アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(100)羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」

岩波新書の全時代の全種別、「オールタイムのオールジャンル」での私のベストを選ぶとすれば、旧赤版の羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」(1939年)は上位ベスト5に必ず入る。それほどの名著だと私は思う。羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」は、まずは書き出しが良い。あの書き出しは、おそらくは有名である。「ダビデ像」はミケランジェロが制作した彫刻作品である。冒頭の一文はこうだ。

「ミケルアンヂェロは、いま、生きている。うたがうひとは、ダヴィデを見よ」

さらに本文も改行少なく一瞥(いちべつ)して紙面の空白なく字数は多い。余白なく、びっしり書き込まれている。つまりは内容が濃いのである。内容が濃密で読みごたえがある。しかも、新書であるが300ページ弱とページ数も多い。また「諸君は」と読み手を若い人に想定して、著者の羽仁五郎が直接に読者に語りかけるような文体である。例えば「ルネサンスの本質は何か」を説くに当たり、「封建制度に反対して」の項にてルネサンス以前の中世の封建専制の弊害を滔々(とうとう)と述べながら、「諸君はもうたくさんというかもしれない。わたくしももうたくさんなのである」といいながらも、また封建時代の民衆支配の過酷な収奪の記述を羽仁は「これでもか」と延々と長く続ける。読んでいる私は「もうたくさんなのである」(笑)。この筆の傾き、熱心な語りは筆者の羽仁五郎が「中世の封建制度の過酷さ」と「近代のルネサンスの偉大さ」を若い読者の「諸君」に心の底から分かって欲しくて伝えたくて熱心に語って、「つい力が入ってしまった」感がうかがえる。これはあえて技術(テクニック)でやっているのではなく、本心で羽仁五郎は一生懸命に語って書いている。

一般に名著や良書と評される書籍に関する書評は分(ぶ)が悪い。名著や良書について、いくら自身の感想や要約や分析や読み所の良さを自分の言葉で書いても、そのものの名著や良書には到底かなわないからだ。あれこれ煩瑣(はんさ)な感想書評を読んでもらうよりも、せいぜい「本書を直接に読んでもらいたい」の一言で済んでしまう。この「岩波新書の書評」にての羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」についての文章も、出来るだけ早めに終わらせよう。

以前に吉本隆明が主宰した雑誌「試行」というのがあり、そのなかに「情況への発言」という名物時評があった。吉本が出身の東京は月島、べらんめえ調の下町言葉で同時代の知識人らを歯に衣着せね毒舌で次々に斬り捨てる痛快連載である。その「情況への発言」にて吉本隆明が羽仁五郎を「羽仁老人の痴呆のボケがまた始まった。羽仁老人が、こんな発言をしている、こんな文章を書いている」云々で以前に散々からかっていた。それを受けて羽仁五郎本人は「吉本は、なぜそうまでして私を目の敵(かたき)にするのか」訝(いぶか)しがっていたし、不思議に思っていた。1960年代の安保闘争や全共闘運動の大学紛争にて、吉本と羽仁は反体制で学生に肩入れする学生人気の進歩的知識人であり、政治的立場が類似していた。羽仁五郎は、吉本隆明を自身と同じ陣営の味方の知識人だと思っていたからである。

また戦中にマルクス主義に傾倒し、逮捕拘束されて獄中にて敗戦を迎えて戦後に解放された羽仁五郎は、転向せずに自らの思想を貫いた市民的知識人として、少なくとも戦後のある時期までは同時代人に一目置かれていた。戦時中に何ら国家の戦争に反対できず、天皇制国家の体制動員に従った人々には、戦時に転向せず国家への抵抗を貫いて弾圧された日本共産党の人々に対しての負い目があり、戦後の日本のマルクス主義者は「思想上の敗戦成金」と時に揶揄(やゆ)されたように何を言っても何を書いても許されるし、歓迎・尊敬される風潮にあった。だから、そうした戦後の状況のなかで吉本隆明の羽仁五郎に対する攻撃は当の羽仁からしてみれば当時は誠に不思議であり、理解できないことであった。

