アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(204)色川大吉「自由民権」

明治の自由民権運動史の書籍を読んでいると、そこはかとなく青臭い青春の若さゆえの、やるせなさを感じてしまうのはなぜだろう。確かに自由民権運動は明治国家の成立まもない時期の出来事であり、近代日本のまさに「立国の青春の時代」に当たるのだった。憲法制定と国会開設は果たしたものの、制限選挙、教育勅語、日清・日露戦争での勝利を経ての国権論一辺倒による民権論の排撃にて近代天皇制国家の確立と隆盛を着実なものにしていった明治専制政府の前で、自由民権運動は敗北を喫したのであった。

民権運動の頂点思想家たち、例えば植木枝盛は30代の若さであまりに早く突然に病死してしまうし、自由民権の理論的指導者であった中江兆民は、彼の奔放頑固な性格によるものか、兆民は在野にて学校校長、新聞主筆、国会議員、実業家など職を転々としたあげく最期は喉頭がんで亡くなる。兆民の弟子の幸徳秋水は、民権運動衰退後にアメリカへ渡り無政府主義者となって帰国の後、国家によるでっち上げに等しい大逆事件にて30代の若さで刑死してしまう。馬場辰猪は、民権運動の後にアメリカに渡り日本の民主化のための言論活動を国外より続けるも、貧困と病(やまい)と失意のうちに、これまた30代の若さで異国の地で孤独に亡くなった。

岩波新書の黄、色川大吉「自由民権」(1981年)も、民権運動におけるそこはかとなく青臭い青春の若さゆえの、やるせなさ、まだ近代日本が若かった頃の「青春の時代」の青さを強く感じさせる。何よりも「序章・北の曠野(こうや)から」と「第六章・亡命民権家の戦い」とを本書を未読な方にまず読んでもらいたいし、既読な方には今一度再読して頂きたい。 若くして民主化の希望を抱いて自由民権運動に参加し、しかし暴虐政府の弾圧により夢破れて早くに亡くなった民権運動家たちの悲しみ、すなわち「重罪人」の流刑者として北海道の監獄で命を落とし、極寒の吹きざらしの荒野の囚人墓地に眠る民権運動家たちを著者の色川が訪ねる「北の曠野から」の章を、民権運動の終息を見て亡命先の理想の自由の国・アメリカにて活動を続けるも、病や生活苦で「無念の死」となる石坂公歴(まさつぐ)、馬場辰猪らの生涯に著者の色川が思い巡らす「亡命民権家の戦い」の章を、是非とも読んで頂きたい。

近年の岩波新書は、創刊80周年の節目の前後で過去に出ている同一テーマの新書でも重複を厭(いと)うことなく、新たな書き手に書かせて新書公刊する方針のようである。例えば百姓一揆に関し、以前の黄版の勝俣鎮夫「一揆」(1982年)があるのに近年、新赤版の若尾政希「百姓一揆」(2018年)を配本するというように。同様に自由民権運動に関しても、前より黄版の色川大吉「自由民権」があったが近年、新赤版の松沢裕作「自由民権運動・デモクラシーの夢と挫折」(2016年)が出ている。その松沢「自由民権運動」の巻末にての参考文献一覧の筆頭に同岩波新書の色川「自由民権」が大きく掲載されているのを見て、私も完全同意で非常に納得がいった。

岩波新書の色川大吉「自由民権」は良著であり名著だ。ここで本新書の目次を書き出してみよう。

「序章・北の曠野から、第一章・文化革命としての民権運動、第二章・国民的政党の成立、第三章・二つの防衛構想、第四章・自主憲法と押しつけ憲法、第五章・抵抗権の行使、第六章・亡命民権家の戦い、終章・『民権百年』その光輝と敗北の教訓」

序章と第六章には前述のような民権運動家らのその後を追跡した少し悲しいトピックを、第一章と第二章は自由民権運動史の概観であり、続く以下が各論である。第三章は民権運動における識者の軍隊認識を、第四章は自由民権における私擬憲法案の各種構想を、第五章は民権思想における「抵抗権」の内実と各地での農民激化運動を、そうして終章はタイトル通り「『民権百年』その光輝と敗北の教訓」を一般化の形でまとめ、過去の自由民権運動から学びうる今日の市民運動の参考指針とする本書構成である。

色川大吉は、民衆史を主にやった日本近代史専攻の歴史家だ。民衆史は無名の在野の民衆の歴史を扱うものであり、頂点思想家や著名政治家が考察対象ではないため史料の入手に苦労する。公的刊行史料が少ないから、村の旧家に実際に色川が自ら出向いて史料発掘したり、民権運動家らの敗走経路を実際に色川が夜通し歩いて追体験したりした。先の民権運動家たちの極寒の流刑の果ての囚人墓地に実際に色川が墓参りして歴史記述するその姿勢も含めて、色川大吉は考察対象への主体的働きかけをなして理解する、かつてディルタイが述べた所の「構造連関における生の追体験」を体現できた非常に数少ない、誠に優秀な戦後日本の歴史家であった。

戦後の日本史学にて、確かに「民衆史ブーム」というものがあった。当時その民衆史を牽引(けんいん)したのは色川大吉を始めとして、安丸良夫、ひろたまさき、鹿野政直の各氏であった。色川だけ1925年生まれの年長だが、その他の三人は生まれが1930年代であり、各人とも1950年代末までに大学を卒業して60年代に大学院に進学し民衆史にて本格的な日本史研究に着手している。安丸良夫は幕藩体制下の百姓一揆と日本の近代化論を、ひろたまさきは民衆の差別意識の構造分析と福沢諭吉研究を、鹿野政直は日本近代思想史概説と沖縄と女性の歴史を、それぞれにやった。安丸とひろたと鹿野は「民衆史三羽鴉(さんばがらす)」とか「民衆史三人衆」と時に呼ばれることもあるようだ(笑)。

1960年代は日本史研究の現場でも主要人物や事件や政治テーマに関するものは戦後歴史学の中で既に一通りやられており、いわば「歴史研究は一周した」感があった。そこで著名な為政者や思想家、歴史的事件や法制の政治システムではない、無名の被支配層の民衆の実態や郷土史に連なる各地方のあり様へ、これまで未着手であった分野に研究テーマが拡がった。かつ当時の現実社会でも安保闘争を介した学生運動や労働運動、地域の反基地闘争、地域住民による公害訴訟、女性解放運動(ウーマン・リブ)、消費者運動など、まさに1960年代は同時代にて市民運動の時代であり、それが歴史における民衆発掘の民衆史の動きにそのまま連動していた。

岩波新書の黄、色川大吉「自由民権」は1960年代からさらに時が経過して1981年の刊行であるけれど、色川は本文中にて「本書が自由民権運動百周年の総括である」旨を繰り返し何度も強調している。本新書発刊の1981年は「自由民権運動百周年」の記念すべき節目の年であり、全国各地での民衆からの自由民権の声を抑えきれなくなった専制政府が10年後の国会開設を約して「国会開設の勅諭」を出した1881年から数えて、ちょうど百年目であった。

「今から百年前、アジアで最初の国会開設要求の国民運動が日本全国からわきおこった。一八八一年は、この自由民権運動の最高潮の時であり、民衆憲法草案が続々起草され、自由党が結成され、専制政府は崩壊の危機にまで追いつめられた。各地で進められている研究活動の成果をふまえ、自由民権の全体像を構築し、現代的課題を明らかにする」(表紙カバー裏解説)