アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(158)高島善哉「社会科学入門」

戦後の日本の社会科学研究は実によく出来ていて、社会科学における「理論、歴史、政策」の三つの部門のうちの「歴史」、歴史的遡行(そこう)の概観にて、法学でも政治学でも経済学でも対象人物の詳細な実証的研究というよりは、その歴史人物の研究を通して「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」、社会科学成立の観点からする、より本質的な基幹研究が主であった。

このことについて、例えば、経済学のマルクスとヴェーバー研究の大塚久雄、同じく経済学のスミスとマルクス研究の高島善哉と内田義彦、政治学の荻生徂徠と福沢諭吉研究の丸山眞男らの戦後の日本の社会科学研究を一読してみるとよい。大塚のヴェーバーも高島と内田のスミスも丸山の徂徠と福沢も、厳密に文献史料を読んで確認してみると、彼ら戦後日本の社会科学者が提示して描く人物思想とは明らかに異なるのである。そして、例えば「大塚久雄が語るヴェーバーは実際の歴史上のヴェーバーとは違う、丸山眞男が示す福沢は歴史上の現実の福沢とは異なる」と言い募(つの)って批判することは比較的容易であり、しかしながら安直だ。そういう戦後の日本の社会科学に対する客観的実像からする食い違い指摘の批判は、「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」、社会科学成立の観点からする、より本質的な基幹研究の立場から、それら戦後の社会科学がなされていることを何ら押さえていないのである。

なぜ戦後の日本の社会科学が、客観的で正確な実証研究に徹することなく、結果的に時に実証性の厳密さを犠牲にし、社会科学という学問成立の原理的観点から考察する営みとして主になされたのか。それは、各人が常に明瞭に言明しているわけではないが、彼らの内に戦前・戦中の日本の社会科学の不毛の不成立に対する反省と批判の意識が明確にあったからである。戦前・戦中の日本においては、国家からの制限・規制・検閲により学問としての社会科学が成立していなかった。その科学的学問の不毛は絶えず国家からの干渉を余儀なくされていたことによる。だからこそ、戦後の再出発にあたり、日本の社会科学は「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」といった科学的学問成立の観点からする、より本質的な基幹研究から再び始めなければならなかったのである。

以上のような社会科学成立観点の痛切な問題意識にまで思いを巡らせ、戦後日本の問題状況を勘案して各人の社会科学研究を読む時、現在の私達はそこから無心に学び取るべきものが今日なおあるはずだ。岩波新書の青、高島善哉「社会科学入門」(1954年)も、そうした視点から今でも読まれるべき戦後日本の社会科学の古典の良書といえる。

ゆえに高島善哉「社会科学入門」を一読して、「アダム・スミスやマックス・ヴェーバーやカール・マルクスに関する記述が正確ではない」の不平を連発してはいけない。本新書からは「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」の科学的学問成立の原理の仕組みを、より大きな枠組みにて押さえて読み取り、そこから積極的に学ぶべきであろう。

岩波新書「社会科学入門」の主な読み所としては、「一・社会科学の窓(序説)」において、人間社会に関する科学である社会科学を自然事物を扱う自然科学と対照させて「社会科学とはどういった学問であるか」解説するところ。「二・社会科学への関心」にて、人間の社会(産業革命や資本主義や国民国家など)を考察する際には「現代社会への関心」に加えて、「体制・階級・民族への関心」の少なくとも三つの基本的な分析視角があること。「三・社会科学の歩み」にて、宗教改革のルターや絶対主義のホッブズから始まり、現代社会のマルクスに至るまでの「社会科学の歩み」の概観小史の記述を、それぞれ挙げることができる。

また巻末には「社会科学の代表作一00点」が提示されている。著者の高島善哉が、政治学と法学と経済学と歴史学と社会学と教育学と社会主義の七つの範疇(はんちゅう)に分けた上で、これから社会科学を志す入門者が読むべき代表的な著作を一00点選んでリストにしている。これを見ると、初学者向けの概説本や主要研究論文ではなく、古典の原著を、そのまま直接一00冊読むよう勧めている。初学の入門の人に、例えばルソーの「社会契約」(1762年)やマルクスの「資本論」(1867年)を最初から直で読めというのは、私は酷(こく)な気がする。確かに読書のアドバイスで「カントについて書いたものは読むな、カントを読め」と昔からよく言われるが、いきなり原著から読んでも初学者には難しく理解が困難で読了できずに中途で挫折してしまう場合が多い。ここはルソーやマルクスに関する概説書や主要研究論文にまず当たり、いよいよ習熟した段階で初めて原著に臨むのが最良ではないか。とりあえず高島の「社会科学入門」の道は厳しいのである(笑)。

高島善哉は、一橋大学の大学院社会学研究科と一般の社会学部の構想設置に尽力した人であった。高島の弟子には社会思想史研究の水田洋や平田清明らがいる。彼ら一橋社会学派の高島ゼミ生が後に共同でやった仕事の一つに、高島・水田・平田による共著「社会思想史概論」(1962年)がある。あの書籍は、非常に良心的な社会科学史の概論解説の名著である。

一橋大学社会学部の新入生は今でも岩波新書の青、高島善哉「社会科学入門」を読まされるらしい。本新書の後に続けて高島・水田・平田「社会思想史概論」を読むことを、お薦めする。