アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(149)村上重良「国家神道」

「国家神道」とは何であったか。その定義と概要を示すとすれば、以下のようになろう。

「国家神道とは、近代天皇制国家において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。国家神道は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの、狭義には『宗教』とされた教派神道に対して『神社非宗教論』の立場に立ち、内務省神社局によって統制されたものをいう。国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官、教部省による神社行政も含まれる。

大日本帝国憲法では文面上は『信教の自由』が明記されていた。しかし、政府は『神道は宗教ではない』(神社非宗教論)という公権法解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないとの公式見解を示した。1889年の文部省訓令第12号『 一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件』によって官立・私立の全ての学校での宗教教育が禁止され、『宗教ではない』とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。翌1890年には教育勅語が発布されて国民道徳の基本が示され、国家神道の事実上の教典となった。国家神道は宗教・政治・教育を一体のものとした。

官国幣社は内務省神社局が所管し、新たな官国幣社の造営には公金が投入された。万世一系・神聖不可侵の天皇が日本を統治すること、国家の中心に存在する天皇と国民との間に伝統的な強い絆があることを前提に全国の神社は神祇官の元に組織化され、諸制度が整備された。当初、全国の神社は全て官有となり、全神職は官吏(神官)となった。

時代によって政府による国民への神社崇拝の奨励・強制の強弱の度合いは当然、異なる。明治期は復古色の神性が弱い比較的穏健な開明的天皇像であり、それには富国強兵路線の近代化を推進し、同時に反キリスト教色の復古色(アナクロニズム)を前面に出したくない、欧米諸国との条約改正の課題を抱えた明治国家の意向により、前近代の復古イメージ強調への警戒回避が国家の神道政策に働いていた。しかし神権的天皇制の基本基軸はそのままに、やがて昭和のファシズム期になると国家による神道儀式の奨励・強制や国家神道以外の他宗派への弾圧、万世一系の現人神(あらひとがみ)が統治する神国観念の宣揚と狂信的(ファナティック)で非合理な国家神道の復古の側面が強く前面に押し出されていった。

第二次世界大戦後、GHQにより『神道指令』が出され、国家神道は解体へ向かったが、国家と神道をめぐる政教関係については研究と論争が続いている」

従来の国家神道研究において、国家神道ないしは明治国家による一連の宗教政策が当たり前の前提であり、皆がそれらをあまりにも自明の前提とし過ぎている。主要な先行研究が国家神道の内実や時代の中で果たした影響力ばかりを枝葉末節に小さく論じるので、ここでは改めて以下のことを確認し強調しておきたい。

明治国家が国家神道の成立を目指す、特に1868年の明治初年度から、帝国憲法下にて「信教の自由」体制が確立されるまでの国家が公認推進の近代天皇制と結びつけた神道政策の試行錯誤のジグザクな迷走過程、例えば、神祇官から神祇省、教部省の設置から内務省への吸収の教化組織の相次ぐ改編。神仏分離令、廃仏毀釈、宣教師の設置、大教宣布の詔、信教の自由保障の口達の各種法令。仏教、キリスト教ら他宗教との衝突回避とともに、国民教化の柱となるべき神道の優越性確保のための戦術転換たる神道国教化政策から神道非宗教論への転回、すなわち神道習俗論、神道祭祀の強調路線への変更(国家神道と教派神道の分離)など。このような明治維新という、ある種の革命を経た公的権力たる「近代」国家が、国民の私的な精神的内面にまで踏み込む宗教政策を積極的に展開するというのは実は世界史からみて極めて例外的で希(まれ)なことであった。

世界史なかでのヨーロッパ史、各々の革命の歴史を見てみても、近代とは世俗化した脱宗教の時代であり、西洋の国家の為政者らは宗教問題への介入に消極的であり、忌避していた。ドイツの三十年戦争やフランスのユグノー戦争にて個人の内面の信仰問題に政治権力が踏み込み介入して施策すると各人が容易に引くに引けない個人の内面信条の厄介な問題ゆえに、体制はさらに荒れて収拾がつかなくなることを彼ら為政者は経験的に学び知っていたからだ。ここに信教問題に国家が、もはや踏み込むことが出来ない事実上の「宗教的寛容」が成立する。それは、普遍的権利としての個人の「信教の自由」の確立と言ってもよい。

特にイギリスのピューリタン革命以降の、イギリス、アメリカ、フランスでの主な革命にて宗教問題は従来のように革命の論点には、もはやならない。その代わりに政体や国際覇権や社会主義政策のあり様をめぐる問題が革命の論点となり、各階層やセクト同士の対立にて革命の炎を燃え上がらせたのだった。近代に入り、時代は、宗教上の信条の対立が政治闘争に転化する状態(コンフェッショナリズム)から、国家を何よりも大事にし宗教のことよりは世俗の秩序を優先させる事態(ポリティック)に、いわゆる「コンフェッショナリズムからポリティックへ」すでに移り変わっていたのである。近代社会において、まともで正当な近代国家の公的権力は原則的に、宗教問題の個人の私的内面の精神的領域に介入し干渉したりしない。

ところが、日本の「近代」において「近代」国家たる体(てい)を一応はなす「近代」天皇制国家たる大日本帝国は、国家神道の確立を始めとする宗教政策の国家統制に異様なまでに熱心であり、個人の信仰の精神的領域に深く入り込もうとする施策を明治初年の国家成立期から次々に打ち出すのであった。すなわち、「国家神道は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの」であり、「万世一系・神聖不可侵の天皇が日本を統治すること、国家の中心に存在する天皇と国民との間に伝統的な強い絆があること」が強調された。

