アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(98)若松英輔「内村鑑三・悲しみの使徒」

岩波新書で内村鑑三といえば、以前に黄版で鈴木範久「内村鑑三」(1984年)があった。これが誠に清々(すがすが)しい、読んでいて思わず客席から半畳を入れたくなるような新書で、つまりは著者の鈴木範久が「内村鑑三」の生涯を事実に即し時系列で客観的に淡々と述べるだけである。近代日本のキリスト者であり、無教会主義である内村鑑三の読まれるべき良さや限界の難点を指摘し、主体的に考察する内村鑑三研究の体を全く成していないのであった。

だが、他の内村鑑三研究、例えば「二つのJ」(1926年)の日本とイエスへの献身にキリスト者の本懐を内村のうちに見出だし高く評したり、さらには「不敬事件」や日露戦争への非戦論から近代天皇制国家との対決において当時の日本の社会にてなした内村の先進的な画期性を認めたり、逆にキリスト者の良心的兵役拒否を諌(いさ)め、戦地に行くよう信徒を説得した内村を批判したり、後期の、いわゆる「精神主義」の内面信仰への傾斜から状況への没交渉的態度を見て、状況追認的な内村のキリスト教信仰のうちに日本の「近代」思想の限界を指摘したりするような、近代日本のキリスト者たる内村鑑三の思想的内実を見極め、熱心に評価づけようとする従来のそれら内村鑑三研究を読むにつけ、岩波新書の鈴木範久「内村鑑三」に対し一読して無味乾燥にも思える内村に関する客観記述のみの評伝が、極めて単純明快で逆に清々しいように思え、何とも言えない愛着好意のようなものを私は抱くようになっていた。

そうした私的前史(?)がある、岩波新書にての「内村鑑三」である。そして、近年の岩波新書における内村に関する新たな書籍、赤版の若松英輔「内村鑑三・悲しみの使徒」(2018年)となるわけだ。本書の概要について、まずは著者の若松英輔に直接語ってもらおう。

「およそ七0年にわたる内村の生涯には、いくつかの分水嶺がある。その折々に内村は、回心を経験し、変貌した。内村の一生とは回心の生涯だといえるほど、最晩年まで彼は回心を続けた。本書では彼の生涯を緩やかに追いながら、彼の『回心』と、そこからほとばしるように発せられた思想と霊性の態度を追っていく。それを概観すると次のようになる。一八七七年、札幌農学校におけるキリスト教との接触は、その始まりとなった。一八九一年に起こった『不敬事件』と妻かずの死、そして『基督信徒のなぐさめ』の執筆。一九0三年からは義戦論を捨て、非戦論、戦争廃止論へと立場を大きく変える。一九一二年の娘ルツの逝去と死者論の深化。一九一八年から始まる再臨運動。一九三0年、塚本虎二との訣別、逝去」(25・26ページ)

内村鑑三の生涯を概観するにあたり、以上のような著者による本書概要の総括的な語りは非常に特徴的である。先の概要は、「不敬事件」と義戦論と非戦論と戦争廃止論と再臨運動と、そして妻かずの死、娘ルツの逝去、弟子の塚本虎二との訣別というように、キリスト者内村鑑三の生涯にてキリスト信仰を貫くがゆえに当時の国家や社会からの抑圧・齟齬(そご)や社会への信仰的働きかけと、家族や弟子ら近接の者との悲しい別れの二つの要素から主になっているのだ。若松英輔「内村鑑三・悲しみの使徒」は、この二つの要素を軸に内村の生涯を語る評伝であるといえる。本書は「回心、入信、死者、非戦、再降、訣別、宇宙」からなる。そして著者が本書にて特に重きを置いているのは、後者の近接の者との悲しい別れの側面であり、それら「悲しみ」の別れが「回心」を促し、内村鑑三のキリスト教信仰を内面深化させるのである。家族や弟子、そうした近接の者らとの「悲しみ」の別れの試練を経て「回心」を重ね信仰を深化させる(「使徒」に近づく)内村鑑三を「悲しみの使徒」と称する著者の意図だ。

「悲しみの使徒」たる内村鑑三は、例えば最愛の娘ルツの死に衝撃を受ける。著者によれば、「ルツの死は、内村における信仰表現の一つの極みである再臨運動を静かに準備する契機になっていく」(90ページ)。さらに内村は「死は、別れの経験ではなく、逝った人とより近くなることへの道程である」(95ページ)とする。内村において「死者は、時と共に存在を純化し、その身を包む光は輝きを増し続ける」(101ページ)存在であった。このとき内村鑑三の内面的信仰は、妻かずとの死別と同様、近親の者との辛い別れを経験する「愛別離苦」の悲しみに直面し、彼女を生かしてほしいと祈ったのに、しかし「(神が)自分の願いごとを聞き入れてくれたら信じ、聞き入れてくれなかったらそれを恨むというのは、偶像に願を掛けるのと同じで、キリスト者のなすべき祈りではない。…このとき内村は『願い』と『祈り』の根元的な違いを経験している。それは次元的差異といった方がよい」(81ページ)というような、神への祈りの深化の「回心」を経ている。

