アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(76)赤江達也「矢内原忠雄」

内村鑑三や矢内原忠雄ら近代日本のキリスト者を個人のキリスト教信仰からではなくて学術的に読むのは、それは彼らがキリスト者として世俗の政治権力、つまりは当時の日本の近代天皇制国家を超える超越的で普遍的な原理を宗教者であるがゆえに持っていた面に注目するからに他ならない。

現実に大日本帝国の天皇制国家の政治的圧力に押され時に弾圧されて結果、「宗教が政治に敗北する」ないしはキリスト者みずからが世俗の自己保身や教団組織繁栄のために国家に忠誠を見せて献身するような、最終的に「宗教が政治に取り込まれる」ことがあったとしても、キリスト者には生来的に世俗の国家権力を超える超越的・普遍的原理があるのであって、それと世上の権力政治の勘定打算の論理との相剋を確かめるためにこそ、内村や矢内原ら近代日本のキリスト者の思想は読まれるべきだ (少なくとも私は読むのだ)と思う。

戦後になって、人はよく「なぜ戦前・戦中の日本人は天皇制国家と対決しなかったのか。いとも簡単に天皇制国家の超国家主義に呑(の)み込まれ、国家に奉仕する臣民でしかなかったのか」と問われ糾弾されるが、戦前に天皇制国家を批判でき国への不服従を貫いて対決できたのは、現存国家の存在を相対化して国家を超える超越原理を有する人達のみである。私の感触からして、この超越原理有無の点で近代日本にて天皇制国家に対抗できたのは、(1)宗教者(キリスト者や仏教の真宗門徒ら)、(2)マルクス主義者、(3)西洋の自然法と民主政思想に鍛えられた原理的自由主義者の三者しかいない。この意味においても、近代日本のキリスト者は世俗国家の政治的権力との対抗可能性にて読まれるべきだと思う。

岩波新書の赤、赤江達也「矢内原忠雄」(2017年)は副題が「戦争と知識人の使命」であり、近代日本のキリスト者であり無教会派の矢内原忠雄を通しての、キリスト者における国家権力を超える超越的原理と世俗の権力政治の論理との相剋について主に述べられている。

「戦時抵抗を貫いたキリスト教知識人のミッションとは何だったのか。内村鑑三門下の無教会キリスト者、新渡戸稲造門下の植民政策学者にして、東大総長などを歴任した公共的知識人、その多面的な相貌と生涯を、預言者、『キリスト教ナショナリズム』、天皇観などに着目し、従来の矢内原像を刷新する新しい視点から描く」(表紙カバー裏解説)

本書は、矢内原忠雄の誕生から新渡戸稲造に師事、キリスト教入信、内村鑑三に入門、東京帝国大学・助教授就任(植民政策講座担当)、「神の国」講演により東京帝国大学を辞職(いわゆる「矢内原事件」)、終戦後に東京帝国大学教授に復帰、その晩年までを時系列で評伝形式にて書き抜いている。なかでも矢内原のキリスト教思想の実質を子細に検討した「第四章・戦争の時代と非戦の預言者・一九三七─四五年」が本書の出色(しゅっしょく)だ。第四章は著者が形式的に節に分けて記述しているわけではないが、内容からして次の三つの矢内原のキリスト教思想の内実により構成されている。(1)預言者的ナショナリズム、(2)二重の「全体主義」論、(3)義戦論と非戦論の緊張関係である。

確かに、矢内原は世俗の政治権力に対抗する普遍なキリスト教の原理を構築できた。そうした宗教的な超越的原理の立場から、戦時中の大日本帝国の近代天皇制国家を「批判」し得た。いわゆる「地の国」の天皇制国家のナショナリズムに対し、「神の国」のキリスト教ナショナリズムを対置できた。それは現実と理念との対抗であり、世俗の政治と超越の宗教との対立であった。しかしながら、そうした形式的な二元論をとり、戦争遂行の大日本帝国のあり様を現象的に「批判」する「対抗ナショナリズム」たり得たが、矢内原のキリスト教思想は、実質的に現実の近代天皇制国家の方針から何ら逸脱しなかったし、何ら原理的批判の対抗にもなり得なかった。このことは本書の中でも直截(ちょくせつ)に述べられている、

「矢内原は、植民地朝鮮の人びとに対して植民本国である日本への『服従』を求め、日本に侵略されている中国の国民に対しては『降参』を勧める。そして、日本の青年には死を受けいれる姿勢を説いている。そこに共通しているのは、目の前の苦難は神から与えれた試練であり、それを受容することこそが信仰的な態度だという考えである。…矢内原は他のキリスト者に対しても、苦難を受けいれ、『真理』のために死ぬことの意義を語る。その言葉は、励ましを与えるものであると同時に、植民地支配・侵略・徴兵・戦場での戦闘や死といった現実の苦難を受容するように勧めるものであり、抵抗や逃走を禁じるものでもあった」(「全体主義とキリスト教」176・177ページ)

