アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(138)国谷裕子「キャスターという仕事」

以前に国谷裕子が出演していた時からNHKのニュース報道番組「クローズアップ現代」を私はよく視聴していて親密があったので、岩波新書の赤、国谷裕子「キャスターという仕事」(2017年)を先日、読んでみた。

国谷裕子は幼少時から父親の仕事の関係で海外生活が長く語学(英語)に堪能であったため、彼女は報道の仕事をもともと熱心に志望していたわけではなかったが、英語ができることからNHK海外支局の現場に通訳として入り、キャスターに起用される。それから彼女なりに「報道とはどうあるべきか」「キャスターの仕事とは何か」を日々考えるようになったという。そうして後に彼女はNHKのニュース報道番組「クローズアップ現代」のキャスターに抜擢される。国際報道の担当キャスターが日本国内の政治・経済・社会を総合的に扱う報道番組に配置されたことで、それまでNHK「ワールドニュース」の駐米キャスターであった国谷に対し、当初は「この人は誰?」や「大丈夫なの?」現場スタッフからの不安の声もあったらしい。しかし、国谷裕子は番組開始の1993年4月から番組リニューアル直前の2016年3月まで23年間の長きに渡り「クローズアップ現代」のレギュラー・キャスターを務めた。

岩波新書「キャスターという仕事」にて主に語られるのは、やはりニュース報道番組「クローズアップ現代」を通してのことだ。国谷のキャスター在任中には、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)やアメリカでの9・11テロ(2001年)や東日本大震災(2011年)など、視聴者の耳目を集める大きな事件や災害があった。それらニュースの大きさにもかかわらず、本新書を読んで印象深く後々まで心に残るのは、そうした報道内容の事柄のトピックよりも国谷裕子が実際に対面しインタビューした人々との関わりのエピソードのほうだ。報道とは事件や社会問題の現象をただ単に伝えるのではなく、その事件や問題には必ず当事者や関係者や被害者の人間が介在しているのだから、「報道とは自分以外の人間他者と向き合って人間を伝えるもの」という感慨を本書を一読して私は一層強くした。

国谷が本書にて触れているのは、例えば石原慎太郎、倉本聰、大江健三郎、菅義偉、高倉健ら各氏とのインタビューでのエピソードである。安倍内閣の官房長官である菅義偉が集団的自衛権に関する閣議決定での憲法解釈変更の問題で「クローズアップ現代」に出演の際、内閣による集団的自衛権の恣意的な拡大解釈の危険性への疑念からキャスターの国谷が「しかし」を連発し菅に食い下がる場面は、放送後に話題になった。私も、この回をリアルタイムで観ていた。実際に視聴しながら「国谷裕子やるな。気骨のある報道キャスターだ」の感慨をテレビの前で率直に持った。また、テレビでの映像インタビュー仕事をほとんど受けない高倉健が出演した際、高倉が自身の言葉を大切にし国谷の質問に熟考してカメラの前で17秒の沈黙を貫いたこと。テレビやラジオの業界では無言の空白は放送事故になる。しかし、番組では高倉の17秒の沈黙をカットで編集することなく、そのまま放映した。このことに対し、後に高倉健本人から国谷裕子へお礼の言葉があった後日談は特に印象深い。

NHK「クローズアップ現代」には国谷裕子が担当当時から、保守や右派・右翼の政治団体や首相官邸や政府や政権与党の自民党や官僚各省や警視庁から頻繁に抗議書や質問書や問い合わせの形でのクレームが入り、番組を批判し問題視する言説が多くあったという。確かに「クローズアップ現代」は、どちらかといえばリベラル、左派、革新な立ち位置の報道であり、市民運動や社会的弱者のマイノリティに関心の共感を寄せて「現代」社会の問題を「クローズアップ」する、文字通りの「クローズアップ現代」であった。かつ、企業資本が広告提供する民放各社の他局とは異なり、NHKの当番組はスポンサー企業からの番組への圧力なく、また番組からの資本企業への余計な気遣いも無用なため、労働雇用問題や職場環境問題や消費者問題でも企業資本とって不利になるニュースを積極的に取り上げることが出来た。同様に、政府や与党や政治家に対しても政治権力の行き過ぎ逸脱の越権行為や政治家や警察など特定個人や集団組織の権力の私物化に対し糾弾して厳しい追及の報道姿勢を貫いた。スタジオに登場して解説にあたるコメンテーターも、そうした左派や市民運動推進の知識人や文化人やNHK解説委員が多かったように思う。

私は「クローズアップ現代」を視聴していて、「いずれ遠からず狙い撃ちにされて、この番組は社会的に潰(つぶ)されるな。番組関係者の不祥事か、探してなければ、その身内家族の不祥事が表に出て近いうち番組入れ替えくるな」の悪い予感が当たらないことを願いつつ、懸念していた。保守や右派・右翼や首相官邸や政権与党の自民党からの抗議書や質問書や問い合わせの攻撃が連日すさまじいことは話に聞いていた。ある右翼の政治団体は当番組を名指し、「国営放送にあるまじき反日の偏向報道」と安易に発言して怒りを表明したりしていた。

