アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(86)中村元「ブッダ物語」

中村元は偉大だ。インド哲学専攻であり仏教学者でもある氏は、いったい生前にどれほどの書籍を上梓しているのだろうか。中村元の著作は異常に多いのである。この人は、「佛教語大事典」の事典の類いを単独で一人きりで長年かけて書き切るような破天荒な人だ。辞書や事典は、項目別に複数の担当者に分けて数人で分筆するのが通例である。

インド哲学専攻であり、なかでも仏教思想全般に造詣の深い中村元であるが、氏はインド原始仏教、ブッダの生涯に関する書籍も多く出している。それらが「仏教入門」のような仏教初学の者に対して、ちょうどよい加減の読み物になっている。その手の仏教概説書として以前に私は岩波文庫のベック「仏教」上下巻(1962年、1977年)を愛読していたが、後に中村の「ブッダ」のタイトルがついた著作を連続して読んでみて非常に面白かった。その内の一冊、中村元の岩波ジュニア新書「ブッダ物語」(1990年)は田辺和子との共著である。

「ブッダはお釈迦様の名で知られる仏教の開祖です。シャカ族の王子に生まれ、生きる苦しみから悟りを開き教えを説くにいたったその生涯をたどり、仏教の教義をわかりやすく説明します。四苦八苦、因縁、縁起、業などよく使われる言葉の本来の意味を解説し、悟りとは何かを明らかにする、やさしい仏教入門」(裏表紙解説)

また本書の田辺和子との共著の体裁について、中村元は「まえがき」にて次のように述べている。

「私はこれまでに『ゴータマ・ブッダの生涯』(釈尊伝)と名づけるものをいろいろ著したが、いずれも専門的な考証や論究をふくんでいる。それを簡略にわかりやすくまとめてみたいと思った。そこで田辺和子さんと相談して全体の構成をまとめ、共同執筆してもらうことにした。田辺さんは仏教文学の専門学者で、これまでも流麗な筆致で多くの論文や著書を発表している」

特に岩波新書には、その他、仏教に関する基本の概説書、格好の入門書として渡辺照宏の「仏教三部作」とも言うべき「仏教」(1956年)、「日本の仏教」(1958年)、「お経の話」(1967年)もある。岩波ジュニア新書の中村元「ブッダ物語」はジュニア新書の中高生向けではあるが、大学生や社会人の大人が読んでも面白く、古代インドの宗教風土ならびにブッダの生涯や原始仏教の思想、初期教団組織形成の概要を手早く知るのに適している。

先日、「中村元英文論集・邦訳シリーズ」の「比較思想から見た仏教」(1987年)と「日本思想史」(1988年)を久しぶりに読み返してみた。中村元はインドの思想と文化のみならず、それと西洋のキリスト教文化との共通と対照やインドの原始仏教と日本仏教との比較相違にも強い問題意識を持ち、早くから比較思想研究に関する仕事を多く重ねていた。中村の著作を読んで私は遅まきながら気づいたが、例えば仏教でのブッダのいわゆる「菩提樹の下の悟り」における悪魔の誘惑と、キリスト教のイエスがヨハネによる洗礼の後の「荒野の誘惑」における悪魔の甘言は何と似ていることか。

以前に日本思想史を勉強していた時、特定の時代や個人の思想家に限定されない、原始・古代から近現代に至るまで通低する日本思想そのものの普遍的な本質問題を掘り起こし明らかにしたいと私は考えていた。そうした日本思想史の全時代に共通する根本の問題が確かに存在することは、昔から感覚的にも分かっていた。そのような問題あぶり出しの問題史への有効な手法の一つに比較思想研究からのアプローチがある。みずからの独自性や問題性を強く意識化するためには、他のものと比較検討する方法が有効だ。

例えばインドの原始仏教と日本仏教の相違に関し、北伝仏教としての日本に伝来受容の過程でインドのブッダの仏教の本来性が変質し変容してしまうことは十分にあり得る。そういった観点からの日本仏教史研究ないしは日本思想史研究の先駆けの古典的研究として、中村が提唱した「比較思想論」(1960年)の手法を取った中村元「比較思想から見た仏教」と「日本思想史」は昔の研究ではあるが、今読み返してみても大変に優れている。とりあえず、中村「日本思想史」にての最終章「日本の哲学思想の諸問題」の総括、「一、現実の容認、二、特殊な社会関係を重視する傾向、三、非合理的な傾向」といった、日本思想への問題指摘は今日でも十分に示唆に富む。

「比較思想から見た仏教」と「日本思想史」の二冊は、もともと日本仏教や日本思想史の研究を志す海外の学生向けに書かれた基本のテキストであり、中村元が英文執筆したものを後に別の翻訳者が日本語訳して新たに出した書物である。サンスクリット語やパーリ語のみならず、英語にも堪能で様々な語学への精通を見せる実に偉大な中村元であった。