人が師の丸山眞男ほど世間に知られておらず、藤田の著述が広く読まれていないのは、藤田の限られた出版環境に起因しているようで残念な思いがあったのだ。
藤田省三が晩年にまとめた、みすず書房「藤田省三著作集」の「まえがき」に藤田自身による次のような文章のくだりがある。
「数年前、ある出版社の方から、みすず書房に対して、この著作中の一冊を新書版的なものに入れるように要請があったようである。著者は全く知らされることなく(後になって双方から聞いた)、みすず書房が鄭重(ていちょう)にお断りして、『版権』を守って下さったおかげで今此処に著作集が『決定版』として実現出来ることになった」
「数年前、ある出版社の方から、みすず書房に対して、この著作中の一冊を新書版的なものに入れるように要請があった」というのは、もしかしたら岩波書店の岩波新書ではないのか。藤田ファンであり同時に岩波新書ファンでもある私は、いささかの願望を込めて以前そのように考えたこともあった。
藤田の単著でなければ、実は岩波新書に所収の藤田省三の書き仕事はあった。岩波新書の青、日高六郎編「1960年5月19日」(1960年)だ。この書籍に藤田は寄稿している。本新書は藤田の文章が唯一収録されてある岩波新書として、「藤田省三ファン」の私は昔から大切に所蔵し便宜、思い出してはその都度何度も読み返していた。
岩波新書「1960年5月19日」は、蔵書として末永く所有したくなる実に雰囲気のある感じのよい書籍だ。まず各章扉に掲載の国会を囲む民衆の当時のモノクロ写真がよい。「確かにそこには人間がいた」。抗議のために国会を囲んで立ち尽くし、デモの列に加わる学生、労働者、主婦、知識人らの写真に「まぎれもなく人間が写っている」重い感触が紙面を通してするのだ。そして他方、同じ人間を写しているのに政治家の岸信介や池田勇人やアイゼンハワーが、なぜか軽薄な人間に紙面掲載の写真を通して見えてしまうのだから、これまた不思議だ。その他、本論以外にも「日米安全保障条約条文」や「新安保条約賛否議員一覧表」が掲載されてあり、本書は新書であるにもかかわらずページ数多く内容は濃い。しかも本新書は1960年10月初版であり、「1960年5月19日」当日から、わずか五ヶ月の短期間で執筆編集され出版に至っている。
「1960年5月19日」とは一体、どういう日であったか。自民党・岸内閣の下で、いわゆる新安保条約の「強行採決」が行われたのが1960年5月19日から20日にかけてであった。
国会では安保特別委員会が一九日午後一時四0分から同委員会の理事会が開かれ、会期延長の是非を巡る与党と野党の議論がまとまらず、その後も議会は混乱を続けていた。そして議事の休憩中に突然、審議が終了。採決の議案が自民党から出される。議事録もとれない混乱のなか採択されたことになる。野党議員は抵抗のために委員会および本院内で座り込みを開始するも、午後一0時五0分、警官隊が院内に突入し座り込む野党議員を排除。政府・与党の意向に沿って、一一時四九分から本会議が開かれた。以下、本書の文章を引こう。
「とにかく、このようにして一一時四九分からはじめられた衆議院本会議で、会期の五0日延長が単独採決され、続いて五月二0日午前零時六分から開かれた本会議で新安保条約の採決が行われた。このとき社会党・民社党だけではなく自民党反主流派も入場せず、…したがって自民党による『単独採決』ですら実はなかった。慎重審議をたてまえとする会期延長をきめながら、直ちに新安保条約そのものの強行採決を行ったのは、どう考えても矛盾したやり口だった。おそらく岸首相の真意は、アイゼンハワー米大統領の訪日予定日である六月一九日までに新安保の批准をすませたかったのであろう。…岸首相は『日本は議会政治の国である。その議会で絶対多数を占める自民党の中の、そのまた絶対多数が安保条約の採決に参加した。だからこの採決は法規にてらしてまちがっていない』といって、単独採決を合理化した」(「五・一九と議会政治」)
このように五月一九日深夜から二0日未明にかけて院内で強行採決が行われていた頃、「国会周辺では一九日夕刻ごろから約二万人の学生・労働者のデモ隊が集結していた。単独採決の報を聞いて、これらの人々は夜を徹して反対を叫びつづけた。『安保批判の会』はすぐに単独採決に反対する声明を発表した。この報道をきいて多くの市民は眠られぬ一夜を明かした。そして翌二0日には雨の中を一0万人のデモが国会をとりまいた」
本新書は新安保条約批准に関し一貫して反対の立場であり、批判的である。その反対根拠は戦後民主主義の理念と照らし合わせた新安保の内容と共に、政府・与党による「単独強行採決」という議会政治を無視した手続きに対してであった。そのため多くの民衆が連日連夜、「新安保反対」を叫んで抗議のデモにて国会をとりまいた。そして、本書では「1960年5月19日」の歴史的意義を以下のようにいう。
「一九六0年五月一九日は、日本の大衆運動の歴史のなかで、象徴的な意味をもつ日付となった。戦前戦後を通じて最大の規模となった国民運動は、この日を契機に展開された。もちろん足かけ二ヶ年にわたる安保条約改定反対闘争の蓄積こそが、この日以後の一大国民運動を準備したことはいうまでもないが、同時にこの日をきっかけに、運動は保守政権の専制独裁に反対する民主主義擁護闘争としての要素を強く加え、…日本をゆり動かしたのだった」
岩波新書の青、日高六郎編「1960年5月19日」は、当時の60年代の日本の「政治の季節」の熱気を読む者に伝える。本書は多くの執筆者により分担され書かれている。藤田省三以外に、石田雄、鶴見良行、日高六郎、鶴見俊輔、荒瀬豊が寄稿している。その中でも「前史」を執筆の藤田省三と、「Ⅰ・五・一九と議会政治」を執筆の石田雄のパートが特に優れている。奇(く)しくも藤田も石田も二人とも丸山眞男の弟子であり、丸山門下の「丸山政治学」を志向する、いわゆる「丸山学派」の人達だ。