アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(174)井上清「条約改正」

一般に仕事の出来栄え評価の指標は、全体でまとまって一つの大きな一貫した主張立場の力強さがあり、かつ同時に部分の細部にて多数の矛盾や対立を内包して多様性の細やかさを確保してあること、この全体のまとまりの統一の強さと、部分の細部の矛盾・対立の多様性の細やかさの相異なる二つの正反対の志向の統合・止揚にあると思える。

歴史研究において、前者の全体のまとまりの一つの一貫した主張を主に取って後者の部分の細部を捨象すると、研究者の政治的立場や歴史観に合うように個別の具体的な歴史を利用する、あたかも「歴史をダシにして自身の思想を語る」醜態になってしまう。逆に、後者の部分の細部ばかりを極めて前者の全体のまとまりの強い主張立場の一貫性を欠くと、個別の具体的な歴史事象のみに溺(おぼ)れ、研究を通して一体何が言いたいのか分からない歴史研究を通しての実践性を欠いた、単なる「歴史を詳しく細かに明らかにしただけの歴史の物知り博士」的醜態で、これまた終わる。

歴史研究において、全体のまとまりの統一の強さと、部分の細部の矛盾・対立の多様性の細やかさの相異なる二つの志向の統合・止揚、一見、全くの正反対にて対立するような全体と部分の両要素の同時確保は極めて重要だといえる。

岩波新書の青、井上清「条約改正」(1955年)は、この全体と部分の両要素の確保に関し非常にうまくまとめて一冊の新書に仕上げており、その歴史記述の手腕の見事さに「さすがに名著だ」と納得させられる出来栄えである。明治日本の「条約改正」への概説を通して、まず考察全体を貫く論者たる井上清の強い主張や政治的立場、明治国家に対する総括的評価がぶれずにあり、その上で各論述過程にて「条約改正」の中にあるその時々の個別の歴史事象に対する細かな矛盾や対立要素の多様性、歴史の見方の可能性が数多くちりばめられているの様相だ。

岩波新書「条約改正」に関して、「一世紀前、アジアの諸民族は、つぎつぎに欧米列強の植民地あるいは半植民地にされてゆき、わが日本の私たちの父母や祖父母は、…外国から強制せられた、高圧的な不平等条約のために苦しんだ」という書き出に示される、欧米列強から当時の日本に高圧的に強制された不平等条約締結に対する、著者の井上清の日本人としての強い怒りをまず押さえよう。この理不尽な不平等「条約改正」のための明治の日本人(日本民族)の奮闘を論じたのが本書である。だから、岩波新書「条約改正」の副題は「明治の民族問題」になっている。そうして著者の井上清は本書の目的について次のように続ける。

「私は不平等条約が、どのようにしてというよりもなぜ、強制されたか、その下でどんなに日本国民が苦しみ、日本資本主義の発達がさまたげられたか、ということからして明らかにせねばならなかった。そして、改正交渉についても、たんに日本政府と欧米政府との往復のてんまつのみでなく、日本の朝鮮・清国にたいする政策および東洋の全国際関係との関連において分析し、また対外問題と、日本内部における政府と国民の関係・諸階級との関連を追究することにほねをおった」(「はしがき」)

前述のように本新書には、欧米列強から当時の日本に高圧的に強制された不平等条約締結に対する、著者の井上清の日本人としての至極真っ当な怒りが全体を貫く大きな主張立場として最初にあって、かつ同時に部分の細部の条約改正交渉の過程にて、様々な対立軸や歴史の可能性の多元性が確保され細かに書き入れられてあるのだ。

例えば、明治国家にとって「条約改正」とは、日本の近代化を推進する強力な起動力たり得た。憲法制定や国会開設など、日本が近代化を果たして未開の「野蛮国」から先進の「文明国」への発展を遂げることこそが、不平等条約改正の必要条件だと当時の明治国家の指導者らに強く意識されていたからだ。日清、日露戦争の諸外国との対外戦争にての勝利も、日本が「文明」の一等国に成りあがるための「条約改正」へ向けての、ある意味、前哨戦(ぜんしょうせん)なのであった。

またキリスト教国が多い欧米諸国に対し、キリスト教解禁を軸とする「信教の自由」政策のあり様に明治政府は腐心した。条約改正交渉の過程で日本が「文明国」である証左にキリスト教を始めとする宗教的寛容(個人の内面自由の確保)を認めたいが、キリスト教解禁と明治国家が進める近代天皇制体制下での前近代的で復古的な神道国教化政策は明らかに矛盾して両立できない。そうした「近代」の日本的問題を含みつつ、「条約改正」への条件たる日本が果たし得た急速な近代化は、同じ東アジアの清国、洋務運動を経て変法運動の内的近代化に挫折した孫文ら中国の革命指導者たちの羨望(ぜんぼう)する所でもあった。

しかしながら日本の近代化は、もともと条約改正のための下地作りの強迫的な国家による「上からの、外からの」近代化であり、自生的で内発的なそれではないのだから明治の国民的文学者、夏目漱石が「現代日本の開化」(1911年)にて見事に喝破(かっぱ)したように、日本の近代化は外面体裁だけの上滑(うわすべ)りなものに終始したのも事実である。この点については「条約改正」の文脈にて、例えば井上馨(かおる)の鹿鳴館時代の欧化政策の皮相さを思い起こせばよい。

