アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書籍(160)マウ「ナチスの時代」

岩波新書の青、マウ、クラウスニック「ナチスの時代」(1961年)は1933年から45年までのドイツ現代史であり、「ナチスの時代」について同時代を生きたドイツ人の著者らが反省的に記したものである。

200ページそこそこの小史でありながら、ナチ時代のドイツを叙述したものとして本書は有益だ。確かに「ナチスの時代」に関して、すでに私達が知っている掲載事項も多い。また従来研究にて触れられている定番の事柄が本書には載っていない、ナチスに関する間違ったイメージ俗説に対する否定がない、1961年の比較的古い書籍なため最新のドイツ史研究の成果が盛り込まれていないの難点はある。しかし、本新書のように通史がコンパクトに一冊にまとめられ、しかも「ナチスの時代」の国内状況での当時の国民的高揚を知るドイツ人みずからが後に著した著書を読むことで、歴史の事後的事実ではなくて、同時代に生きた人間を通しての時代的雰囲気を直(じか)に感じ知ることができる。何よりもこの点が本書の魅力であるように思う。

本新書に限らず、ナチスやヒトラー関連の研究書籍は「どうして当時のドイツ国民はヒトラー支持に走り、ナチスの全体主義のファシズムに熱狂してナチの暴走を安易に許したのか」「なぜヒトラーと対抗をなす非ナチ政党や市民組織がもれなく崩れ去り対抗軸を形成できず、ファシズム暴発阻止の予防弁として機能しなかったのか」「ナチ体制の好戦的な侵略行為や特定民族に対する非人道的な政策遂行が明らかになった後でも、それに対する批判や抵抗がドイツ国内にて広く起こらなかったのはなぜか」、こうした各種の疑問に如何に精密に、かつ明快に答えられるかどうかにかかっている。岩波新書「ナチスの時代」に関しても同様に、同じドイツ国民が書いた同時代史であるだけに、それら各種の疑問にどれだけ誠実に向き合い本気で答えているかで本書の真価は問われるだろう。

「ヒトラーの政権獲得を経て、いよいよ人々がナチスの正体に気づいて失望し始めた時には、いつの間にか国内では国家秘密警察(ゲシュタポ)が暗躍し反対勢力は拘禁され、大ドイツ主義の復権を賭けたヨーロッパ各国との戦争も始まっており、第二次世界大戦の戦火は各地に更に燃え広がり後戻りできず、今さら遅きに失した感があった」旨の、当時のドイツ国民たる当事者の著者らによる語りが本書にて主である。その上で執筆当時の戦後世論も繰り込む形で、著者らは同時代人のドイツ国民であるにもかかわらず、そうした国民帰属の意識や現実を捨象して一転、人間の自由や尊厳の人道的見地の高みからナチス政権のヒトラーや関係人物たちを超越的に痛烈批判する、ちぐはぐな記述も時にはさみ込まれてある。

「人間の自由や尊厳の人道的見地の理念から、かつての『ナチスの時代』の歴史的現実を批判すること」それ自体が問題なのではなくて、自身が同時代に生きたドイツ人であるのに、その具体的な状況下にある自分から完全に分離して、どこにも人間が存在しない人道的見地の理念の高みから戦後に「ナチスの時代」を超越批判する思考は再考に値する。ヒトラーとナチの関係人物ら、後の戦犯に対する同国民による超越的な痛烈批判は、同時代人のドイツ国民の著者らにおける「同族嫌悪」ないしは「近親憎悪」を思わせて非常に興味深い。こうした内在的な物事の裏まで見据えた心理的読みも、岩波新書「ナチスの時代」には施されるべきであろう。

