アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(94)中村政則「象徴天皇制への道」

戦後の天皇制、いわゆる「象徴天皇制」において、天皇が「象徴」であることの意味内容は果てしなく広く、どこまでも深い。そのことは象徴天皇制の議論が、憲法論の法学や政治学や歴史学や民俗学や宗教学や文化人類学や現代思想の記号論など、様々な分野にて論じられていることからも理解できる。また柳田国男、津田左右吉、和辻哲郎ら各人による王権論、天皇論にて天皇が「象徴」であることの意味についての考察は誠に深い。戦後の象徴天皇制に対する議論は幅広く、かつ奥深い問題射程を持つ。

岩波新書の赤、中村政則「象徴天皇制への道」(1989年)も、そうした戦後の象徴天皇制に関する論考の一つである。本新書が、戦後の「象徴」天皇たる昭和天皇逝去(崩御)の1989年に刊行されたことは誠に意義深い。本書の概要は以下だ。

「一九三二年から日米開戦直後までの十年間、駐日米国大使を務めたグルーは、帰国後各地で『知日米派』として独自の天皇観・日本論を語った。GHQの占領政策、特に天皇制の存続に尽力した彼の膨大な手記と手紙をもとに、初めて吉田茂らとの秘められた関係、マッカーサーとの意外な接点、そして『象徴』という呼称の誕生に至る経過に光をあてる」(表紙カバー裏解説)

本書には「米国大使グルーとその周辺」という副題が付いている。一九三二年から日米開戦直後までの十年間、駐日米国大使を務めたグルーが本国へ帰国し終戦後、GHQの占領政策に多大な影響を及ぼし、日本の天皇制の存続を軸にしたアメリカによる間接統治に尽力した様を彼の日記や手記や手紙の膨大な一次史料に直接あたって解読していく。本新書はグルーが策定した、戦後日本における「象徴天皇制への道」を明らかにするものだ。

私が読む限り、グルーが「象徴天皇制への道」を強く推す主な根拠は、コストがかからずリスクも伴わず、米国による敗戦後の日本のスムーズな統治遂行の有用性の観点からする政治的判断による天皇利用論である。よって、本書にて展開される戦後の天皇が「象徴」である意味は、統治の効率性よりなる極めて合理的な政治判断からするタイプの象徴天皇制論であるといえる。そうした「戦後の日本においては、天皇制を存続させて再利用する選択が最良」とするようなグルーの天皇制に対する政治的判断は本書掲載の、例えば次のような書簡文中にて端的に示されている。

「天皇制にかんしていえば、…現在の天皇個人と明白に区別されるべきものだが、…それは保持されるべきであると、私の心中ははっきりしている。なぜなら象徴として、天皇制はかつて軍国主義崇拝に役立ったと同時に、健全かつ平和的な内部的成長にとっての礎石としても役立つからである」(「国務省・ホーンベック宛」1943年9月30日付)

「将来、天皇に何が起ころうとも、天皇制は残すべきだというのが私の堅い信念です。日本に民主主義を接ぎ木しようとしても、混乱に終わるだけでしょう。天皇制が日本人の生活の礎石であり、最後の頼みであるかぎり、それは、われわれが日本から軍国主義を追放した暁には、健全な政治構造を打ち樹てるときの土台として利用できるものです。私はわれわれがこの事業をなしとげることができるし、必ずやりとげるであろうことにほとんど疑いをもっておりません」(「『サンフランシスコ・ニューズ』ジョン・S・パイパー宛」1943年11月30日付)

「礎石として役立つ」や「土台として利用できる」など、いずれも戦前の軍国主義の精神的支柱であった日本の天皇制を今度は新たに民主化日本の「平和」の象徴、効率的な統治という観点から戦後に象徴天皇制として利用し尽くすべきという、日本の内情をよく知る「知日派」グルーによる提言である。日本に知悉していたグルーは、しばしば「西洋的思考の尺度で日本人の心理や性格をはかってはならない」といい、「既成の欧米的改革を日本に押しつけるのではなく、日本の伝統に即した発展と変革を助長する」ことを主張していた。

