アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(101)樋口陽一「憲法と国家」

憲法学者の樋口陽一の岩波書店の書籍は、岩波新書の赤「憲法と国家」(1999年)を始めとして多い。岩波書店のみならず、他社書籍でも樋口陽一の著作は実に多い。著者一人の単著だけでなく共著も多くある。「この人は非常に本を書き慣れている」の好印象だ。私は樋口陽一の書籍をよく読むが、この人の著書には題名や内容の類似が多い。だから樋口陽一の本を読んでも記憶が曖昧(あいまい)で著作の内容を時に混同してしまったり、過去に既に読んでいたことを忘れてしまうものもある。

以前、戦後50年の区切りに岩波書店が自社の論壇雑誌「世界」の傑作論文選の合本「『世界』主要論文選・1946─1995」(1995年)を出したことがあった。岩波書店の総合雑誌「世界」は1946年の創刊で、論調は左派の革新リベラルである。日本の「戦後民主主義」は朝日新聞社と岩波書店からなる「朝日岩波文化」だとよくいわれるが、なかでも特に岩波書店の月刊誌「世界」は、日本の戦後民主主義を間違いなく強力に牽引(けんいん)した戦後世論形成の輝けるオピニオン誌で一時期はあったのだ。

「『世界』主要論文選」にて、戦後の1946年から戦後50年の1995年までに掲載された膨大な全1万余の論文の中から63篇を精選する。古いものよりの時代順配列にて、冒頭から敗戦直後に発表掲載の丸山眞男「超国家主義の論理と心理」(1946年)、桑原武夫「第二芸術論・現代俳句について」(1946年)、大塚久雄「魔術からの解放・近代的人間類型の創造」(1946年)の日本の戦後民主主義を語る上で絶対に外せない名論文が並ぶ。その後も戦後50年分の1950年代や60年代や70年代や80年代の時代の代表的論文を厳選収録して、最後の巻末論文は1990年代に発表の樋口陽一「『一国平和主義』でなく何を、なのか」(1991年)で終わる。節目の合本的な「『世界』主要論文選」にて、樋口の論文が日本の戦後50年の締めの総括の巻末ラストに配される辺り、「樋口陽一は岩波書店が推す次世代期待のホープなのだな」と1990年代当時「『世界』主要論文選」を読んだ私は率直に思った。それほどまでに岩波書店と樋口陽一の、戦後民主主義の価値意識をめぐる思想的ないしは政治的立場の相性は良い。

樋口陽一は憲法学者であるが、彼の憲法関連の著作に関しては、「樋口は立憲主義の憲法理解を看板に置く憲法学者であり、現行の日本国憲法を支持する。よって将来見込まれる憲法改正、改憲には反対の政治的立場をとる。特に第九条の扱いには非常に慎重であり、戦後日本の平和主義を守るよう強く主張する左派リベラルの護憲派である」。以上のような大枠理解を最低限持って、本書「憲法と国家」を含む樋口の各著作に当たれば大きな読み間違えはないはずだ。

その他、あえて追加するなら、樋口陽一は大学退官後、従前の比較憲法論や憲法解釈の学術的考察よりは、現行憲法の改正論議にて改憲派の改憲要求や改憲理由の主張そのものを反駁(はんばく)する、護憲論的立場からする改憲論者に対抗する反論想定問答のような(「改憲派からこう言われたら、護憲派の諸君はこう切り返せ」)、対談や政治運動的著作の上梓が近年では目立つ。樋口陽一は近い将来、必ずやあるであろう憲法改正の国民投票世論のあり様を相当に意識し、今から改憲派と憲法改正世論そのものの、ねじ伏せを見据えているに違いない。

前述のように樋口陽一といえば「立憲主義」だ。樋口の主著といえば「近代立憲主義と現代国家」(1973年)、「個人と国家・今なぜ立憲主義か」(2000年)、「いま、『憲法改正』をどう考えるか『戦後日本』を『保守』することの意味」(2013年)といった具合である。

ここで憲法学における「立憲主義」の概要を確認しておくと、

「立憲主義は、絶対君主の有する主権を制限し個人の権利・自由を保護しようとする動きの中で生まれたものである。そこでは憲法は、権力を制限し国民の権利・自由を擁護することを目的とするものとされ、このような内容の憲法を特に立憲的意味の憲法(近代的意味の憲法)という。憲法学における立憲主義とは、近代的意味の『憲法』に従うこと、『憲法』に則って政治権力が行使されるべきであるとする考え方、あるいはそうした考え方に従った政治制度のことを指す。立憲主義は、誰が権力を持つにせよ、その権力を『憲法』でしばることを求める。立憲主義は、以下のような内容を持つ。第1は『憲法』によって国家権力が制限されなければならない。第2は、その制限が様々な政治的・司法的手段によって実効性のある一群のより上位の法に盛り込まれていなければならない」

本新書「憲法と国家」にても他著同様、樋口は誠に強く立憲主義の立場を貫くのである。例えば「権力を、理性化すなわち立憲主義化し、責任をとらせてコントロールし、そして正統化すること…この創造的な仕事こそが、われわれの何より本当の挑戦となるだろう」と主張するというように。前述の朝日岩波文化たる日本の戦後民主主義の核心は、戦前と戦中の日本の軍国主義、近代天皇制国家に対する批判と反省を踏まえて、戦後の日本では国家の政治権力に恣意的自由な権力行使をさせないことにあった。特に国家が主体となり交戦権を持つ諸外国との戦争に関し、国家の軍事行使に制限の限界を国民が明確に突きつける戦後民主主義の「平和主義」の理念は樋口において、そのまま憲法学の近代国家における「立憲主義」の理念に対応するのであった。日本の戦後の憲法論を考えるに当たり、「戦後民主主義」と「立憲主義」との共通を国家の恣意的な権力行使に制限を付するという視点から押さえておくことは重要だ。

樋口陽一「憲法と国家」を読む際には「立憲主義の理念」や「樋口は左派リベラルの護憲派」ということを押さえた上で読めば大枠の論旨把握は間違いないと思うが、より詳細に厳密に憲法学の枠組み理解に忠実に読もうとすると本新書は案外、難しい。表紙カバー裏解説には「刺激的な比較憲法の入門書」とあるけれど。本書には「憲法愛国主義」や「憲法ゲマインシャフト」など、日常的に聞きなれない用語が頻出するため精読を要し、その上憲法学や法学的な頭の使い方が必要となる。「書かれている内容を厳密に正確に理解するには意外に骨が折れて厄介だ」という感想を私は持つ。速く軽く読み流そうとすると、本から拒(こば)まれる事態になる。しかし、本書を無心に懸命に精読できれば憲法学ないしは法学的思考が何かしら鍛えられるのでは、という気もする。

「『自由』主義市場経済の混乱、あいつぐ地域紛争・民族紛争など、未曾有の激動が世界を覆うなか、あらためて、自由と国家の意味が問われている。著者自身の憲法対話の実践を紹介しながら、『近代国民国家』『人権』『民主主義』といった基本的問題をめぐる現在の論議を検証して、『選択』の重要性を示す。刺激的な比較憲法の入門書」(表紙カバー裏解説)