アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(161)永田広志「日本思想史研究」全三巻

(今回は、永田広志「日本思想史研究」全三巻についての書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、永田「日本思想史研究」内の著作は岩波新書には入っていません。)

時折「これは相当な名著であり、この人はかなりの書き手だ」と少なくとも私にとっては感嘆を以て切に思われるのに、世間一般にてほとんど読まれておらず評価もされない書籍がある。永田広志の日本思想史研究の一連の仕事がまさにそれに当たる。永田広志については、

「永田広志(1904─47年)は日本の哲学者であり、マルクス主義の立場から活動した。1927年、パーヴェル・アクセリロード『ブルジョア社会学の批判』を翻訳して刊行、海外文献の紹介・翻訳につとめる。1930年、川内唯彦のすすめでプロレタリア科学研究所に参加し、唯物弁証法の研究につとめる。1931年には戦闘的無神論者同盟の結成に参加し、日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成にも参画。さらには1932年の唯物論研究会の発足にも協力、多くの論文を発表し日本の唯物論哲学のために貢献した。1936年には『日本唯物論史』を刊行、安藤昌益や山片蟠桃を取り上げながら江戸時代からの日本思想の発展を論じた。1939年に検挙され、その後戦時下には執筆を禁じられた。終戦後、発足した民主主義科学者協会に参加、故郷に近い松本での活動につとめたが、結核が悪化してまもなく死去した」

永田の著作は「永田広志日本思想史研究」全三巻が後に法政大学出版局から出ている。その全三巻のラインナップといえば、「日本唯物論史」(1936年)で日本近代思想史(特に明治思想)を扱い、「日本封建制イデオロギー」(1938年)で古代・中世から近世までの仏教思想史を中心に論じ、「日本哲学思想史」(1938年)にて主に江戸時代の徳川思想史を明らかにしている。また、その際の各巻末解説の書き手が良い。マルクス主義ないしは日本思想史研究にてよい仕事を残した優秀な人達ばかりであり、実に私好みの人達だ。すなわち、松村一人、尾藤正英、芝田進午である。

永田の日本思想史研究の一連の仕事は1932年から38年の間、戦時中の1930年代に集中している。あれほどの広範囲な時代に渡る質の高い思想史研究の仕事を短期に連続して遂げているのに正直、驚く。この人は論文や著作を執筆しようと思ってから仕事を始めるのではなくて、常日頃から史料や先行研究に当たり執筆構想を固めていたに違いない。人は何かについて文章を書こうと思っても即に執筆できるわけなく、あらかじめ構想準備がなければ、いきなり短期に集中してそこまで連続的に書籍を上梓できたりしないものだ、少なくとも手抜き仕事でない限りは。

永田広志の日本思想史研究は、戦前の同世代の思想史研究や哲学批評や文芸評論の人達の仕事と比べて頭一つ抜けている。その証左は永田の日本史研究が戦前のみならず、戦後もなお有効であることによる。例えばノーマンの「忘れられた思想家」(1950年)にて徳川思想史の中で封建制批判を例外的になした「忘れられ(てい)た」安藤昌益が、戦後ノーマンにより「再発見」されたことがあった。もちろん、私はノーマン「忘れられた思想家」初版の1950年にはまだ生まれていないから当時のことは知らないが、しかし後にノーマンの安藤昌益研究を読んだとき、私は、すでに永田広志を介して安藤昌益のことは「徳川期の唯物論」として知っていたので、「安藤昌益が忘れられた思想家!?何を今さら。そんなことはすでに戦前に永田が『日本哲学思想史』にて安藤昌益を取りあげ詳しく論じている」という非常に醒(さ)めた思いがあった。

同様に戦後の福沢諭吉研究にて「市民的自由主義者」と広く信じられていた福沢だが、福沢全集を詳細に読んでみると、市民的自由主義者だから信教の自由にも寛容であったと思われていたはずの福沢が「馬鹿と片輪には宗教、丁度よき取合せならん」と罰当たりなことを書いて、ナショナリズム喚起と天皇制国家の体制維持のために神道を始めとして仏教ら、あらゆる宗教を動員し民衆教化に利用すべきとする福沢の宗教利用論の実態が明らかにされたことがあった。この福沢の宗教政策に関しても、信教の内実に絡めた思想・良心の自由の人間権利の主張ではなく、経世論的立場から体制維持のために宗教利用論を展開する福沢を知って福沢諭吉の「近代」思想に失望というよりは、私は永田の福沢研究を読んで福沢の宗教利用論の実態をすでに知っていたので、これにも「何を今さら」の思いが正直あった。

しかも、江戸時代の幕府や儒者ら封建支配者からする「仏教は民衆教化に使えない」の仏教批判は、仏教を「民衆教化に使える」ものに変えようとする改良的見地からの裏返しの仏教利用論に他ならず、その思想は、そのまま明治国家にての神道国教化政策下での仏教排斥たる「廃仏毀釈」に継承され、さらに福沢において有用性観点からする宗教利用論に一貫して繋(つな)がりを見せるのであった。この一連の流れは、すでに戦前の永田広志「日本唯物論史」の中で明らかにされている。

