アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(202)宇野弘蔵「資本論の経済学」

例えば西洋哲学史や日本史概説など、ある特定テーマの研究書籍は、今さら新規な大発見や「目から鱗(うろこ)」の大胆な読み直し解釈など不可能で、だいたい誰が執筆しても似通った内容になってしまう。そういった意味で、この手の内容書籍では「誰が書いても同じようになってしまうなかで同一の考察対象の事柄であっても、書き手のこなれた手つきや手際(てぎわ)のよさ、記述の際のまとめ方の上手さを見極める競争の特定競技(コンペ)」であるような思いが私はする。特に西洋哲学史や日本史概説など定番テーマに沿った書籍の場合には。

マルクス「資本論」(1867年)の読みを詳細に解説する「資本論精読」や「資本論入門」に関しても、もはやそれである。マルクスの「資本論」の内容に触れて解説した書籍は、これまでにどのくらいの人数の著者により執筆され、何冊くらい出版されてあるのだろうか。だいたい誰が書いたどの書物を読んでも「第1篇・商品と貨幣」の「第1章・商品」と「第2章・交換過程」の読解解説から始まり、例の「一着の上着に20エレのリンネルを…」云々の定番解説を聞かされることになるのである。

宇野弘蔵は日本のマルクス経済学者である。宇野は日本のマルクス経済学者の中でも特に影響力の大きな一人であり、その学派は「宇野学派」と称された。この人は「資本論」に基づく経済研究を非常に地道に精密にやる学者で、マルクスの「資本論」を一読した程度で途端に気が大きくなって現代社会の資本主義批判を得意気にやったり、日本共産党や戦後の社会党に入党して政治運動組織の重鎮幹部に納まってしまうような、軽薄な「なんちゃってマルクス主義者」ではなかった。

宇野弘蔵による専門的なマルクス経済学の代表仕事に「経済原論」(1952年)と「恐慌論」(1953年)とがあり、確かに厳密で一読で済ますには難しい読後の感想を(少なくとも私は)持つのであるが、マルクス経済学の初心者向けに(おそらくは)執筆した入門書であっても、なぜか宇野弘蔵の場合は難しいのである(笑)。宇野弘蔵「資本論入門」(1948年)に対して、「宇野の『資本論理入門』は初学者向けの『入門』であるのに異常に難しすぎる」のコメントは、もう昔から定番の笑いのネタになっている。

確かに、宇野弘蔵のマルクス関連書籍はどれもだいたい難しい。ただ宇野の著作は誤魔化しがなく精密で上質で上等だ。冒頭で述べたようにマルクス「資本論」の解説など、この手の内容書籍は「おそらくは誰が書いても同じようになってしまうなかで、同一の考察対象の事柄であっても書き手のこなれた手つきや手際のよさ、記述の際のまとめ方の上手さを見極めるような競争の特定競技(コンペ)」にて、同時代の他のマルクス読解解説の書き手と読み比べて宇野弘蔵は明らかに頭一つ抜けているように私には思える。

岩波新書の青、宇野弘蔵「資本論の経済学」(1969年)は、定番のマルクス「資本論」の解説記述が主な著作だが、この人が上質で優れているのは「宇野が経済学者として、そもそもの経済理論全般に精通している」とか、「宇野弘蔵その人が『資本論』を唯物史観や社会主義イデオロギーの書としてではなく、経済学の古典として厳密に読み解く姿勢を貫いている」などはもちろんあるのだけれど、それ以前に何よりもマルクスへの総体的な宇野の語り口が優れている。岩波新書の宇野「資本論の経済学」を読んでいると、この人の記述には物事の背後にある外部や、より深く掘り下げられてある深部を知っているにもかかわらず、わざとそれらに子細に言及し解説しない、あえて全てを述べず暗に匂(におわ)せる余裕の深みが感ぜられる。

一般に自身の考えを相手に説得力を持って伝えたい場合、自分が思っていることを全部言葉にして出して言ってしまっては駄目なのである。全部言ってしまうと言外の深まりがなく余裕がなくなって説得力がなくなるから。適度に抑えて、いつも知っていること・考えていること・思っていることの6割くらいしか言わない。それくらいが説得力の出る、ちょうどよい加減である。かたや、低俗で下品な人ほど自分の考えていることを人前で全力で全て語りたがる。初心者や低俗・下品な輩(やから)は、クドく全部言って詳しい説明を施さないと相手を説き伏せられない不安に常に苛(さいな)まれるから、全力で知っていること・考えていることを全部しゃべって自分の手の内を全てさらけ出して、逆に余裕がなく説得力が出ないマイナス印象を相手に与え、勝手に自滅する(笑)。そういう失態を日常的に私はよく目にする。

宇野弘蔵「資本論の経済学」は、マルクスを述べる際にも論述の背後にある著者の言外の理解の広がりが暗にあって、上質な「資本論」解説の読み物といった感じがする。私も常々、宇野弘蔵のマルクス経済学のような高等で上質な深みのある余裕の語りや文筆をやってみたいと思うのだけれど、そのためには、もともとの考察対象を広くかつ深く精緻(せいち)に知っておかねばならず、なかなか難しいのである(苦笑)。

最後に岩波新書の青、宇野弘蔵「資本論の経済学」の紹介文を載せておく。

「『私にとって経済学といえばマルクス経済学である』と語る著者が、長年にわたり『資本論』から学び、自ら追求してきた経済学の理論を概説したもの。資本主義の経済法則、経済学と唯物史観など、マルクス経済学の基本的理論を説き、レーニンの『帝国主義論』やスターリン論文等にも論及しつつ独自の理論を展開する」