アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(119)西堀栄三郎「南極越冬記」

私が小学生の時に映画「南極物語」(1983年)が興行大ヒットし当時、私も劇場に観に行った。「文部省特選作品」の推薦も付いて、「南極物語」にて第一次南極越冬隊から南極に置き去りにされた樺太犬、タロとジロの大ブームに1980年代の日本中が沸(わ)いたのだった。

それから長い年月が過ぎて2000年代に入った近年、映画「南極物語」を再鑑賞してみた。もう私が映画をそこそこの本数は観るようになっており、特に東映のヤクザ映画は任侠と実録の両路線ともに相当に好きで一時期のめり込んでいたので再度、映画「南極物語」を見返して、「過酷な南極の自然の中での人間と犬の友情と信頼を描く」文部省特選の東宝の作品であるはずなのに、主演が高倉健で助演が渡瀬恒彦であり、むしろ東映ヤクザ映画のキャスティングだ。東宝の映画なのに東映の作品「三代目襲名」(1974年)での高倉健と渡瀬恒彦、山口組三代目の田岡(一雄)の兄貴と若衆のコンビそのままで、劇中で南極越冬隊に参加した高倉と渡瀬が私にはどうしてもカタギの衆には見えず、元ヤクザとしか思えなくて(笑)、映画「南極物語」の感動話に集中できなかった。

そうした苦(にが)い思いがある映画「南極物語」の中で描かれた第一次南極越冬隊の実際の隊長、西堀栄三郎が越冬の南極から帰国後に執筆したのが、岩波新書の青「南極越冬記」(1958年)である。西堀らは、すぐに第二次南極越冬隊が派遣されて基地を引き継ぐと思っていたから、南極昭和基地を離れる際に犬ぞり牽引用の犬たち15頭を施錠拘束して無人の基地屋外に置き去りにしており、しかし第二次越冬隊は長期の悪天候のため南極大陸に上陸できず、その年は越冬を断念。タロとジロを始めとする日本の昭和基地に残された犬たちに対する悔恨の思いを、越冬隊長の西堀は本書の中に書いている。映画「南極物語」にて描かれたタロとジロの犬たちの物語は実話であった。

岩波新書、西堀栄三郎「南極越冬記」の概要は以下だ。

「1956年、文部省の南極地域観測隊第1次越冬隊が、海上保安庁の運航する南極観測船・宗谷に乗り南極大陸へ赴いた。南極リュツォ・ホルム湾の東岸に位置する昭和基地にて、十人の同志と共に過ごした1957年2月15日から翌58年2月24日までの1年間の生活記録である。本書は日本南極地域観測隊、第一次越冬隊の隊長としての立場で書かれた公式記録ではない。ただ南極の大自然の中で1年間、何をなし何を感じたかをプライベートな立場から、ありのままに書いたものに過ぎない」

著者の西堀栄三郎は、第一次南極越冬隊の隊長であった。西堀は友人の桑原武夫(フランス文学専攻の学者)から南極へ旅立つにあたり、「帰国後に南極越冬の体験記を公刊することは、お前の義務である」、越冬中から「原稿は書いているだろうね」と再三に渡り念を押されてきた。そうした友人の桑原の前々からの催促に応(こた)えて、メモやノートの断片と越冬個人日誌とにあった原稿を帰国後にまとめ書き加えて上梓したものが本書である。

帰国後の断片メモからの再構成の日誌の体(てい)であるから、南極越冬の体験者である著者・西堀にとっての重要度、関心度順に書物がまとめられるのが自然である。私は前から西堀の「南極越冬記」を知って何度か読んでいた。実は本書は、南極の極寒自然の過酷さや人間と自然との触れあい、時に人間を圧倒する南極の大自然の強さや美しさが優先の記述ではない。むしろ、昭和基地内での越冬隊長・西堀英三郎の人間関係の悩みを最初に中心に読まされる構成だ。

それは著者の西堀栄三郎にとり南極での越冬生活にて、外部の南極自然よりは基地内部の人間関係の方が心身に響いて強く印象に残ったからに相違ない。だから、そうした越冬隊長の部下の隊員らとの人的関係の話が主に最初に優先的に書き込まれる内容記述となっている。西堀の「南極越冬記」にて、南極の壮大な自然ではなくて、基地内部でのとるに足らない、つまらない人間関係の摩擦や軋轢(あつれき)をまず読まされて、何ともいえない複雑な思いを私は本書から毎度、呼び起こされるのであった。

人間は一人で孤独にいるときは案外に問題ないが、二人では互いに気があった者同士でも、同じ空間に長時間ずっと一緒にいると時に気詰まりになり不和を起こすことはよくある(友人、恋人、夫婦など)。ましてや三人以上になると「三人以上は人間社会の始まり」とはよく言ったもので、必ず「二対一」の党派の対立ができて複雑で面倒な人間社会になる。南極越冬隊長の西堀栄三郎も、はるか南極にまで行って、壮大な南極自然の中の小さな南極昭和基地の中でとるに足りない、つまらない人間社会に苦労させられていた。この人は何が悲しくて、わざわざ遠く大自然の南極にまで行って、ちっぽけな人間同士の対人関係に今さらながら悩まされなければならないのか。ここが西堀栄三郎「南極越冬記」の読み所であり、シニカルな笑い所だ。

