アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(113)遠山茂樹「昭和史」

以前に「昭和史論争」というのがあった。岩波新書の青、遠山茂樹・今井清一・藤原彰「昭和史」(1955年)の内容をめぐっておこなわれた論争である。

論争の発端は、亀井勝一郎が同書に対して、「人間が描かれていない」と批判したことであった。「歴史記述を出来事の羅列に終始させ、そこに在(い)たはずの人間の存在を描くことを『歴史小説』に押し付けてしまっている」と。昭和史論争は、第二次世界大戦後の日本における歴史認識の問題をめぐっての、また歴史教育や歴史教科書の問題をめぐる論争の出発点としての意味を持つともいえる。本新書は読書会のテキストに用いられることが多く、当時から歴史教科書的な扱いを受けていたのである。なお著者たちは、これら論争をもとに1959年に新版を刊行することで初版の1955年版は後に絶版にしている。

当初の「人間が描かれていない」歴史記述への批判以外にも、「昭和史」は「歴史の流れの総体を根本的に規定しているのは経済の動きである」という「経済的基底還元論」ともいえる歴史解釈に則(のっと)っているとされた。「昭和史」における対外戦争や国内政治での天皇制ファシズムに関し、経済問題よりする植民地争奪の帝国主義戦争、国内経済逼迫(ひっぱく)の突破口としてのファシズム形成の解釈立場を本書では取っており、この「経済的基底還元論」史観は「経済の動向がほかの次元に与えるインパクトばかりを強調している」の批判とともに、「経済の動向ばかり描いて具体的な人間の姿や顔に欠ける」という経済理論の重視が「人間不在の無味乾燥な歴史」を招くとする、先の「人間が描かれていない」歴史記述への批判に見事に繋(つな)がっていた。

そして、ある種の唯物史観的な「経済的基底還元論」に対する批判は、戦時中の天皇制国家にて反戦を貫いて弾圧・投獄されたマルクス主義者や労働者を本書では非常に共感を持って肯定的に書き切っていたこともあって、マルクス主義史観による理論重視の「人間不在の無味乾燥な歴史」であり、同書が「党派、思想によって人物や事実の評価が決まる」典型だとする共産党批判の政治的な批判にそのまま連なっていく。「昭和史」の内容が、「ある特定政党(日本共産党やコミンテルンの国際共産主義運動)の礼賛ではないのか」「特定政党の方針をもとに書かれた歴史(共産党史)ではないか」「戦前の歴史の『皇国史観』を強く批判し否定するあまり、逆にマルクス主義史観に傾きすぎてしまっている」「歴史教育の現場に特定政党の方針を持ち込んでよいのか」といった具合である。

「歴史の出来事の羅列で、そこに在たはずの人間が描かれていない」旨の昭和史論争の口火を切った亀井勝一郎は、東京帝国大学文学部美学科の在学中にマルクス・レーニン主義に傾倒して共産主義青年同盟に加わり、1928年に治安維持法で逮捕・投獄。しかしながら1930年に転向上申書を提出して、後にマルクス主義者から天皇制国家を支持の復古の右派に転向。「日本浪曼派」(1935年)を創刊し以後、精力的に評論を発表する。日本浪曼派(にほんろうまんは)といえば、1930年代後半に保田與重郎(やすだ・よじゅうろう)らを中心として近代批判と古代賛歌を掲げ、「日本の伝統への回帰」を提唱した文学思想グループである。戦時中に右傾的側面が若者に絶大な影響を与え、近代天皇制国家の大日本帝国の戦争遂行を文学的思想側面から強く支えた、戦争協力にて脛(すね)に傷持つ曰(いわ)くありの文学会派であった。そうして1942年には日本文学報国会の幹事となって、文学者の戦争協力に邁進(まいしん)した亀井勝一郎である。以前はマルクス・レーニン主義に傾倒して共産主義青年同盟だったのに、いつの間にか戦時中には日本文学報国会の幹事にまでなっていた左右の振れ幅が激しい、案外デタラメな亀井勝一郎である(笑)。

「昭和史」刊行時の戦後の亀井勝一郎は、そのまま日本浪曼派や日本文学報国会の戦時の前歴思想を引きずって反マルクス主義の強烈な反共論者であった。その辺の亀井勝一郎の思想遍歴の事情も、昭和史論争の一つの判断評価の材料にするべきか。

「再びあの戦争体験を繰り返してはならない。その強烈な願望が本書を貫いている。なぜ私たち国民は戦争にまきこまれ、押し流されたの。なぜ自らの力で防ぐことができなかったのか。第一次大戦から筆を起し、戦争とファシズム、そして敗戦後の占領時代とつづく昭和の激動の歴史を豊富な資料を駆使して描き出す」(表紙カバー裏解説)

私が所有しているのは初版の1955年版ではなくて、1959年に出された新版の第18刷である。「昭和史論争を含めた本新書の読みの評価は、その人の思想信条や政治的党派や歴史観や望ましい歴史教育のあり方があって、人それぞれなのだ」と岩波新書の「昭和史」を読むたびに私は思い知らされる。