アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(96)川田稔「昭和陸軍全史」

(今回は、講談社現代新書、川田稔「昭和陸軍全史」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、川田稔「昭和陸軍全史」は岩波新書ではありません。)

毎年、夏の暑い盛りの八月になると、なぜか先の日本の戦争についての書籍を読みたくなる。これは私が紛(まぎ)れもない日本人であるからに相違ない。川田稔「昭和陸軍全史」全三巻(2014─15年)は、「昭和陸軍」の誕生と変遷を戦略構想と陸軍内部の派閥抗争の点から、満州事変、日中戦争、太平洋戦争までを時系列で各種史料を詳細に追跡することを通して「昭和陸軍(の)全史」を明らかにした力作だ。

新書にもかかわらず一巻が400ページほどあり、全三巻で約1200ページの膨大な量である。まず「昭和陸軍」内部での派閥グループの形成と、それら派閥同士の陸軍内でのポスト争奪、個人間の昇進と失脚の騒動、陸軍における指導権の掌握闘争、大陸前線の実働的な師団将校と東京の陸軍参謀本部の官僚的将校との間の戦闘戦略の温度差、軍部の周りで暗躍する政治ブローカーや民間右翼団体の働きかけがあった。さらには海軍や内閣や外務省、天皇と元老・重臣らに対する、陸軍全体での政治介入や予算獲得をめぐっての接触・懐柔と対立・暴走の勢力拡大誇示の運動もあった。そうした事柄を公式の政策、綱領、命令文書、電信、さらには当事者の談話、私的な回想手記や日記や書簡、関係者らの証言メモを駆使して具体的日時の会合や面会にて当日、何が語られ何が決定されたかまで追跡し、非常に事細かに明らかにしていく。

歴史の総体を明確にするためにより効果的な方法を自覚的に選択していく歴史研究の立場からして、川田稔「昭和陸軍全史」は、限定された狭い範囲の「昭和陸軍」内部での派閥抗争や粛清人事の詳細を事細かに実証的に明らかにした悪い意味での「政局史」でしかない。そうした「政局史」は、どこまでも政治権力内部の一部門(陸軍)の限定された内輪(うちわ)な話である。そこには政治権力を掌握する治者が国民や民衆の大多数の被治者を巻き込み働きかけ政治支配する治者と被治者との関係性への視点考察が欠落しているのだ。「歴史を動かす主な要因とは何か」を考え、そこに焦点を当てる歴史哲学的な理論的考察が「政局史」には欠けている。いつも政権内部の細かな政局闘争の実証的解明に終始するのみである。

だが、しかし本書「昭和陸軍全史」を読んで、そうした政治権力内部の、さらには「昭和陸軍」という一部門組織内での子細な事実の客観的解明にのみ終始する「政局史」の難点がありながらも、余りに圧倒的量の細かで厳密な客観的実証を重ねているために、いわば「量質転化」にて逆にこれは非常に意義ある歴史研究のように思えてくるのだから不思議だ。

本書を読んでいくと「昭和陸軍」の中心首班の軍人(永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら)が、節目のその時々で「状況をどうあらせたいと思い、どういった判断決断を現実にしたか」史料を併せて実証具体的に追跡することで、例えば「日本は中国国民党と共産党の合作反日策略にはまり日中戦争の泥沼に陥った」だとか、「アメリカの挑発に乗って日本はやむにやまれず対米戦に突入した」とか、「先の戦争は日本国の自衛戦争であり、これまたやむにやまれずの正当な戦いであった」とか、「欧米列強からのアジアの解放のために日本は戦った」など、昨今の右派や国家主義者や歴史修正主義者らが述べていることが全くの荒唐無稽な虚妄と分かるはずだ。ましてや対米戦は「満州を取った日本が南下し、フィリピンを取ったアメリカが北上して、中国にて市場争奪のための日米の帝国主義的衝突であった」というような、ある種の理性的な日米開戦ですらなかったのである。

詳しくは全三巻、約1200ページの「昭和陸軍全史」を読んでもらうしかないが、私の読後の感想書評を述べるなら、「昭和陸軍」創始者の一人で理論的支柱であった永田鉄山の「国家総力戦、国際的経済戦争のための資源と市場の確保」(第2巻、109・110ページ)という言葉に集約・象徴されるように、もちろん陸軍内部で人による表面的相違はあるが、全般に「昭和陸軍」は来(きた)るべき将来の大戦に勝つために国家総力戦体制の構築と、次期総力戦を遂行できるだけの資源確保と市場獲得を目指して目下の戦争遂行勝利を目する、いわば「戦争により戦争を養う」ような「戦争のための戦争」に明け暮れるあり様であったといえる。諸外国からの巧みな挑発によってや自衛のためやアジアの解放のために「やむにやまれず」ではない。進んで積極的に「戦争のための戦争」をやった。それは職業軍人は戦争遂行が本職の仕事であり、戦争遂行での戦勝が常に彼らの悲願の目標であるからだ。軍人たる彼らは好戦衝動にいつも駆られてしまう。戦争をやって勝利する以外にも真の国益が時にあることを彼らは知らない。