矢内原のキリスト者の戦争責任の言説にて面白いのは、そうした実質的に現実の近代天皇制国家に対し何ら逸脱・批判の対抗もなし得なかったのに、形式的にはナショナリズムの権力政治の特殊原理とキリスト者の宗教原理の普遍原理の対抗という二元論をとり、戦争遂行の大日本帝国のあり様を現象的に「批判」する「対抗ナショナリズム」たり得たために、矢内原本人が自身のナショナリズム批判や戦争「反対」のかつての戦時中の行いを主観的に勝手に再構成して、実質そういったキリスト者からする世俗の政治権力を相対化する言動にして敗戦後、いとも安易に「超回復」(?) を果たし、戦後啓蒙にて「平和の伝道」をやる良心的知識人として再活躍できたということだ。

矢内原の内面において、戦時中から戦後にかけて自分の中では何ら転向や挫折や後退はなく、自身の思想をどこまでも首尾一貫して貫いた主観的確信があったに違いない。確かに矢内原忠雄は戦時中に「神の国」演説にて東京帝国大学辞職を余儀なくされたし、「中央公論」に掲載の「国家の理想」論文は発禁に近い言論弾圧の扱いを受けた。それら戦中の事柄が戦後に、あたかも矢内原が国家に一貫して反抗し続けたという誤解の「キリスト者の平和」の裏打ち「勲章」として過剰に機能した面を現代の私達は冷静に押さえるべきであろう。

赤江「矢内原忠雄」にて、そういった戦時中の矢内原の思想の内実を明らかにする記述が非常に優れている。矢内原の主観的論理に沿って内在的に読み、かつその上で矢内原の思想の総体の実質を見極めて解説批判できている。著者の分析の手際(てぎわ)が素晴らしいと思う。著者による「『神の国』と日本」と「個人と国家」の二組の概念セットでの矢内原の「預言者的ナショナリズム」における「奇妙な短絡」の指摘は実に読み応(ごた)えがある(149─156ページ)。天皇制国家によるキリスト教包囲網にて、「キリスト教の神と現人神(あらひとがみ)の天皇のどちらが上か」といった「踏み絵」のような紋切り型のキリスト教批判問答で神の上下序列の明言を回避する、どちらの神が上であり下であるとも解釈できるような矢内原の巧(たく)みな応答についての著者の指摘も優れている(157・158ページ)。「近代日本のキリスト教には抵抗権の思想があまりみられない」という先行研究を踏まえた上での、国民の「抵抗」や「叛逆」に否定的であった矢内原のキリスト教思想の限界も見事に押さえられている(163ページ)。

それら矢内原のキリスト教思想が日本の国体思想と異常に親和的であるのは、本書にて著者は直接的に述べてはいないが、彼のキリスト教信仰が極めて日本的であることに求められるのではないか。

矢内原の入信は第一高等学校在籍時の青年期であり、信仰生活の始まりは比較的遅い。しかも入信のきっかけは新渡戸稲造との出会いであり、後の無教会主義へのそれも内村鑑三への師事など、近しい人物に対する心酔傾倒を介しての入信であって、より厳密にいってキリスト教思想そのものへの感動ではない。また当時の矢内原にとってキリスト教は宗教的信仰であるよりは、精神的人格修養の有効な手段として捉えられていた点も考慮されるべきだ。その他、両親や友人の死に際し「人間は死んだら天国に行けるかどうか」人間の死後の運命の素朴な彼岸の観点から宗教的思索を巡(めぐ)らしたり、満州での列車襲撃事件にて九死に一生を得た自身の経験の内に神に守られる「神の恩恵」を見出だす思考は、キリスト教信仰とはいいなから人間生の感性的肯定や神への偶像崇拝たる日本の神道的信仰の性格が、矢内原においては強いことの表れといえよう。矢内原の著述や矢内原忠雄研究をこれまで読むたびに、矢内原のキリスト教信仰の中に日本的(神道的!)なものを相当の違和を持って私は感じてきた。

岩波新書の赤、赤江達也「矢内原忠雄・戦争と知識人の使命」(2017年)は比較的、近年の書籍である。矢内原が師事した内村鑑三に関しても、同じ岩波新書から若松英輔「内村鑑三・悲しみの使徒」(2018年)が近年出ている。これら二冊を連続して読むと面白いのではないか。