アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(65)野田又夫「デカルト」

岩波新書の青、野田又夫「デカルト」(1966年)は、デカルトの「方法序説」に関する当時の「NHK古典講座」全26回の放送講演を新書にまとめたものだ。

全部で26のパートからなり、一つのパートが8ページほどである。「NHK古典講座全26回」の構成からして、おそらくは日曜を除いての毎日一定時刻に短時間、ラジオないしはテレビの帯番組形式で1ヶ月、全26回シリーズの市民講座であったと思われる。忙しい日常の中で、しかしほぼ毎日1ヶ月間、必ず決まった時刻にNHK古典講座を聴講して短時間であれ、デカルトについて継続して学んで考えるというのが「贅沢で羨(うらや)ましくもある充実した豊かな生活、よい人生」の好感の思いが当時の人に対し、私はする。

全26回のうち、最初の10回まではデカルト哲学のイントロとデカルトの生涯の概観である。デカルトの哲学内容に関する本格講義は第10回「『知恵の木』」以降から最終回の第26回「デカルト哲学と現代」までとなり、この部分が本新書にての実質的な読み所であるといえる。

フランス生まれのルネ・デカルト(1596─1650年)は、幼少の頃からイエズス会の神学校に通い論理学や形而上学の伝統的学問のスコラ哲学を修めた。それから大学に行って法学と医学を学び、軍隊に入って従軍し数学を学び、後に各国を遍歴する。その後、当時ヨーロッパでは新興国で文化が進んでいたオランダに定住し、思索を重ねて「方法序説」(1637年)を公刊した。デカルトは確かに数学や医学の当時の新しい自然科学を志向していたものの、幼少時からスコラ哲学の神学に鍛えられたカトリックの生粋(きっすい)のキリスト者であったのに、なぜかオランダにて「無神論者」の危険人物として警戒され糾弾されて、オランダでの出版・議論の一切を禁じられてしまう。そこでスウェーデン女王の招きを受けて北欧に渡った。ストックホルムにて女王の家庭教師として講義を始めたデカルトであったが、身体が堅強でなく生来病弱であった、温暖なフランス生まれのデカルトは、かの北欧の寒冷の気候にて健康を害してしまう。ともかくもスウェーデンは寒い。晩年のデカルトいわく、「この国では人の思想も水と同じく凍ってしまう」。デカルトは風邪をこじらせ肺炎を併発して53歳で亡くなった。1649年に女王クリスティーナの招きに応じストックホルムに滞在したが翌年、わずか1年逗留(とうりゅう)の後にデカルトは、この世を去っている。

以上のデカルトの生涯を概観して得られる現代の私達が学ぶべき人生の「哲学」的教訓は、「たとえ会社の辞令で寒冷地域への転勤が命ぜられたとしても、病弱な奴は断れ。無理して寒冷支所への転属を承認せず、まずは人事に相談して断ってそれでも駄目なら、いよいよの時は退職して転職しろ」ということか(笑)。虚弱体質には寒冷地域の厳しい寒さは身に堪(こた)える。健康を害する。確実に寿命が縮む。

「デカルト哲学は、もどかしい」。デカルトの邦訳著述やデカルト研究を読むにつけ、そうした思いがいつも私は拭(ぬぐ)えない。確かにデカルトの叙述は平易で分かりやすい、他の哲学者のものと比べても。デカルトに関しては一読してすぐに分かったような気になるが、そこがデカルト哲学の罠(わな)である。本当は平易なデカルトの叙述の奥に、さらにその裏があって深さもあって、重大な事柄をいつも何かしら読み逃しているような感触が残る。

岩波新書の野田又夫「デカルト」もデカルト哲学の本来的な読みやすさに加えて、著者による分かりやすい親切丁寧な解説にて案外平易でスラスラ読めそうなのに、否(いな)、実際にスラスラ読めて短時間で新書一冊を軽く読破できるのだが、しかしよくよく考えて何度も返り読みなどして熟読を試みると、これが結構、新書一冊を読み切るのに日数がかかる。本当は平易でスラスラ読めて短期間で読了できそうなのに、その印象を裏切って読了までにかなりの時間を費やすので自身の中で感覚的に余計もどかしく感じてしまう。この「デカルト哲学の書籍を読む際のもどかしさ」伝わるだろうか。だからデカルトを読んで学ぶ際には生活の時間の、さらには精神の心の余裕が必要だ。デカルトは軽く読めるが、読み急ぐと必ず失敗する。

デカルト哲学を概観して得られる、デカルトの哲学思想の中身以外での現代の私達が学ぶべき人生の「哲学」的教訓は、すなわち以下だ。

「基本の基礎で自明で明快で普遍的なものは、一見平易で分かりやすく習得が容易に思えるが、実は奥が深くて内容が濃くて高度で難しい。逆に応用で複雑で見通しが悪く特殊なものは、一見難解で習得するのが大変そうだが、見かけ倒しで意外に平板で空洞で実のところ低級で易しかったりする」

デカルトは理性主義の大陸合理論の祖であり、心身二元論の近代哲学の地平を拓(ひら)いた哲学者であった。ゆえにデカルト哲学は一見平易に見えて、実は難解である。

デカルトは懐疑論を「主体的に」駆使して夢うつつの状態や自己を欺(あざむ)く悪魔の存在まで想定して全てを疑い尽くしたが、最後にどうしても「われ考うゆえにわれあり」の「われ」が残った。「たとえ誤った考えを私達が抱いていたとしても、そう考えている私が存在している事実は疑うことができない」と考えたのである。考える我の主体は自明である。私の存在は考える以外の何者でもない。その我は自己の中にある明晰判明な判断をなす理性に支えられ、理性はデカルトの神への信仰に支えられていた。私の精神の「純粋に」(アプリオリ)に思惟することのできる判断吟味の理性の完全性は、そのまま完全な神から人間が受けとったものなのである。人間理性の完全性は神の完全性を媒介として保障されている。デカルトのなかで理性主義の理性への信頼は、キリスト者の神への信仰に他ならない。

デカルトにおいて、神への信仰と理性の哲学・科学とは二元論にならない。両者は対立矛盾なく同一原理にて一貫してある。宗教と科学の衝突の問題でも、デカルトは啓示神学ではなく自然神学の理神論の立場から乗りきって、宗教と科学の対立を回避した。また私達が勝手に判断して速断や偏見の誤った判断をするのは、理性(信仰)によって正しく思考せず、感覚や情念に基づいて勝手に思考するからである。デカルトからすれば、正しい思考規則や生活道徳の「方法」にて情念に対する理性の無制限な支配を獲得すればよいだけのことであり、世界には心身問題の深刻な矛盾は、そもそも存在しない。

このように懐疑論を駆使しながら、あらゆる事象を疑うが、しかし我と同様に最後の最後に神の存在を決して疑わなかったデカルトによって発見された精神と物質の心身二元論は、神への信仰を失わないデカルト当人にとって主観的には「どこまでも明晰判明な平易なデカルト哲学」であって、そこには矛盾をきたす近代哲学の二元論の難題(アポリア)は何ら存在しなかった。そして、デカルト以降の哲学者たちが、この心身二元論の近代哲学の困難と後に格闘することになる。