アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(127)小林丈広「京都の歴史を歩く」

岩波新書の赤「京都の歴史を歩く」(2016年)を一読しての感想は、「岩波が京都の観光案内本を作ると、このような真面目で硬派な観光ガイド本になってしまう」の期待通りの良読後感である。

本書は三人の京都の歴史学者による共著であり、それぞれ小林丈広(同志社大学文学部教授、日本近代史、地域史)と高木博志(京都大学人文科学研究所教授、日本近代史)と三枝暁子(立命館大学文学部准教授、日本中世史)の三人(以上のデータは本書刊行時のもの)、京都の歴史と地理に造詣あるこなれたプロの人達の仕事である。本書執筆にあたり、対象とする京都の「道」や「場」を実際に訪れ議論を積み重ねて完成までにまる六年の歳月を要したという。

私は誠に幸運なことに京都の大学に進学できて数年間、学生生活を京都で過ごすことができた。大げさにいって、それは自分の人生の宝となり得た。いまでも京都のことはよく思い出すし、町の様子も比較的よく知っている。岩波新書「京都の歴史を歩く」には、散策奨励のモデル地図が各章ごとにあり、京の町並み通路を題材に京都の歴史を語る体裁になっている。紙面の文字を読んでいても、以前に通ったその場所のことが想像でき分かってしまう。

「京都の歴史は、それぞれの時代で変容し、今日の観光言説や京都イメージも近代につくられた部分が多い。…中央、男性、天皇・貴族に対して地方史、女性史、部落史の視点が重要であり、特権化された京都論ではなく、日本史の全体像や『地域史』のなかでとらえるべきものであろう。そして史料に裏づけられ、辛口で批判的な、手に持って歩ける歴史散策の書をつくりたいと考えた。本書では、『道』と『場』という二つの視点にこだわった。大津から三条大橋にいたる東海道や、中世までの五条通であった清水坂、洛中洛外図屏風の中心軸となる室町通など、それぞれの主題を持った『道』と、京都御苑や北野、北山、嵯峨野、岩倉といった人々が生き、集った『場』を歴史的に位置づけたいと思う」(「はじめに」)

京都に限らずどの地に行っても観光旅行というものは、だいたい二部構成である。少なくとも私の場合そうだ。最初は朝から夕方まで景勝地や神社・仏閣を真面目に観光する。しかし日暮れが近づいて辺りが暗くなるにつれ、そうした観光の真面目さに耐えきれなくなって、繁華街に繰り出し買い物をし食事をして、その後さらに飲みに行き知らない土地での解放感からか毎回はめを外して大いに飲んでしまう。

岩波新書の赤「京都の歴史を歩く」は京都旅に関し、そういった二部構成のうちの最初の真面目な第一部の町歩き散策観光ガイド本として有用である。これなら新書を片手に京都観光をしながら京の歴史を追体験できる。「本新書を携帯し、ふらりと京都に遊びに行き町を散策してみたい」と読む者に思わせる。そして京都旅の第二部は、寺町通と木屋町と祇園の夜の京都の街をはしごで私は大いに飲み歩くだろう(笑)。