本書は1933年のナチスの政権獲得から始まり、1945年のドイツの降伏たる第二次世界大戦のヨーロッパ戦線終結までを記したドイツ現代史である。その歴史概説は全5章よりなる。特に強烈な内容だと思えるのが「Ⅰ・ナチスの政権獲得(一九三三年)」と「Ⅱ・ナチ革命(一九三三─一九三四年)」の最初の二つ章であり、ヒトラーのナチスが合法的に政権獲得に至り、対抗勢力を抑えて権力掌握の全体主義をドイツ国内にて着実に形成していく過程だ。 この初めの国内での権力掌握の章記述に比べたら、後の国内政治での反ナチの抑圧拘禁と対外政策にてドイツが戦争を仕掛けヨーロッパ各地に侵攻していく歴史は、あくまで「事後のこと」であり、「一度動き出した強力なナチス・ドイツの歴史の歯車は誰にも容易に止められない」の感触は残る。よって本書でも特に重要なのは、ヒトラーのナチスがドイツ国内にて政権獲得に至った「Ⅰ・ナチスの政権獲得」と「Ⅱ・ナチ革命」の最初の過程であるはずだ。

すでに広く知られているように、ヒトラーは以前のミュンヘン一揆の失敗時に暴力革命の線は捨て、議会を通じての政権獲得という合法路線に方針転換していため、後のナチスの政権獲得は、当時世界で最も民主的といわれたヴァイマル憲法下での選挙と国会運営の正統な民主主義の手続きに基づく合法的なものであった。驚愕すべきはファシズムの全体主義が、荒々しく強引な暴力革命(クーデター)ではなくて、どこまでも穏健で合法的な選挙と議会運営の政治手続きを経て、ゆえに多くの国民による圧倒支持を得て進められたということである。この時点ではナチによる、いわゆる「強制的同一化」もホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)も、まだない。しかし、ナチスが第一党になり政権を奪取しなければ後の「ナチスの時代」もないのである。ヒトラーの権力掌握過程を岩波新書「ナチスの時代」にての「Ⅰ・ナチスの政権獲得」と「Ⅱ・ナチ革命」の表記に従って時系列にて書き出すと、およそ次のようになる。

「ヒトラーのドイツ国総理任命─国会火災事件と政策全権賦与法─いわゆる『一元化』(グライヒシャルトゥング)─六月三0日事件」

岩波新書「ナチスの時代」から読み取れる暴力革命ではない、ある意味「合法的な」全体主義台頭のファシズム形成要因は一般化して以下の主に3つの連続的契機によりなされたといえる。

(1)ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は国政選挙で大躍進を果たし、政権与党として一党独裁体制を敷くことが出来るほど選挙にて圧倒的な強さを見せた。(2)その際、ナチスに対抗する野党は、国会議事堂放火事件による共産党への弾圧や他の少数政党らの日和見的離合にて、明確な対立軸を作れず、与党の暴走を許し議会の政党政治は機能不全に陥った。(3)さらに国会での安定多数の勢力の下に全権委任法の可決成立など、「緊急時」を名目に議会軽視と政府への権力集中の一元化をナチスは進め、議会政治や立憲主義は形骸化し骨抜きにされた。

以上の3つの契機が連続した時に、政党政治の機能不全と議会軽視と立憲主義の形骸化を経て、全体主義のファシズムは「合法的に」成立するのであった。そして、そもそもナチスが国政選挙にて大躍進を果たし圧倒的得票にて突出した安定多数の第一党になり、以後も「合法的」な長期政権の運営ができたのは、

(1)常に周りに敵対勢力を作り憎悪の敵対行為を煽(あお)り、強硬な対立姿勢を貫くことで国民人気の自身への支持を取り付ける、また現状への不満を国民に広く訴えかけて、その不満の世論を吸収する大衆煽動のポピュリズム政治(反共や反ユダヤ主義による「憎悪」の調達。第一次大戦後のヨーロッパ各国からのドイツへの報復たるヴェルサイユ体制に対するドイツ国民の不満の吸収)。さらには(2)選挙にて各層や業界団体や軍部の支持を取り付ける国家的福祉政策や国家予算の手心を加えた配分を通しての利益供与、国威発揚のための啓蒙宣伝・イベントの実施(失業者対策や公共事業の増大、ベルリン・オリンピックの開催)

以上の2つの政略の効果的運用が、ナチスの政権支持基盤を「合法的」に支える安定の柱として主にあったからだと考えられる。