アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(197)日野行介「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」

岩波新書の赤、日野行介「福島原発事故・被災者支援政策の欺瞞」(2014年)の表紙カバー裏には次のようにある。

「福島原発事故をめぐって、被ばくから自主避難者(母子)や子どもを守るべく作られた法律は、なぜ、どのようにして骨抜きにされたのか。現場からの声、隠された多くの真相や証言から、政府の思惑を明らかにし、被災者支援のあり方を問う。『福島原発事故・県民健康管理調査の闇』に続く第二弾」

岩波新書「福島原発事故・被災者支援政策の欺瞞」は、 同新書「福島原発事故・県民健康管理調査の闇」(2013年) に続く、毎日新聞・東京社会部の記者たる著者が2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の放射能漏(も)れ過酷事故を受けての、政府による被災者支援政策の問題点を明らかにする社会派ジャーナリズムの告発の書だ。その第二弾である本書タイトルは「福島原発事故・被災者支援政策の欺瞞」であり、前回の「闇」に続いて今回の「欺瞞」という言葉の響きと内容ともに、これまた厳しい。「欺瞞(ぎまん)」とは「相手をだます、あざむく」という意味だが、いったい福島原発事故後の「被災者支援政策」のどこの何が「欺瞞」であるのか。

「被災者支援政策の欺瞞」の詳細は本新書に直接に当たり各自で確認してもらいたいが、おおよその話の流れはこうだ。

「子ども・被災者生活支援法」が国会にて超党派の議員立法として提出され2012年に全会一致で成立した。この支援法は政府が避難指示基準とした「年間二〇ミリシーベルト」を下回っても「一定の基準以上の放射線量」が計測される地域を「支援対象地域」と位置付け、その地域の住民が「避難」か「残留」か「帰還」のいずれを選んだ場合にも等しく国が支援するというものだ。必ずしも被災地域への帰還を強制せず、特に母子や子どもを被ばくから守るべく(自主)避難者の福島県外への避難に対し、「生活全般」と「健康調査」(例えば、県外での仮設住宅の新規受け入れや子どもの就学支援、福島県外での健康調査の実施など)の支援の施策を政府に強く義務付ける法律である。いわば「理念法」ともいうべきもので、支援法は、年間一ミリシーベルトと五ミリシーベルトを基準に避難の権利を保障するチェルノブイリ原発事故の際の被災者支援法「チェルノブイリ法」が骨子になっていた。それには、福島原発事故以前に、そもそも法令が定める一般人(職業被ばくを除く)の被ばく限度は年間一ミリシーベルトであったのに、しかし政府が事故後に拡散実態を踏まえた避難指示基準が、年間累積線量限度が二〇ミリシーベルトにまで緩和された避難指示基準に対する福島住民らの不信の問題意識に支えられていた。

ところが、福島の被災者支援政策を担う復興庁は、内閣の直下にある官庁であり、時の政府の意向を汲(く)むためか、子ども・被災者生活支援法は、国会にて全会一致の議員立法で成立したにもかかわらず、法律の中身を詰める過程にて、国会での議員立法の趣旨は無視され、著者の表現からして「法案は骨抜きにされていく」。原発事故直後の民主党政権も後に取って替わった自民党政権も、住民の県外自主避難よりは、原発周辺市町村の避難指示解除を早急に出して住民の福島への帰還促進をはかり、福島原発事故からの「収束宣言」と「復興成果」を世評に広くアピールしたい、著者が言うところの「政府の思惑」が実はあった。そのため、もともと被ばくから避難者(母子)や子どもを守るべく県外避難者に対する「生活全般」と「健康調査」との二本の柱を軸に構想された、県外避難者に対してへの「避難する権利」を認めて手厚い保護支援の義務を国に課す支援法は「早期帰還」の国の方針とは明白に異なる。

