アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(146)辰濃和男「文章の書き方」

読書と文筆はあたかも車の両輪のようであり、世間の人は「多くの本を読んで、たくさん文章を書け」と気軽にいうが、なかなか難しいものだ。そういったわけで昔から読書論と文章術の二大分野があり、その種の書籍は実に多くある。今回の「岩波新書の書評」で取り上げるのは文章術に関する新書である。

岩波新書の赤、辰濃和男「文章の書き方」(1994年)は、著者が朝日新聞記者で以前に朝日新聞の看板時評「天声人語」を担当執筆していた人である。ゆえに本新書にての著者からの文章記述の提言アドバイスも、不特定多数の人に読まれても、どこに出しても恥ずかしくない誤解を生まない分かりやすくて明確な、そして時に味があって読む人を惹(ひ)きつけてやまない心に残る文章作成のための心構えや実践方法が満載だ。

本書「文章の書き方」には、同じ著者により後に同じく岩波新書から「文章のみがき方」(2007年)の続編も出ている。私も常々、自分の文章下手を痛感していて「上手な文章を書けるようになりたい」と思っていたので辰濃和男「文章の書き方」と「文章のみがき方」を一読して大変に参考になった。

「わかりやすい文章を書くためには、何に気をつけたらよいか。日頃から心がけるべきことは何なのか。朝日新聞のコラム『天声人語』の元筆者が、福沢諭吉から沢木耕太郎にいたる様々な名文を引きながら『文は心である』ことを強調するとともに、読む人の側に立つこと、細部へのこだわり、先入観の恐ろしさ等のポイントをていねいに説く 」(表紙カバー裏解説)

岩波新書「文章の書き方」は、三つの章に分けて「広場無欲感の巻・素材の発見」と「平均遊具品の巻・文章の基本」と「整正新選流の巻・表現の工夫」にて構成される。最初が文章を書く以前の準備と構想の基本編、次が実際に文章を書く際の実践編、そして最後が文章を良くするための工夫と推敲(すいこう)の応用編といった所か。以下、本書の目次と概要とを書き出してみると、

「1・広場無欲感の巻・素材の発見(広い円─書くための準備は、現場─見て、見て、見る、 無心─先入観の恐ろしさ、意欲─胸からあふれるものを、 感覚─感じたことの表現法)、2・平均遊具品の巻・文章の基本(平明─わかりやすさの秘密、読む人の側に立つ、 均衡─文章の後ろ姿、 社会の後ろ姿、 遊び─異質なものとの出あい、具体性─細部へのこだわりを、品格─ものごとを見つめるゆとり)、3・整正新選流の巻・表現の工夫(整える─気をつけたい六つのこと、正確─終着駅のない旅、新鮮─避けたい紋切型の表現、選ぶ─余計なものをそぎおとす、流れ─書き出しから結びまで)」

岩波新書「文章の書き方」と「文章のみがき方」は、おそらく街のカルチャー教室にて開講されている「文章講座」のレクチャー内容、ないしは新聞社での記者志望の新人研修にて講義されるようなカリキュラムの教授内容である。著者は誠に用意周到で説明上手な方であり、良文サンプルの手本を過去の文学作品から多彩に引用して、「この文章のどこが良いのか、どの箇所にどういった工夫の美点が見られるか」具体的に説明してくれる。その際の手本のサンプルの多くは圧倒的に福沢諭吉と井伏鱒二である(笑)。

本書以外での文章術の書籍を連続して読んでいると、他の著者も「良い文章の見本引用は福沢諭吉から」がかなり多い。「文章読本にて福沢諭吉は、そこまで好評人気なのか!?」と私は驚かずにはいられないほどだ。

本書にての実践的な文章指導、例えば「自身が記述した文を客観視して均衡を保ち、感情過多や極端な意見の押しつけ、自分の自慢話にならないよう注意する」云々は「文章の書き方」のみならず、日常的な会話や行動においても各人に強く求められる戒(いまし)めであって、この点からして「文は人なり」ないしは「文は心である」の真理を岩波新書の赤、辰濃和男「文章の書き方」と「文章のみがき方」を読んで私は深く噛(か)みしめる次第である。