岩波新書の赤、多木浩二「天皇の肖像」(1988年)は、後に増補され岩波現代文庫から再刊されている。再刊された「増補版・天皇の肖像」(2002年)の表紙カバー裏解説には次のようにある。
「明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという『権力の視覚化』は大きな問題だった。天皇は全国を巡幸することで民衆にとって見えるものとなり、さらに御真影がつくられる。理想の近代国家君主の肖像をつくりあげるためにどのような方法がとられたのか。近代日本史研究に大きな衝撃を与えた画期的著作」
確かに、多木浩二「天皇の肖像」は「近代日本史研究に大きな衝撃を与えた画期的著作」だと思う。本書は、いわゆる「カルチュラル・スタディーズ」(文化研究、文化学)に属するものだ。カルチュラル・スタディーズとは、従来学問の定番研究対象たる政治や法律や経済など以外の文化領域、日常生活にての文化的行為の意味を考察するものである。特定分野にのみ収まらない各領域を包摂する文化一般に関する学術研究だ。しかも、そうした文化一般に関する学術研究を通して権力支配のイデオロギー性を暴露する文化研究の方法論をとる。
多木「天皇の肖像」は、近代日本の天皇制国家にて明治天皇の肖像写真たる「御真影」(ごしんえい)に注目し、その「御真影」に託された政治的意味を「権力の視覚化」という観点から読み解こうとするものである。本新書は、まさにカルチュラル・スタディーズ典型の問題意識と手法に基づいた考察といえるのではないか。また日本の近代天皇制国家の「権力の視覚化」を扱った多木「天皇の肖像」の後継良書として、私達は原武史「可視化された帝国」(2001年)を知っている。
「天皇の肖像」である「御真影」が天皇その人と同一視され、その取り扱いをめぐって一連の儀式が生み出された。「御真影」への礼拝儀式は天皇制国家を形成し維持する極めて有効な装置の一つになっていった。「権力の視覚化」という方針は、近代天皇制国家の国民教化の施策において重要な柱であったのだ。本書にて指摘されているように、「御真影」の初等学校への下付が始まったのは1889(明治22)年であり、教育勅語が発布されたのも帝国憲法が制定されたのも同じく明治22年前後だ。「これらの出来事が殆ど同時期に一せいに生じているのは、まったく偶然ではない」と著者はいう。「御真影」は天皇制国家の神権的イデオロギーに沿う形で、主に教育現場にて民衆の間に「神性」をもって着々と定着し受容されていった。学校敷地内の奉安殿に教育勅語とともに神妙に納められた。今となっては滑稽(こっけい)な笑い話でしかないが、たかだか明治天皇の肖像写真でしかない「御真影」が物神的性格を有して生身の天皇と同じ神聖なものとみなされ、扱いに粗漏(そろう)があると学校長が自殺して責任をとった事例まであるという。また、学校火災の際に「御真影」を火事の中から救いだそうとして学校長が命を失い、そのことが世間の「美談」になることもあった。
江戸時代の封建制下での天皇は人々に広く知られていない消極的権威に過ぎなかった。明治維新を経て「王政復古、天皇親政」のスローガンのもと、天皇は形式的に権力主体にすり替えられた。しかし、大久保利通や伊藤博文ら当時の明治政府の権力者たちにとって、封建時代に消極的権威であった天皇の現今の利用価値は、いまだ未知数であった。明治維新当初、天皇は民衆に広く知られておらず、権力が見えないために生じる政治的弱点を有していたのである。そのため「早急に権力を民衆に見えるようにしなければならない」権力の視覚技術の必要性が大久保らに痛感された。それゆえの本書にて考察される、明治国家の「天皇の視覚化」である。そこでの「天皇の視覚化」は、より具体的にいって末端の学校教育現場への「御真影の下付」と天皇みずからが日本全国をほぼ隈なくまわる「明治天皇の大巡幸」とであった。後者の巡幸は天皇が国土と人民を視察しているようにみえて、実は天皇を民衆に広く見せる施策であったのだ。この意味において、「御真影」も「巡幸」も「天皇の視覚化」の権力の見せ方問題に他ならない。
だが、そうした「権力の視覚化」は天皇を眼に見えるものにするだけでは十分でない。「御真影」にて天皇を視覚化し身体化し写真にしてさらけ出すことは生身の人間としての天皇を民衆にさらすことでもある。「御真影」とはいっても所詮は即物で一葉の肖像でしかない。むしろ、この「御真影」を素材にし恭(うやうや)しい儀式を敢行することを通して、本当は生身の身体を持った人間でしかない天皇を神格化する策術にて「御真影」は政治的意義を持つのであった。なぜなら近代天皇制国家において、天皇は人間ではあるが同時に神でもある現人神(あらひとがみ)でなければならないからだ。そのような神権的天皇制の趣旨に沿う形で「天皇の肖像」たる「御真影」に権威を持たせるための恭しい儀式の敢行とは、「御真影」下付の煩瑣(はんさ)なシステムと下付された後の「御真影」取り扱いに関する厳しい制約であった。
以上が多木「天皇の肖像」の前提となる大まかな議論だ。さらに本論にて図表や史料や先行研究を踏まえて、より詳細に論じられている。最終章にあたる「第六章・『御真影』の生みだす政治空間」にて、「御真影」を通して民衆に天皇をどう見せるかという「権力の視覚化」の支配の内実まで本書では見事に押さえられている。
「御真影」を下付された学校長ら中間的指導者は「御真影」を下付されたと同時に、天皇の代理としての支配「責任」も暗黙裡に「下付」されたのであった。そうして「御真影」が下付された学校現場にて、視覚化された「天皇の肖像」に皆が礼拝する形で上下支配貫徹の政治空間が生みだされる。当時にても、すでに一部の人々に気付かれ内心では馬鹿馬鹿しく感じられていた「御真影」下付の荘厳(?)儀式がもたらす政治空間の生成と階層秩序に即した政治的指導の「無限責任」の代行は、学校現場の至る所に生じ、「御真影」を介しての体制支配は例えそれが無意味なタテマエに過ぎないものであっても形式的儀礼として民衆の中に広く貫徹する。こうした概要の本書での著者による「『御真影』の生みだす政治空間」についての説明は非常に優れている。