アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(137)井上幸治「ナポレオン」

歴代の岩波新書を読んでいると、私の好みもあるのだが、どういうわけか近年の新赤版よりも以前の赤版や青版や黄版の方に自分の心に残る新書が多くあるように思う。何よりも昔の岩波新書には、中身がしっかりとある密度の濃い本格派の硬派な書籍が多いと感じる。

井上幸治「ナポレオン」(1957年)は、そうした比較的昔の青版の岩波新書である。本書はフランス革命時のナポレオン・ボナパルト、いわゆるナポレオン1世の評伝だ。これが新書であるのに非常に詳細な本格記述にて、ナポレオンの生涯を評伝形式で書き抜いている。本書はナポレオン誕生の「ナポレオンはコルシカ島に生れた」の書き出しに始まり、彼の晩年と死の結語に至るまで、約50年のナポレオンの生涯についての非常に密度の濃い内容である。

世界史において、特に注目すべき革命はイギリス革命(ピューリタン革命と名誉革命)、アメリカ独立革命、フランス革命に加えてのロシア革命の「三大革命プラス1」であった。なかでもフランス革命は当時のヨーロッパの中心で勃発した革命であり、ゆえに周辺各国に多大な影響を及ぼし、その歴史的意義の大きさは計(はか)り知れない。数回にわたる対仏大同盟の諸外国からの革命干渉戦争や、ヨーロッパ諸国による対フランス包囲網たるウィーン体制の構築など、フランス革命の思想が伝播することは革命を警戒恐怖する近隣諸国の支配者らにとって実に脅威なのであった。この点のフランス革命の周辺諸国への革命余波の影響力の大きさは、以前のヨーロッパ遠隔地・英国におけるイギリス革命や、後に東欧にて勃発したロシア革命のそれとの比ではない。

まずは、そうした誠に偉大で強大なフランス革命の歴史舞台があった。その巨大なフランス革命の中心にナポレオンがいた。例えば、マルクスの「ルイ・ボナパルトのブルュメール18日」(1852年)を読むと(例の「歴史は二度繰り返される。一度目は悲劇として二度目は喜劇として」の書き出しで有名な著書だ)、フランス革命は比較的長い期間継続して革命本体に様々な体制や段階があって目まぐるしく変わり、まるで壮大な一つの舞台演劇を観賞しているかのような心持ちになる。事実、マルクスは「ルイ・ボナパルトのブルュメール18日」にてフランス革命という歴史事件を一つの巨大長編な舞台演劇風にし、ナポレオン3世の第二帝政から語り始めるのだった。しかも、その舞台はルイ・ナポレオンを筆頭に異様に多くの演者が一つの舞台に上がり次から次へと演じては降りていく、そうしてまた次の新しい演者が現れ演じては消える誠に壮大な群像劇なのであった。

以前に私はマルクス「ルイ・ボナパルトのブルュメール18日」を精読しようと思ったが、登場人物が多すぎて、しかも「この人はどのような素性経歴の人なのか!?」調べても分からない端役(はやく)の人物が多くて困ったことがある。そのように非常に雑多でガチャガチャした落ち着きのない、目まぐるしく状況変化する複雑な群像演劇にあえてわざと脚色して、マルクスは「ルイ・ボナパルトのブルュメール18日」を書いていた。

壮大な群像劇たるフランス革命の前半に早くも登場するナポレオン・ボナパルトは劇中、希(まれ)にみる花形役者である。フランス革命にて一時期、主役を張り強力に舞台を引っ張った。前幕のテルミドールの反動のロベスピエールと比しても、ブリュメール18日のクーデタを経て後に皇帝になったナポレオン1世には華(はな)がある。後幕の甥(おい)のルイ・ナポレオンのナポレオン3世は、マルクスが揶揄(やゆ)したように、ナポレオン・ボナパルトのナポレオン1世人気にあやかった「二度目」の復刻(リバイバル)でしかない。英雄の非人間的偉大さ、政治と戦争の人間と社会を自在に扱う超人的天才さに関する各種の「ナポレオン伝説」の逸話が昔から数多くある点を見ても、この人の花形千両役者の人気ぶりはうかがえる。

ナポレオンは、コルシカ島出身で後に兄とともにフランスに出てきた。彼は王室や正統なフランス貴族の出身ではない。しかし第一執政、終身執政を経て最後は皇帝にまで登りつめた。ナポレオン・ボナパルトは、当人の容姿や能力の才能の資質が優れていたことは言うまでもないが、この人の世に出る「成りあがり」の経歴出自が、フランス革命という同じ舞台に立つ従来演者の国王や貴族や啓蒙思想家や革命指導者らとは決定的に違っていた。ナポレオンは実に優秀な軍人であった。当時のフランスにおいて軍人とは諸外国に遠征し、諸国との戦争に勝利を収めて凱旋(がいせん)する者の謂(いい)だ。

確かに、ナポレオン以前にも諸国との戦争はあった。だが、ナポレオン以後とは決定的に違っていた。フランス革命以前の絶対主義の全盛期にて、ルイ14世は「領土を拡大することは最も気持ちのよい仕事である」といって海外での戦争を繰り返したけれど、それはいわゆる「継承戦争」であり、どこまでもフランスのブルボン王朝のブルボン家にとってのブルボン家のための戦争であった。革命以前の絶対主義の時代には、国家は国王の一族が代々受け継ぎ相続して伝統的に経営する「家産」であり、よって絶対主義国家は国王の財産であって特定の一族や個人に「継承」されるものなのであった。一般の人民は国家には無縁だった。だから、彼らには自分達が自国を担う意識のナショナリズムの愛国の自負などない。国家とは、一般民衆からはるか離れた世界にあった。ゆえに国王以外の人民は絶対主義下の諸外国との継承戦争に関しても、全くの無関心であった。それは人々にとって自分らとは縁遠い、フランス・ブルボン家と、例えばスペイン・ハプスブルク家との間の家柄同士の「家産の継承」をめぐる私的な争いでしかなかった。