それほどまでに戦前にて安藤昌益を取りあげ安藤の革新性と時代の限界性を同時に論じ、また福沢諭吉についても早くに福沢の宗教利用論を指摘し福沢の実像を明らかにし、かつ福沢の「近代」思想と封建思想との連続性を指摘していた永田広志の日本思想史研究の先駆的な業績には、実に感嘆すべきものがあった。それゆえ、なおさら「これは相当な名著であり、この人はかなりの書き手だ」と少なくとも私にとっては切に思われるのに、世間一般にてほとんど永田広志が読まれておらず評価もされない現状に不思議と不満とを覚えたのだった。

永田広志の日本思想史研究の仕事が再発見され適切に評価されることを、現代社会にて永田の著作が広く読まれることを私は切に望む。そうした切なる思いを込めて、最後に永田広志の思想史研究の優れた点と若干の問題点とを改めて記しておこう。

(1)永田広志の優れた点としては、そもそもマルクス主義において現実は絶えざる生成運動の一過程でしかなく、現在状況は常に過去の歴史状況より規定されるのであるから、そのため歴史の過去は現在のために研究されなければならない。そうした現在への痛烈な問題意識から、過去の歴史総体を今に繋(つな)がるものとして問題史的に批判考察できた。永田の文章を読んでいると、中江兆民の「我日本に古より今に至るまで哲学なし」の引用がよくされる。永田は兆民と同様、日本の伝統的学問に抽象理論を駆使した批判的な問題史的歴史研究の不在を、「日本に未だ哲学なし」と痛感していた。そうした哲学理論の認識立場から今に至るまでの日本の歴史を時代の偏(かたよ)りなく、古代・中世から近世と近代までトータルに一貫して幅広く考察できた点が、永田広志の日本思想史研究は優れている。事実、永田の日本思想史研究は特定の時代にのみ研究対象が偏っていない。

(2)永田の思想史研究のもう一つの優れた点として、これもマルクス主義の効用であるのだが、考察の際に思想そのものを即物化し固定対象的に論じるのではなくて、その思想言説が時代の状況の中で果たした機能性、いわばイデオロギー性にまで留意して深く思想史研究ができていたことだ。「イデオロギー」とは、ある思想家が何を言って何を書いたかだけではなくて、思想がその時代状況の中で治者や被治者らにどのように伝わり、時に世論を形成して実際に果たした言外の役割を指す。そうした思想におけるイデオロギーの機能まで押さえることは、思想と人間主体と時代状況との関係性を見極めるものに他ならない。マルクス主義の宗教批判は、宗教が彼岸の安楽・幸福を観念的に提供することで現状の人間の社会生活の苦痛や困難や不条理を軽減し誤魔化して時に無きものにまでする現実の人間疎外を隠蔽する虚偽意識として働くことを指摘する。ゆえにマルクス主義はイデオロギー観点からの宗教批判を展開し得たのであった。イデオロギーとは現状の体制保持のための虚偽意識でもある。

永田広志は、戦時中に官権から思想犯として逮捕拘束されている。それは永田が日本思想史研究をなすに当たり、日本の伝統思想を文化・道徳としてではなく「日本封建制イデオロギー」と明確に規定し、そのイデオロギー的策術の虚偽を暴いて当時の天皇制国家の逆鱗(げきりん)に触れたがためであった。

(3)その一方で永田広志の思想史研究の若干の問題点として、永田による思想評価の基軸が常に「観念論か唯物論か」の二元評価であり、しかもマルクス主義は歴史的発展の止揚を常に絡(から)めるから、「遅れた観念論から進んだ唯物論へ」の極の間には、虚の観念論から真の唯物論にまでたどり着く間に無数の階梯(段階)が設定されるのであった。だから明治思想史研究にて、加藤弘之や福沢諭吉や中江兆民や幸徳秋水らに関し、彼らの「先進的な」唯物論的傾向は一定評価されるものの、結局のところ最後は加藤も福沢も兆民も、あの幸徳でさえも「俗流唯物論者」や「ブルジョア的唯物論者」とされる永田による厳しい評価である。永田の思想史研究において、真正な唯物論を日本の歴史の中に見出だすことは実に困難である。

こうした「観点論か、さもなくば唯物論か。しかも、その唯物論は真正なものであるか否か」の定番操作の評価も、永田広志の思想史研究が戦前の早くから素晴らしい業績を残していたにもかかわらず、人々に忘却され広く読まれず積極的に評価されてこなかった背景の一因をなすと考えられる。何よりもマルクス主義や唯物論が嫌いな人は、永田広志の存在や研究著作は最初から忌避するに違いない。そこが永田広志に関する若干の問題点か。