明治国家の初期政治を概観する上で「条約改正」のテーマは誠に絶妙であって、この「条約改正」を介して当時の明治政府の施策の様々な面が見えてくる。「改正交渉についても、…日本の朝鮮・清国にたいする政策および東洋の全国際関係との関連において分析し、また対外問題と、日本内部における政府と国民の関係・諸階級との関連を追究することにほねをおった」と著者自らが述べているように、「条約改正」には対外問題としての日清戦争と、国内問題としての自由民権運動とが密接に絡(から)んでいた。本新書は「条約改正」といいながら、残念なことに日清戦争勃発前夜に果たされた日英通商航海条約にての領事裁判権の撤廃達成の「条約改正」までにしか触れていない。記述は日清戦争の時代で終わっている。日露戦争終結後のアメリカとの日米通商航海条約にて関税自主権の完全回復を得て、日本の不平等条約改正の念願が叶(かな)うまでの「条約改正」の概説はない。そうして対外問題の日清戦争にて、日本がわずか開戦六日前にして、南下を目論むロシアに恐怖して日本と手を結ばざるを得ないイギリスに条約改正を履行させる日本政府の交渉の巧(たく)みさ、だが当のイギリスからしてみれば自国が直接に手を下すことなく、いわば「火中の栗を日本に拾(ひろ)わせる」形で条約改正の餌(えさ)を、ちらつかせてロシア南下の防御に日本を活用するイギリス側の交渉の巧みさも同時に指摘しうる。また国内問題の自由民権運動に関しても、藩閥政府の専制政治に対する批判という「民権」の進歩的看板を掲げながらも、「屈辱的な外交失策の挽回(条約改正)」という極度にナショナリスティックな、近代天皇制国家の国家主義にそのまま一気に回収されてしまいかねない「国権」収束への非常に危うい側面も自由民権運動は兼ね備えていた。

もちろん、これら物事の両側面の多元な評価意識がその都度、全て詳細に書き込まれているわけではない。直に書かれていないが本書を読んで読み手が言外に気づいたり、また日清戦争前夜のイギリスとの「条約改正」交渉の二面的解釈や自由民権運動の「民権」と「国権」の両面性の指摘以外にも、その他「条約改正」の中にある個別の歴史事象に対する細かな矛盾や対立要素の多様性、歴史の見方の可能性が本書には様々に数多くちりばめられてある。

なるほど「条約改正」について、学校の日本史の授業で習ったように私達はその概要をすでに知っている。「条約改正」に関しては、寺島宗則から始まり小村寿太郎に至るまでの歴代交渉責任者の推移を知って、その上で改正眼目に「領事裁判権の撤廃」と「関税自主権の回復」のどちらに重点を置いて優先的に交渉したか、明治政府の方針も理解し、さらにはノルマントン号事件や大隈重信襲撃事件や大津事件(ロシア皇太子傷害事件)など、その間の個別の事件も押さえて理解するのが定石(じょうせき)だ。井上清「条約改正」には、交渉過程の子細が定番史料を添えて随時、明らかにされているけれど、新たな歴史的発見や新奇な歴史解釈が特にあるわけではない。書かれているのは、ほとんど既知の自明の事柄だ。

だが、本新書は新しく何かを知ろうとして読む類(たぐ)いの書籍ではなくて、既知の自明な歴史を著者の井上清がどれだけ鮮(あざ)やかに手際(てぎわ)よく、少ない紙数の制約された新書一冊の中で、全体に一貫した井上の主張(不平等条約に対する井上清の日本人としての強い怒り)と、部分の細部の矛盾・対立の多様性(条約改正の中にある各歴史要素の可能性や評価の多元的指摘)との一見、全くの正反対にて対立するような全体と部分の両要素を止揚させ、まとめているか見極め味わうための、いわば「味読のための新書」なのだから十分に味わって井上の歴史記述の手腕に感嘆しながら読むべきものである。

それにしても、本書にての井上清の物事の二面性を暴く書き方の方針は実に一貫している。第一章の「明治政府の二面外交」にて、欧米列強に対し屈辱の不平等条約を甘んじて受け入れ日本は「屈従」するが、他方で近隣アジアに対しては日本がヨーロッパ諸国からやられた不平等条約を日朝修好条規にて(日本の領事裁判権の承認と無関税特権の獲得)、そのまま朝鮮に押し付けて「侵略」の形で日本国はアジア諸国に高圧的に振る舞うのであった。かつて日本が欧米列強からやられたのと同じ要領で。

強者の欧米諸国から強いられた不平等条約締結の屈辱外交を、今度は日本が弱者の隣国アジアの朝鮮にそのまま強いる。虐(しいた)げられた者が強者に反抗せず、自分の下にいる更なる弱者に向けて同じ虐げを施して満足する、抑圧の圧力が強い上から弱い下へと順次に委譲する(あたかも自分より強い者からいじめられた者が今度はさらに自分よりも弱い者を同様にいじめることで、その鬱憤(うっぷん)を晴らすような)、いじめの心理学的考察にてよく指摘される所の「抑圧委譲の原理」の心性である。ここには不平等条約の苦痛を通してのアジアの日本民族としての覚醒、それと同時に中国や朝鮮と連帯して同じ弱者のアジア諸国の立場から、軍事力と経済力に物を言わせて理不尽な不平等条約締結や植民地化を迫る欧米列強に共に対抗していこうとする「アジアの連帯」の気概など、もともと日本の明治国家の指導者らには皆無なのであった。代わりに日本がヨーロッパ諸国にやられた屈辱的外交と侵略を、そのまま近隣アジアに委譲して自国の優越利益のバランス確保に走る卑劣さがあった。

岩波新書の青、井上清「条約改正」は「欧米に対する屈従とアジアに対する侵略」の「明治政府の二面外交」の欺瞞を見事に摘出する。第一章にての、対ヨーロッパと対アジアの「屈従と侵略」の使い分けである明治国家の二面外交の卑劣さの指摘は、今日の私たち日本人が痛切に知って批判的に乗り越えていくべき過去の歴史的事柄である。これからの日本人の歴史のためにも。