「昭和陸軍」は、やたらと「戦争のための戦争」をやりたがるのであった(苦笑)。ないしは平時でも戦争遂行のための総力戦体制をやたら作りたがる。しかも、無謀な強硬作戦の完遂や途方もない戦線拡大や壮大な戦闘計画を絶えずしたがる。そのため国際政治の状況判断も作戦遂行計画の戦果のもくろみも、不自然で不合理なまでに自分たち日本国にとって異常に甘く都合の良すぎる、他方で相手国への評価は不当に低く軽くて厳しい希望的判断計画が信じられ採用され遂行されて案の定、失敗を重ねてしまう。当時の「昭和陸軍」は、無駄な戦いを避ける協調外交の努力や中途での戦術変更や経費削減のための軍縮判断を、ほとんどやらない。

よくよく考えてみれば、「日米持久戦から日米世界最終戦争へ」(石原莞爾)など、来るべき将来の大戦に勝つための資源自給体制確保を志向する「戦争により戦争を養う」方式の「戦争のための戦争」は、将来の次期大戦を成すためには緒戦にて絶対に負けられない、一度も敗北が許されない実に過酷な、いわば「勝ち抜きトーナメント戦」のようなものである。もしそれがあるとして、「日米世界最終戦争」の最後にたどり着くまで連戦連勝で各方面での諸外国との戦争(対中国、対ソ連など)に常に勝ち続けなければならないわけである。だから、目先の戦争にて絶対に負けられないから、敗北を認めたくないために無謀な作戦遂行や長期戦の泥沼突入への無理が各戦線にて生じる。来るべき将来の次期大戦に勝つために目下の戦争遂行勝利を目する、「戦争により戦争を養う」の「戦争のための戦争」の理論は、原理的に言って一国が常に連戦連勝で負け知らずの奇跡など起こせるわけがないのだから現実的な実現可能性にて破綻していることは明白だ。いくら「当時の選(よ)りすぐりの秀才が集(つど)った陸軍」であるとはいえ、結局はその程度の思考水準の「昭和陸軍」でしかなかったという非常に残念な感慨を率直に私は持つ。この辺りのことは、詳しくは本書全三巻に実際に当たり実証的な史料を踏まえて各自確認してもらいたい。

最後に川田稔「昭和陸軍全史」を読む上で絶対に外せない、必ず押さえておかなければならない、著者による「昭和陸軍」の概要と定義を示しておこう。本書は非常に細かく膨大な「政局史」の実証的研究であるが、詳細な歴史的事実の羅列に溺(おぼ)れず圧倒されず、「昭和陸軍」に対する基本の大きな枠組みの本質的理解が欠かせないと考えるからである。

「昭和初期、満州事変を契機に、陸軍は、それまで国際的な平和協調外交を進め国内的にも比較的安定していた政党政治を打倒した。その推進力は、陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』であり、彼らが、いわゆる昭和陸軍の中核を形成することとなる」(第3巻、410ページ)

「一般に、統帥権の独立が、昭和期陸軍の暴走の原因となったとされている。だが、彼らは統帥権の独立ではむしろ消極的だとし、陸軍が組織として国政に積極的に介入していく必要があると考えていたのである。陸軍が組織として国政に介入するとは、軍が政治を動かすこと、組織として政治化することを意味する。…陸軍が組織として政治を動かそうとするのは、まったく新しい志向といえた。そして、実際に、満州事変以降、陸軍は組織として政治化していく。そして、それが昭和陸軍の重要な一つの特徴だった」(第1巻、73・74ページ)

陸軍中央の中堅幕僚グループ「一夕会(いっせきかい)」を中核として形成された「昭和陸軍」においては、陸軍が組織として国政に介入し軍が政治を動かしていく。こうした「陸軍が組織として政治化していくこと」を、著者の川田稔は「昭和陸軍の重要な一つの特徴」に挙げている。確かに、満州事変以前の明治・大正の陸軍時代から「統帥権の独立」があり、帷幄上奏(いあくじょうそう)にて倒閣をなしたことはあった。しかし明治・大正の陸軍は、あくまでも陸軍大臣参加の内閣の傘下にあり、天皇や元老・重臣、政治家や文民の制御(コントロール)支配下にあった。

「昭和陸軍」以前の陸軍において、「統帥権の独立とは、軍が政治から干渉を受けないと同時に、軍は軍事に関連すること以外は政治に介入しないことを意味した」(第1巻、74ページ)とも著者はいう。以前は「政治と軍事」は内閣と陸軍の間で互いに独立不干渉であり、その原則が守られていた。それまでの陸軍は軍事専門の基本的には国政には不介入の立場を取る非政治的な組織であったのだ。しかし「昭和陸軍」においては、陸軍が組織として国政に積極的に介入し、現場での軍事暴走による事後追認要求や恫喝(どうかつ)をやり、時に二・二六事件のような軍事クーデターまで起こし軍みずからが政治を動かして、陸軍本体が組織として急速に政治化していった。それこそが「昭和陸軍」の「まったく新しい志向」といえた。こうした以前の陸軍との相違にて「昭和陸軍」の概要・定義を押さえた上で本書に臨むことが、川田稔「昭和陸軍全史」全三巻の適切な読みであるように思う。