ところが、フランス革命が勃発しナポレオン登場の頃になると昔からの伝統的国家は激変する。民衆の暴動、議会の開設、憲法の制定、普通選挙の理念、国王の退位と処刑といった旧体制(アンシャン・レジーム)の崩壊である革命の一連の流れを受けて、国家は特定の一族たる国王らが相続し経営する私的な「家産」ではなくて、人民の皆が参画する公的な「国民国家」になっていた。国民国家は、幅広い階級の多様な国民のためにある公的な国家である。国民とは自分達が自国を担う意識のナショナリズムの愛国の自負を持って、「みずから国民たろうとする」自覚に目覚めた者のことである。ここでは国家とは国民のために一般民衆と共にあった。ゆえに国王以外の人民も、国家のあり様と行く末に関し「政治参加」の回路を通して積極的に主体的に国家に介入する。

絶対主義国家から国民国家になり、人々がナショナリズムに覚醒した「フランス国民」同士で、国家の政治のあり方について、各人の各階層の各階級にて様々に揉(も)めるのは必然といえた。結果、革命の炎は余計に高く燃え上がり長く燃え続けた。なぜなら、もはや繰り返すまでもなく、フランス革命の最初の段階にて早くも従来的な国王一族の私的な「継承家産」たる絶対主義国家は崩壊し、代わりに国民のための国民による公的な「国民国家」へと移行し、フランスには「自分達の国家」の意識であるナショナリズムを持つ多くの、文字通りの「フランス国民」が新たに誕生していたからだ。

前述のように、壮大な群像劇たるフランス革命の前半に早くも登場するナポレオン・ボナパルトは劇中、希にみる花形役者であった。前幕のテルミドールの反動のロベスピエールらと比して圧倒的に魅力があり、人々からの熱狂的支持があった。ナポレオンは軍人であったが、軍人にとどまらず政治家でもあり軍事独裁を敷いて後に皇帝ナポレオン1世にまでなった。もともとはコルシカ出身の一軍人が、ここまで「成りあがり」で皇帝にまで登りつめられたのは、革命当初のフランスにて国民国家に移行したばかりで新たに国民意識のナショナリズムに目覚めた多数の「フランス国民」を諸外国との戦争勝利によって、ナポレオンが人民の国民意識を鼓舞し熱狂させられたことによる。

フランス革命下の国民は、プロイセン・オーストリアの革命干渉戦争での自国フランスの連敗に落胆し、しかしヴァルミーの戦いでの勝利に歓喜して、ドイツの文豪ゲーテは、その勝利に際し「ここから、この日より世界史の新しい時代が始まる」とまで書いたほどだ。イタリア、スペイン、神聖ローマ帝国へのナポレオンの遠征、プロイセン、ロシアへのナポレオンの侵攻、イギリスとの対決と、諸外国とのナポレオン戦争の成果を見守り、フランスが勝利の際に人々は「まるで自分のことのように、あたかも自身が勝ったかのように」狂喜乱舞した。「自分の国が外国との戦争に勝利して人々が喜ぶ」などというのは、国民国家のナショナリズム意識を持った国民が未だ成立していない、フランス革命のナポレオン以前の時代には到底考えられない、ありえないことであったのだ。ここに壮大な群像劇たるフランス革命におけるナポレオンの、希にみる花形役者たる国民人間の秘密の一端があった。

ナポレオン以前には一般国民の愛国心のナショナリズムやショービニズム(熱狂的愛国感情が生み出す排他的思想態度のこと。排外的愛国主義、好戦的愛国主義を指す)の概念は世界史にて実在しない。すべてが「ナポレオン以後」のものである。それゆえナポレオンは偉大なのであった。

以上は、ナポレオンに関する評伝口上のまだほんの入り口、最初も最初の入口の部分でしかない。本論に入る以前の概要、極めて初歩な序論の話である。ナポレオンが当時のヨーロッパ史に与えたインパクトの影響力の大きさや、後の近代政治に残した画期の歴史的意義の話のヤマのクライマックスは後にいくつもある。しかし、このペースで書き進めていくと膨大な文章になってしまうので(笑)。この続きは岩波新書、井上幸治「ナポレオン」を始めとしたナポレオン関連書籍を各自、読んで確認していただきたい。

ナポレオンに関しては近年、岩波新書の赤、杉本淑彦「ナポレオン・最後の専制君主、最初の近代政治家」(2018年)が出ている。岩波新書の青、井上幸治「ナポレオン」(1957年)と比較して読み比べてみると面白い。井上の「ナポレオン」の方が昔の硬派な岩波新書らしく説明記述が固く分かりにくいように思う。もっとも私は最近の岩波新書のみならず、現在の各社新書における「誰にでも分かりやすくて親切な」サーヴィス記述満載の新書よりも、昔の岩波新書のような硬質な書き方新書の方が好みなのだが。

最後に、ナポレオンの生涯を一読にておよそ見渡せる岩波新書、井上幸治「ナポレオン」の目次を載せておく。

「Ⅰ・コルシカの夢、Ⅱ・ヴァンデミエール将軍、Ⅲ・ブルュメール一八日、Ⅳ・革命はおわった、Ⅴ・ナポレオン的観念、Ⅵ・戴冠、Ⅶ・ヨーロッパの征服、Ⅷ・民族のめざめ、Ⅵ・解放戦争、Ⅹ・百日天下」