当時の西堀栄三郎の正式な役職は「第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長」である。南極越冬隊は、南極地域観測隊のうち1年間に渡って長期滞在して南極で観測を続ける隊のことである。混同されがちであるが、観測隊員全員が越冬するわけではない。観測隊の中には、越冬せずに夏期の短期間のみ観察研究をやって帰国する者もいる。

西堀は第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長であるので、彼は「越冬」を遂げることはもちろん、南極滞在中に積極的に「観測」の研究をやって成果を上げたい、南極滞在の期間を最大限に有効に使いたいと考えていた。ところが、同志の隊員の中には文字通り南極越冬隊は「越冬」目的のみで、南極で1年間無事に生活することだけが越冬隊の任務であると理解する者もいる。そういう隊員は基地を離れたがらず、基地から遠くへの冒険旅行にも出たがらない。また若い隊員らは基地内でレクリエーションの楽しみにマージャンを許可してほしいとか、南極の基地生活でも当然カレンダーはあるので、日曜日の休みに当たる日は朝寝を認めてほしいと越冬隊長の西堀に要望する。西堀は自身が「マージャン嫌い」であり、南極基地生活で娯楽を率先して求める一部の隊員らを内心、よく思っていない。「屋外には未知のものがいくらでもあるのに、探求もせずマージャンにうつつを抜かすとはけしからん」と西堀は思っている。国の事業で公費を使って、いわば「日本人の代表」として南極調査に我々は仕事で来ているのに、マージャンのレクリエーションに興じ冒険旅行や観測調査を怠(おこた)る、「越冬」目的だけの一部隊員に西堀は怒りすら感じている。

だが、そこは南極観測隊の副隊長兼越冬隊長である西堀の組織の管理者、上司としてツラい所だ。皆の心が離れないよう、越冬隊のグループが不和になりバラバラにならないように組織の長としての配慮で、例えば基地から離れた冒険旅行を西堀が提案する際にも一方的な「命令」ではなくて、後々皆の間に遺恨が残らないように全員一致を目指して年上の隊長・西堀が若い隊員に粘り強く事前に説得してまわる。一部隊員が要望のマージャンの娯楽も西堀は渋々許可する。それで結果、西堀栄三郎は「楽しい」自由時間に皆がマージャン台を囲むのを横目に、彼は独り研究室か自室に戻る。消灯前に「一日のすべてがすんで寝る前の一杯のウイスキーは、感謝と喜びのための一杯である」。そうして「皆がマージャンに遊びほうけていることや、もっと南極へ来ているという意識をもってもらいたいなどと思ったため、考えつめて、ゆうべはよくねむれなかった」など、隊長・西堀の管理職的憂鬱(ゆううつ)な記述が続く。

今さらながら何が悲しくて、この人はわざわざ遠く壮大な大自然の南極にまで行って、とるに足りない、つまらない人間同士の対人関係に悩まされなければならないのか。西堀栄三郎「南極越冬記」は読んでシニカルな可笑しさ、悲しみの笑いを大いに誘う。ただ誤解しないでもらいたいのは、本書にて中盤や後半には著者の西堀栄三郎が、南極自然への観測・実験や自然科学現象について専門的に語る場面も多く出てくる。例えばオーロラの観測、宇宙塵(ちり)の季節的変化の解析、氷の塩分調査、皇帝ペンギンの観察などだ。岩波新書「南極越冬記」が南極のことを真面目に知りたい、将来は科学を学んで自然科学の道に進みたい若い読者を惹(ひ)きつけ満足させる名著であることも付け加えておきたい。

私達が西堀の著作や彼の生涯から積極的に学ぶべきことは、いわゆる「科学(者)と国家の関係」だ。それは「科学(者)と国家の共犯関係」とより厳密に言い換えてもよい。西堀栄三郎が科学者として優れていることはいうまでもないが、他方で西堀は自分らが進める科学研究や事業プロジェクトに関し、政府に掛け合って国費(つまりは税金)から研究費や活動費用を調達できる社会的外交の交渉手腕に非常に優れた科学者であった。西堀栄三郎は、京都帝国大学理学部化学科を卒業し東京電気(東芝)に入る。 それから後に京大に教授として復帰してからも精力的に活動し、第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長や日本山岳協会会長を務める。日本人初の八千メートル級登山であるマナスル登山計画時にはネパール政府との交渉役として活躍した。日本原子力研究所理事や日本生産性本部理事も務めた。

本書「南極越冬記」を執筆時の西堀の現職肩書は、日本原子力研究所理事である。2011年、東日本大震災にて福島第一原発で放射能漏(も)れ事故が起こる。福島原発の苛酷事故の報に接し、「科学(者)と国家の関係」の問題とともに、かつて「南極越冬記」を執筆した日本原子力研究所理事であった西堀栄三郎のことを私は反射的に思い出していた。西堀栄三郎は1989年に亡くなっている。西堀にとっては幸いなことに(?)、彼が原子力研究所理事の現職であった時には日本の国内原発にて苛酷事故は起こらなかった。「西堀は無責任で運がよかったな」と皮肉混じりに私は思った。