アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(192)大田堯「教育とは何かを問いつづけて」

以前に読んで内容は忘れてしまっていても、タイトルが抜群に良くて題名を鮮明に覚えている書籍が時にある。岩波新書の黄、大田堯(おおた・たかし)「教育とは何かを問いつづけて」(1983年)は、タイトルがいつまでも強烈に記憶に残る。そういった新書だ。

題名が出来すぎていると思う。「教育とは何かを問いつづけて」である(笑)。著者が長年に渡り「教育とは何であるか」自問自答を繰り返し教育実践を通じ格闘し努力を重ねているのだけれど、それでも「教育とは何か」が明確に分からない。むしろ逆に「教育とは何か」を問いつづけ追究すればするほど、ますます底無しの迷路にはまり込み分からなくなってしまうような求道的ニュアンスがある。

そもそもの「××とは何かを問いつづけて」の型文が優れている。これに例えば「愛」を代入して「愛とは何かを問いつづけて」、例えば「信仰」を代入して「信仰とは何かを問いつづけて」とやっても優れたタイトルになってしまうのである。

岩波新書の黄、大田堯「教育とは何かを問いつづけて」の概要は以下だ。

「戦後教育は私たちに何をもたらしたか。今日、学校をはじめさまざまな施設や教育産業の発展は著(いちじる)しいが、これらは本当に教育の名に値するものだろうか。勤評、『人づくり』政策、学園紛争、教科書問題などとの格闘を通して、真の教育とは何かを求めつづけた著者が、『人を人とする』教育のための連帯の回復こそ現代の課題であると説く」(表紙カバー裏解説)

本書は1980年代の日本の教育時事をめぐる問題と密接に関係づけながら、「教育とは何かを問いつづけて」きた著者の考察である。著者の他著に同じ岩波新書から新赤版で「教育とは何か」(1990年)も出ている。大田堯の教育論の良さは、抽象原理的な教育学に止(とど)まらず、必ず同時代の教育時事問題と結びつけて教育原理の有効性の射程を見定めようとする氏の実践的な学問姿勢にある。いずれも大学の教育学部に進学した新入生が「教育原論」などの基礎講義にて最初に読まされるような、もしくは教員志望の人が最初に読むべき基本の内容である。

岩波新書の赤、大田堯「教育とは何か」も昔から定番推薦されるテキストで良い書籍だが、タイトルの秀逸さから岩波新書の黄、大田堯「教育とは何かを問いつづけて」の方を私は推(お)す。