そもそも報道の役割は、教科書的にいって「権力の監視、事実の報道、娯楽の提供、教育の振興」の4つであり、その中で筆頭の「権力の監視」は報道ジャーナリズムとして局の政治的立ち位置や報道に従事する個人の思想に関係なく、極めて当たり前のことだ。ジャーナリズムには政治権力たる国家が逸脱して暴走しないように政治家ら権力者が恣意的な権力行使にて権力を私物化しないよう監視チェックし、逸脱行為があれば諌(いさ)める社会的役割がある。また、社会的弱者や少数派のマイノリティの主張や立場を積極的に取り上げて社会全体に問いかけ問題提起するのは、それら少数派の立場は多数決原理からして抑圧され無きものにされる危険性が常にあるからだ。むしろジャーナリズムのマスコミが、そうした社会的弱者や少数派のマイノリティの主張や立場を「クローズアップ」して積極的に取り上げるのは「公正中立性に欠ける偏向」では決してなく、当たり前の報道姿勢であり、正常なジャーナリズムの社会的役割である。

そうしてNHK「クローズアップ現代」に関する「近いうちに狙い撃ちにされて、この番組は社会的に潰される」私の懸念は後に当たった。2014年5月に放送した「出家詐欺」報道の問題が番組に対し指摘された。その指摘の問題は、番組全体に関しては「報道番組として高く評価すべきもの」(BPO意見書)としながらも、映像インタビュー編集にて「正確性に欠ける過剰な演出」(BPO意見書)、「視聴者に誤解を与える編集」(NHK報告書)とする第三者機関からの勧告と、それを受けての制作元NHKの自己検証結論であった。2015年4月にキャスターの国谷裕子が番組内で視聴者に向け直接に謝罪した。その後、同年の年末に国谷は「番組キャスターとしての契約を2016年度は更新しない」とする番組降板の旨を制作管轄の組織の責任者から告げられたという。この辺りの一連のいきさつは、岩波新書「キャスターという仕事」での「失った信頼」と「クローズアップ現代の23年を終えて」の章に詳しく記載されている。

これは私の読みの印象であるから直接に本書に当たり読んで各人で判断してもらいたいが、「出家詐欺」報道の問題についても国谷裕子のキャスター降板にしても、「狙い撃ちにされて、この番組は社会的に潰された」の疑念が果てしなく大きいし、著者の国谷本人も「自分達は狙い撃ちにされて社会的に潰さた」思いをもっているように本書の文章記述から感じられた。

前述の「出家詐欺」報道問題については、事前に試写をして番組関係者で最終チェックをしたのに、そのとき何ら問題にならなかったのは、そのシーンを含む「出家詐欺」告発の同番組が「クローズアップ現代」の放送以前に、すでに関西地域での地域報道番組、NHK大阪局制作の「かんさい熱視線」で放送されており、放送後に特段に問題になっていなかったため、「クローズアップ現代」放映前の直前試写の際にも記者やデスクら誰もが問題はないと思っていた旨が書かれている(178─183ページ)。「事前に放送した関西ローカルでは全く問題なかったのに、なぜクローズアップ現代だけが!?」の国谷の恨み節のように少なくとも私には読み取れた。

2015年の「出家詐欺」報道問題の番組内謝罪を経て、同年の年末に「2016年度の来年度はNHKは国谷とキャスター契約の更新はしない」とする番組降板の旨を伝えられことに関しても、本新書での国谷裕子の書きぶりは微妙である。国谷のキャスター契約を更新しないNHK会社側の理由は「番組のリニューアルに合わせてキャスターも一新するため」ということであったが、その説明を聞いた時のことを「キャスターという仕事」の中で彼女は次のように書いている。

「その理由が、番組のリニューアルに伴い、ということになるとは想像もしなかった。ここ一、二年の『クローズアップ現代』のいくつかが浮かんできた。ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地番組、『出家詐欺』報道。私が降板を言い渡される一ヶ月前の一一月に、制作現場は二0一六年度もキャスターは継続との提案をしていた。そして、一緒に番組を制作してきたプロデューサーたちは、上層部からのキャスター交代の指示に対して、夜一0時からの放送になっても、番組内容のリニューアルをしても、キャスターは替えずにいきたいと最後まで主張したと、あとで耳にした。それを聞いて私は、キャスターをこれまで二三年間続けてきて、本当によかったと思った。そしてその思いが二0一六年三月の最終回の日まで私を支えた」(228・229ページ)

なかば「寝耳に水」の突然の番組降板の話を聞いて彼女の頭に即座に思い浮かぶのは、「ここ一、二年の『クローズアップ現代』のいくつか、…ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地番組、『出家詐欺』報道」なのであった。自身の「クローズアップ現代」のキャスター降板と番組リニューアルに関しても、彼女の恨み節が聞こえてくるような書きぶりである。日米関係や憲法解釈の政府の国策に疑義を呈したり、沖縄基地問題で地域住民らを積極的に取材したりするNHKのニュース報道番組「クローズアップ現代」に対し、保守や右派・右翼や首相官邸や政権与党の自民党からの抗議書や質問書や問い合わせの形での批判が前より多くあった事実からして、おそらく彼らは当番組に対し「ある種の特別な関心」をもって継続的に視聴していたに違いない。だが、繰り返すまでもなく、あくまでこれは私の読みの印象であるから直接に本書に当たり読んで各人で判断してもらいたい。

岩波新書の赤、国谷裕子「キャスターという仕事」は、その他にも読み所が多くある。現代日本の報道ジャーナリズムのあり方を考える上で総じて内容の濃い良書であると私は感じた。