こうした何度かの祈りの変化の深化の内実が、本書にて著者のいう「およそ七0年にわたる内村の生涯には、いくつかの分水嶺がある。その折々に内村は、回心を経験し、変貌した。内村の一生とは回心の生涯だといえる」ということの意味だ。そして内村鑑三の祈りは、「人は肉によって『物質的宇宙と繋(つな)がる』。…魂において『自己を自覚』し、『霊』によって『神と繋(つな)がる』。それが内村の霊的存在論だった」(222ページ)という肉体を介した物質的宇宙論とは異なる、祈りを介しての魂の霊的存在論の宇宙論、一種の「スピリチュアリズム」の「霊性主義」へと、やがては昇華していく。

内村の「回心」における、このような祈りの質的変化の指摘は、本書にて言及されてはいないが、「ヨブ記」おける「理不尽な」神からの試練を経てのヨブの祈りの深化の「回心」を連想させる。財産や家族の幸福、自身の健康に恵まれた「信仰厚き」義人のヨブは、ある日、それら全てを失うことで苦難の中、今までの自分の神への祈りが財産や家族や健康の欲望充足のための祈りであったことに気づく。その瞬間、ヨブの信仰は深められた。信仰の見返りに神からの恩恵を求める、未だ欲望充足の祈願のために信仰する妻や友人たちとは明らかに異なる次元の信仰に到達していた。確かに妻や友人らから孤立してヨブは苦しみのなか孤独である。しかし、「願い」ではなくて「祈り」という打算の応報主義を断ち切った、より神に近づく「回心」をヨブは、このとき静かに経験していた。

本新書では塚本虎二、藤井武、矢内原忠雄、斎藤宗次郎といった弟子はもちろん、植村正久、海老名弾正、小山内薫、正宗白鳥、有島武郎、徳富蘆花、幸徳秋水、あるいは韓国の金教臣といった同時代人たちと内村との、さまざまな邂逅(かいこう)が描かれているのも大きな特徴だ。その他、石牟礼道子や神谷美恵子ら後の時代の人達も出てくる。本書には内村の多くの対人エピソードが収められている。例えば、内村が塚本虎二と共に植村正久を訪ねた際、植村から「金もうけはいい加減にして、少し聖書の勉強をしなさい」と言われたこと(219・220ページ)。弟子の藤井武に対し、「聖書之研究」に載せた論文に関して自宅に藤井を呼び声を荒げてその非をただすも、内村の激高は容易に止(や)まず、火鉢の火が自身の着物に引火しているのに議論に熱中している内村は、そのことに全く気が付かないエピソード(243ページ)は読んで非常に印象深い。私はなぜか強く心に残る。内村鑑三は妻や娘との死別、弟子との決定的訣別以外にも、普段より世間の人から誤解され弟子には厳しく、総じて孤独な人であった。

ところで著者の若松英輔とは、どういった人なのだろうか。本書の奥付(おくづけ)を読むと、「批評家・随筆家、慶應義塾大学文学部仏文学卒」とある。内村鑑三の他に、これまでの氏の著作には岡倉天心や石牟礼道子や小林秀雄に関するものがある。どうやら、この人はキリスト者であるらしい。キリスト者であり、批評家・随筆家である。この人は宗教学や精神史・思想史研究専攻の専門家ではない。著者は、新約聖書学や精神史・思想史研究のこれまでの成果を踏まえて内村鑑三に接していない。この人は、批評家・随筆家のスタンスから奔放自由に内村鑑三評伝を著しているため、本書を読んでいてのいくつかの失策記述も実のところ目立つ。

そのうちの一つを挙げてみると、内村による既存のプロテスタント教会批判、「普通の教会は死者に対してすこぶる冷淡である。普通の教会では死者のために祈ることは禁ぜられております」という内村の言説を著者は挙げ、肯定的に紹介している(93・94ページ)。「既存の教会が死者に対してすこぶる冷淡である」のは当たり前で、キリスト教においては、本来「普通の教会」が死者のために祈ることはしない。生まれて最初に受ける洗礼から結婚、死ぬ前の終油を受けるまで特権的な儀式(秘蹟、礼典)の独占履行にて人間の死を含めた個人の全てを教会が押さえる、実質世俗的な封建支配権力にまで堕(お)ちてしまった中世キリスト教団ならともかく、死者への追善供養にコミットすることで、宗教が偶像(死者)崇拝の体制維持のイデオロギーになってしまうことは、聖書におけるイエスの言動(ローマ帝国やユダヤ祭司の神殿崇拝に対するイエスの痛烈な批判)を無心に読んで感得する者には、初期教団の意向として容易に理解できるはずだ。