本書を通して読み取れるのは、原発周辺市町村の避難指示解除を早急に出して住民の福島への帰還促進をはかり、福島原発事故からの「収束宣言」と「復興成果」を世評に広くアピールしたい、時の政府とその政府の意向を汲んだ官僚による一貫した強い政治姿勢、そして、そのための「欺瞞」の策術だ。

「まず何よりも帰還ありき」の住民の早期帰還・定住プラン促進のため、「帰還に向けた安全・安心」の生成のために被災者支援政策の「欺瞞」が時の政府により多くなされる。それは、住民帰還に慎重で県外避難への保護支援を国に課して住民の避難する権利を保障する、子ども・被災者生活支援法のないがしろの骨抜き、実質的な法案の無効化に他ならない。

「何よりも早期帰還・定住ありき」の被災者支援政策の欺瞞といえば、支援法と類似の法律(福島復興再生特別措置法)を後に作成し支援法を置き去りにして、そちらの施行を露骨に早く進めるような類似法案への進捗(しんちょく)操作の手心、放射線量などで早期帰還に都合の悪いデータの非公開、ならびに任意の匿名サンプル統計やデータ収集の意図的操作(避難指示解除地域にての被ばく量を低く見せる工夫など)、住民説明会での、あくまでも住民らの「自由意志」と自己責任とで帰還決定を促す誘導的言辞、非公開ないしは後日に市民が情報開示請求をしても「議事録なし」か黒塗り議事録が示されるだけの関係省庁間での裏会議、会議や委員会にての不透明な決定プロセス、異常に偏(かたよ)った人選や参加者による委員会と住民説明会、時の政権のダメージ回避を図(はか)る政治日程(参院選投票など)に配慮した情報公開や方針決定の開示など。これらが本書にて指摘される主な「福島原発事故・被災者支援政策の欺瞞」である。

それら国による「被災者支援政策の欺瞞」を実際に手がけるのは、国会議員ではなくて、官僚である。より具体的には内閣直下の復興庁の参事官ら中堅幹部の官僚が主である。そうして、それら「欺瞞」を暴いて糾弾するのが、本書の著者のような新聞記者らマスコミ関係者、避難の当事者である福島の住民たち、支援法の議論の過程で政府や復興庁の強引なやり方に疑義・不審を抱いた一部の専門家であった。

福島の人々の避難する権利保障たる住民の県外避難の保護支援よりは、住民の福島への帰還促進をはかり、福島原発事故からの「収束宣言」と「復興成果」を世評に広くアピールしたい政府の思惑に由来しているとされる、復興庁の官僚らによる時の政権に利するような、本書における子ども・被災者生活支援法の骨抜きの実質的無効化の数々の「欺瞞」は、金銭授受の汚職や虚偽記載の粉飾・改竄(ふんしょく・かいざん)のような、その行為をして即に法に訴えて起訴される、いわゆる「巨悪」ではない。民意に基づく国会での立法の趣旨を無視し、政府の「まず何よりも早期帰還ありきの復興」アピールの政策に合わせて、行政の官僚らがその正当性を補強するために、時に都合の悪いデータ資料を握りつぶし非公開にしたり、任意の匿名サンプル統計やデータ収集の意図的操作を施したりで、個々の「欺瞞」行為は(おそらくは)犯罪事件として立件し問えるものではない。三権分立での国会立法府の尊重原則と被災者支援の倫理的観点からして、福島の被災住民を軽視する悪であることは明白だが、後々追及されれば、「資料の扱いが丁寧でなかった」とか「若干の公平さの配慮に欠けていた」など復興庁の官僚らが形式的に「反省」して言い逃れできるような、いわば日常的な「小悪」の幾つもの積み重ねにてなる「欺瞞」である。

そういった意味では、岩波新書の赤、日野行介「福島原発事故・被災者支援政策の欺瞞」の問題は、近年(2018年)明らかにされた、時の政権に利するよう景気動向指数や雇用数字のデータを操作して見映えよく書き換える官僚による統計不正問題とその内実は実によく似ている。