岩波新書の「ミケルアンヂェロ」のみならず羽仁五郎の他著を読んでいくと、吉本隆明の「羽仁老人」の口ぶりを真似るわけではないが、「確かにこの人はヒドイ」と思えることはある。羽仁五郎は東京帝国大学文学部史学科の卒業で海外留学もしており、歴史学を本格的に学んだ人である。にもかかわらず、この人は世界史のヨーロッパ史や日本史の基本的理解が、当時の標準水準の同時代の研究者らと比べても明らかにおかしい。明治維新研究でも天皇制論でも、彼のいわゆる「都市の論理」においても。ここでは詳細に述べないが、本書「ミケルアンヂェロ」に限定していえば、まずルネサンス、殊(こと)にイタリア・ルネサンスに対する評価が全体におかしい。ルネサンスを肯定的に高く良く評価しすぎる。ゆえにフィレンツェ自由都市の貴族共和制や「ミケルアンヂェロ」その人に対する羽仁の評価も肯定称賛的で異常に高い。さらに羽仁五郎は「立憲君主制は中世の封建的な奴隷制度であり、他方で国王なしの共和制は近代の先進的な民主的制度」となぜか頑(かたく)なに思い込んでいるらしく、彼の天皇制論や本論「ミケルアンヂェロ」にても、その瑕瑾(かきん)は目立つ。さらに本書や彼の都市論にて、しばしば強調されるヨーロッパ中世世界での「(都市の)空気は人を自由にする」の言葉の解釈も明らかにおかしい。

だが、そういった細かなことはどうでもよいのだ。岩波新書の赤、羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」は戦時中の1939年の発行であり、本書はイタリア・ルネサンスの「ミケルアンヂェロ」の芸術論を論じているように見せながら、「ミケルアンヂェロ」に名を借りてイタリア・ルネサンスの歴史上には存在しなかった、そして羽仁が本書を執筆当時の日本にも当然に国家に弾圧されて存在していなかった文学と芸術の美への献身、自然科学の真理の解明、市民の政治的自由の確保、学問の自由と大学の自治をあえて「ミケルアンヂェロ」の中に無理矢理に強引に見出し、当時の若い読者の「諸君」に向けて羽仁五郎が力説する、戦時の国家による検閲、思想弾圧体制下での羽仁五郎なりの精一杯の抵抗の書であったのだ。

羽仁の「ミケルアンヂェロ」を史実に基づく歴史研究として内容が正確ではないと批判して切り捨てることは容易だ。歴史上のミケランジェロと、本書にて羽仁五郎が語る「ミケルアンヂェロ」は明らかに別人である。事実、本書の間違いはイタリア・ルネサンスに関してもミケランジェロについても、いくらでも指摘できる。しかし、羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」は記述内容の適切さではなく、そうした本書が書かれた時代背景まで勘案して全体的に読まれるべきものである。

戦時中は国策に抵触するため、純粋な思想書、日本の歴史を賛美の「皇国史観」以外での歴史の書籍は、なかなか出版できなかった。日本史以外の西洋史や東洋史の他国の歴史の書籍は、出版にあたり特に国家当局から警戒された。例えば、岩波新書がウェルズの「世界史概観」(1939年)を出す際、そのままの「世界史概観」タイトルだと厳しい言論弾圧のもと当局からの「指導」が入って出せないから、「これは非政治的な文化の本である」という一種のカムフラージュを施し、原題の「世界史概観」ではなくて「世界文化史概観」という名にわざわざ改変して岩波新書から出した戦時下、出版時の事情を現代の私達は知っている。大変で困難な時代だった。そのまま原題タイトルの「世界史概観」で出したら言論弾圧で本が出版できない時代だったのである。だから、羽仁五郎の「ミケルアンヂェロ」も一見、イタリア・ルネサンスの芸術論の体裁を取りながら、中身は封建制批判の近代市民の政治的自由や学問の自由の確保ら政治的な国家批判の内容を「ミケルアンヂェロ」のルネサンス芸術論のカモフラージュを通して間接的に、しかし強力に訴える内容になっている。

そういう意味でいえば、羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」は武田泰淳「司馬遷・史記の世界」(1943年)とよく似ている。武田の「司馬遷・史記の世界」は、表面のラベルは司馬遷「史記」の古典鑑賞の文芸批評だが、中身は司馬遷「史記」を通しての歴史記述のあり方を述べた政治論、当時の日本の天皇中心の国体論と皇国史観に対する堂々たる仮借のない批判となっていた。こうした書籍が「司馬遷・史記の世界」の名を借りて戦時の当時に出されていたのは誠に痛快だ。武田の「司馬遷・史記の世界」は、明らかに時局の国家批判を司馬遷「史記」の中国古典の鑑賞解説の名を借りて展開しており、国家の検閲当局は気付かないが、しかし「読んで分かる読者には武田の真意が分かる」という仕掛けの著書なのである。

そういえば武田泰淳「司馬遷・史記の世界」も、羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」の「ミケルアンヂェロは、いま、生きている。うたがうひとは、ダヴィデを見よ」と同様、書き出しの「司馬遷は生き恥さらした男である」が名文であり、読後も強く心に残る名著である。