内村鑑三は、「キリスト者は死者のために祈るべき」と主張した。それは本書にて著者が指摘するように、内村において「死は、別れの経験ではなく、逝った人とより近くなることへの道程である」という彼の信仰の深化の「回心」を支える一つの支柱ではあるが、他方で死者への祈りが神権支配の体制イデオロギーになることも、新約聖書学や思想史研究の成果を踏まえた者ならば普通に知っている。少なくともイエスと初期キリスト教団は、「生きている生者が死者に対し権威を感じて死者を信仰することの危うさ」をその政治的な意味を見抜いていたし知っていた。

また同様に、著者は後の内村の再臨運動の内にある種の「精神主義」的傾向を認め、内村の場合、それは「精神主義」であるよりも「霊性主義」というべきものとして信仰深化の観点から専ら肯定的紹介に終始している(218─223ページ)。しかし「精神主義」の内面信仰への傾斜から現実状況に没交渉の傍観的態度にて、国家や社会への矛盾問題は全て個人の内的な修養や信仰の「精神」のあり方の次元に解消せられ、結果「精神主義」は状況追認の政治的イデオロギーとして機能することも、精神史や思想史研究を踏まえている者ならば普通に知っていることだ。そういった「精神主義」に対する批判的考察の視点は、精神史・思想史研究においては定石(じょうせき)の手法である(例えば、近代の真宗教団・清沢満之の「精神主義」に対する批判など)。

もちろん、本書は内村鑑三についての評伝であり、自伝的紹介にて内村のキリスト教信仰の弱さのマイナス面をわざわざ誇大に指摘して内村鑑三その人の生涯を不当におとしめ批判する必要は全くないのだから特に触れなくてもよいが、どうも著者の書きぶりからして氏は「死者信仰」(生きている生者が死者を信仰する危うさ)や「霊性主義」(ある種の精神主義が発揮するイデオロギー機能)の問題を全く意識していないように思える。キリスト者であり批評家・随筆家である著者は、新約聖書学や精神史・思想史研究の従来成果や定石手法を踏まえておらず、「批評家・随筆家の自由なスタンスから内村鑑三評伝を自分が言いたいことの好みで勝手気ままに著している」の悪印象が残る。本新書を読んでいて気になる所だ。

何しろ本書「内村鑑三・悲しみの使徒」での内村に関する著者の結論、「内村鑑三とは誰かという根元的な問い」の総括が、後に詳しく引用するように、内村鑑三とは「遅れてきたイエスの直弟子である使徒のひとりだったのではないだろうか」である(笑)。確かに、内村鑑三が生きた時代にした仕事や後世に残した弟子の育成において内村はキリスト者として素晴らしい働きをした。特に内村が育てた弟子たち、塚本虎二や矢内原忠雄らのキリスト教関連の仕事には感嘆すべきものがある。そこから逆算しても、師の内村鑑三が時代に及ぼした影響の大きさは計り知れない。近代日本の同時代のキリスト者らと比べても内村は頭ひとつ抜けている。内村鑑三は実に偉大であった。しかしながら、内村鑑三を「遅れてきたイエスの直弟子である使徒のひとりだった」とするのは、あまりに誉(ほ)めすぎだ。

内村鑑三全集や後の内村研究を読むにつけ、「内村鑑三は近代日本における優れたキリスト者の一人であった」とするのが、せいぜいの所であり、妥当な内村評価のように私には思える。とりあえず以下のような、内村を「遅れてきたイエスの直弟子である使徒のひとりだった」とする著者の飛躍した結論は内村鑑三を無駄に誉めすぎである。

「ここまで来て、私たちはふたたび、内村鑑三とは誰かという根元的な問いに立ち返る。彼は学者でもなく、哲学者でもなく、いわゆる宗教者でもなかった。しかし、神学者としても、文学者としても、哲学者、思想家、事業家としても、さらに宗教者としての秀逸なはたらきをなしたのも、事実である。彼は、神への、あるいは彼がいう『宇宙』への扉をキリスト者以外の人々にも開こうとした。そうした姿を見て藤井(武)は『預言者』と呼んだのだろうが、それでもなお、彼の全貌を言い当てていない心持ちがする。彼はやはり、遅れてきたイエスの直弟子である使徒のひとりだったのではないだろうか」(250ページ)