明治国家が仮にも「近代」国家であるにもかかわらず、そうした国民の内面にまで踏み込み陶冶(とうや)する宗教政策に躍起(やっき)になり、国民の国家への熱狂的陶酔の支持を取り付けるような個人の内面収奪をはかるのは、なぜなのか。ここで明治維新研究にて、明治国家が「教化国家」たらざるを得なかった明治維新の革命の特殊性を指摘する次のような言説を改めて確認しておいても無駄ではあるまい。「欧米列強からの外圧によりクーデター的に生み出され、その成立当初、自らを支える固有の階級的基盤を持ち得なかったがゆえに、近代天皇制国家は、超階級的な国民の陶酔的支持を求めざるを得ず、いわば『教化国家』の性格を一貫して余儀なくされていた」(下山三郎「近代天皇制研究序説」1976年)。

これは日本の「近代化」の特殊性の議論にも通じている。前より広く指摘されるように、明治以降の日本の近代化は、欧米諸国の開国要求により無理矢理に急遽(きゅうきょ)促進された「外からの・上からの」近代化であった。一般に近代化は宗教的な無知蒙昧(むちもうまい)の呪術を排して、世俗化された理性による合理的判断思考を基にする。近代における啓蒙思想とは脱宗教化の理性的判断思考である。しかしながら、日本の「近代」化には「その成立当初、自らを支える固有の階級的基盤を持ち得なかったがゆえに、近代天皇制国家は、超階級的な国民の陶酔的支持を求めざるを得ず」、そのため天皇制国家の成立根拠の正統性に関し、「万世一系・神聖不可侵の天皇が日本を統治する」という神権的天皇制の宗教要素、国家による「上からの」露骨な国民教化の誘導が入るのであった。

以上のような議論は、国家神道を始めとする近代天皇制国家の宗教政策を考察する際の、あくまで前提の話である。ヨーロッパ史との比較において、また近代の歴史の時代の概念にて最低限、押さえておかなければいけない議論だ。しかしながら従来の国家神道研究にて、天皇制国家による一連の宗教政策が当たり前であり、皆がそれらをあまりにも自明の前提と受け止めて視野狭窄(しやきょうさく)に前のめりで論じ過ぎているように私は思う。そして国家神道研究における、その傾向を私は憂慮するのである。

戦後の国家神道研究にて、すでに私達は村上重良、大江志乃夫、安丸良夫、阿満利麿、子安宣邦、島薗進らによる国家神道についての大変に優れた先行研究を持っている。加えて、それら国家神道の問題性を指摘する研究に反論する葦津珍彦、阪本是丸、新田均ら神道学者の対抗言説のあり様もおよそ分かっている。「国家神道」という言葉が、まだ明確でなく社会に一般化共有されていなかった時代の、国家神道に関する定義や概説の基礎的研究(村上や大江など)の時代を過ぎると、他方で国家神道を「国家による人間の内面収奪、国民教化のための政治的装着」として問題視し厳しく指弾する研究がある一方(阿満や子安など)、またその厳しい国家神道批判に反論して神道擁護をする、国家神道の実質を厳密に見極めようとする立場の研究(葦津や新田など)も出てくる。私は戦後から近年までの主な国家神道研究はだいたい押さえているつもりだが、私のような専門の研究者ではない素人の立場からみて、戦後の国家神道研究は研究者自身の国家観や政治信条や所属の宗派・宗教的立場から国家神道を論じて露骨に評価を下す考察が多く、「昔より以上に近年の国家神道研究は確実に停滞・空転している」の悪印象だ。

例えば、総じて近代日本史や日本の国家の戦争責任に厳しい追及をなす左派的な子安宣邦の国家神道を含めた靖国神社の歴史的研究における、主に国学や神道が発揮する政治イデオロギー性の暴露からなす、やや冷静さを欠いた感情的批判の書きぶり。他方で、例えば神道系の皇学館大学に所属するためか、国家神道の歴史的役割を比較的軽く見積もり神道全体を擁護しようとする、そのため戦後の国家神道研究をアメリカや日本の戦後民主主義の論客や仏教者たちの「陰謀」として反発・批判する新田均の、これまた冷静さを欠いた感情的な書きぶりは、読んでいて私は目を覆(おお)いたくなる。そういった歴史研究者らの国家神道研究が少なからずある。

そうしたなかで岩波新書の青、村上重良「国家神道」(1970年)は、国家神道研究の先鞭(せんべん)を着けた古典で基本の新書であり、今でも「国家神道を知るための最初の一冊」として読まれるべき名著であるに違いない。たとえ村上の「国家神道」像に同意するとしても、またそれを批判的に乗り越える場合にも。国家神道研究を志したり、それを知る際に岩波新書の村上重良「国家神道」を読んでいない人は、やはりモグリと認定されるのではないか。それほどまで国家神道についての基本の定番の書籍である。

「国家神道は、近代天皇制国家がつくりだした国家宗教であり、明治維新から太平洋戦争の敗戦まで80年間、日本人を精神的に支配しつづけた。本書は、国家神道の成立から解体までの過程を詳細にたどり、その構造と思想を分析して本質的性格を明らかにすることによって、神道が日本人にとっていかなる意味をもったかを追求する」(表紙カバー裏解説)