こうした日本をよく知るがゆえに日本の内情に即し、あえて強硬策に出ない、しかし冷徹で合理的な天皇制の再利用という政治的判断がまず土台にあって、その上に「親日派」で日本の天皇に対し穏健であったグルーと、「ミカドは去るべし。天皇崇拝の思想は日本の侵略行為の真髄」とするような中国サイドの反天皇キャンペーンの意向を汲(く)むため、天皇制を含む日本の戦後処理に非常に厳しく強硬な「親中国派」グループとのアメリカ国務省内での激しい対立があった。また、戦後に報復の復讐心に駆られた「カルタゴ的懲罰」(ローマ帝国がフェニキア人のカルタゴを壊滅させたように、日本国を滅亡させるような苛酷な復讐的態度で日本の戦後処理に臨むべきこと)を唱えて、戦後世界における後の日本に対する米国の政治的影響力を何ら勘案しない、アメリカ国内の安易な激情型世論にもグルーは反発と抵抗を感じていた。そのためグルーは天皇制存続の再利用の線で、マッカーサーにも日本の占領改革人事に関する働きかけの工作をしていた。

その他、戦前から日米開戦直後までの十年間、駐日米国大使を務め日本に滞在したグルーの日本の友人たちへの思いや、牧野伸顕や樺山愛輔や吉田茂ら、いわゆる日本の「穏健派」(対米戦に比較的慎重・消極的であった政治家や外交官)とされる人達との私的な交流もあった。そうした諸々の要素が、主に政治的有用性の判断からの天皇制の存続の主張と戦後の天皇制利用論を内実とするグルーの「象徴天皇制への道」を背後にて支えていた。

それにしても、コストとリスクからする合理的な有用性観点の利用論からする政治的判断というのは、一般的にいっても誠に非情であり、味気ないものである。そこには効率的な「政略」上の判断が主であり、利用論の政治の前では理性的な倫理意識や文化の鑑賞享受や民族共同体の伝統尊重といった態度は二義的なものに追いやられてしまうからだ。

本書を読んでいると、著者の中村政則がグルーの日記や手記や手紙を解読していく過程で著者もグルーの戦後の天皇制再利用の象徴天皇制の線に完全同意し、同調していっている点が非常に興味深い。歴史家が研究対象や史料に接しているうちに、それらにいつの間にか取り込まれ同調してしまい結果、自分を喪(うしな)ってしまうことは実際によくある。グルーないしは中村が強調する戦後の天皇制の存続理由は、「統治に使えて有用だから、利用に耐えうるから」というのが主な判断根拠になっている。本書「象徴天皇制への道」にて展開されている象徴天皇制論とは、そうしたタイプの天皇制論である。

ここには「戦前の軍国主義の象徴であり精神的支柱であった天皇制を、そのまま戦後に民主化の『平和』の象徴として再利用する節操のなさは、どうなのか」とか、「そうした戦中と戦後を連続させる天皇利用論ならば、戦前の『軍国主義』と戦後の『平和主義』とは単に表看板を入れ換えただけで、その『軍国』と『平和』の内実は天皇が象徴になる点において実質的に同じではないのか」とか、「敗戦後に天皇制を存続させ政治的に再利用するにあたり、天皇個人の戦争責任問題や天皇制そのものが戦時中に果たした政治的役割の問題はどうするのか」といった議論は全くない。

岩波新書「象徴天皇制への道」を一読して、グルーも著者の中村政則も「天皇の戦争責任」は見事なまでに看過して全く触れないのだ。天皇制が戦前に日本の軍国主義にて果たし発揮した政治的役割についての主体的な考察も皆無である。この辺りが岩波新書の赤、中村政則「象徴天皇制への道」の難点であり、読後に残る味気なさ、物足りなさか。