アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(218)加藤節「ジョン・ロック」

岩波新書の赤、加藤節「ジョン・ロック」(2018年)は「生涯、思想の解読、ロックの思想の現代的意味」の主に三つの内容からなる。そもそもジョン・ロックその人に関しては、

「ジョン・ロック(1632─1704年)はイギリスの哲学者・政治学者。哲学者としてはイギリス経験論の父と呼ばれ、経験論的認識論を体系化した。また政治哲学者としての側面も有名である。『統治二論』(1690年)における彼の自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された社会契約や抵抗権についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた」

本新書にての著者の記述は一貫している。常に箇条書きの形式である。「××は三つある。第一は××第二は××第三は××」というように。本文にて算用数字をふっているわけではないが、本書の概要を分かりやすくまとめるために以下、数字をふって、おおまかな要点を書き出してみる。

本新書は全四章よりなる。第一章は「生涯」で、生い立ちから晩年までのロックの生涯の概観である。第二章は「思想世界の解読」で、ロックの哲学・政治思想を読み解く際の方法論の提示である。その際、ロックには他の天才たちにはない2つの特筆すべき独自性が認められると著者はいう。その独自性とは、(1)ロックは一七世紀の時代の諸問題、あらゆる分野の思索をなした。彼は認識論、政治学、寛容論、神学、教育論、経済論といった「人間活動の全域」にわたる学問領域を担(にな)い、その全てで卓越した成果をあげた(思想の網羅性)。(2)さらにロックは十八世紀に対する影響力の幅の広さにおいて、他の思想家たちよりも群を抜いていた。多くの主題を扱い、その後世への影響には多大なものがあった(後の時代への影響力)。

そうしてロックに関する従来研究を踏まえて、以下の3つの観点から「新しいロック像」の提言をなす。すなわち(1)宗教性。プロパティ論や社会契約論など、ロックを信仰よりも理性による非宗教的な「神なしにすましうる」思想家と見なしてきた従来の解釈傾向の見直し。(2)複雑性。抵抗権の主張や宗教的寛容など、ロックを単なる自由主義者や経験論者といった単一の枠組みによって組み立て理解してしまう伝統的ロック像の解体と再構成。単純な決めつけを回避して、多面的で複雑な構造を持つロックの思想のあぶり出し。(3)挫折。「人間知性論」(1688年)から「キリスト教の合理性」(1695年)の間での神学的道徳規範の確立の挫折に伴うロックの思考の変化など、ロックの思想を直線的に定式化せず、時系列での思想の挫折変化、ロックの思索の戦術的転回を押さえる。

以上のような従来のロック理解の乗り越えを目する方法論に基づき、著者はロックの思想を2つの系譜に分ける。(1)政治=寛容論の系譜と(2)認識=道徳論の系譜である。そして前者の政治=寛容論は第三章の「政治と宗教」にて、後者の認識=道徳論は第四章の「生と知」で詳細に検討される。

その上で最後に「エピローグ・ロックからの問い」として、今日の私達が改めてロックから学んで生(い)かすべき「ロックの思想の現代的意味」を次の5点挙げて本新書は終わる。

(1)政治に対する人間の優位の確認(世俗政治に対する人間作為の優越と人間主体の確立)、(2)政治の成立条件への示唆(人間間の権利をめぐる紛争を統治権力により法的に解決し、平和的な共存状態を不断に作り出す政治の作用)、(3)寛容の主張(宗教的寛容の主張、信教の内面的自由の保障。宗教党派を政治化させ、政治を宗教化させるような紛争の防止)、(4)生と知とを結びつける思考様式(信仰の生の存在論と哲学の知の認識論とを統合しようとした思考様式)、(5)理性の限界と有用性との自覚(人間が持つ理性の限界の自覚、それゆえ限られた未来を予測し現在の行動を合理的に決定する人間の理性能力の有用性の主張)

ジョン・ロックは、イギリスのピューリタン革命・名誉革命時の人であり、彼は宗教心が厚くキリスト教信仰に深くのめり込んだ人であった。ロックの思想は後のアメリカ独立革命やフランス革命の革命の原理的思考に多大な影響を与え、自然法や所有権や契約論の非宗教で、もっぱら理性主義的な合理性の文脈にてロックの著述は後の時代の人々に広く読まれたけれども、少なくともロックが生きた時代はピューリタン革命のそれであり、当時の人々は宗教心を無視して生きられるような時代ではなかったし、ロックその人も政治論や哲学認識論を展開させるに当たり、キリスト教の宗教なしではすますことは出来ない人であった。

よって、ロックに関してはキリスト教信仰の宗教的立場を堅持しながら、しかし時代が徐々に非宗教の世俗的な近代社会に移行していく過渡で、従来的な神への信仰破綻なく同時に新しい時代の政治権力や市民社会や産業経済のあり方への架橋の道筋をいかにしてつけるか、その奮闘に著者の加藤節が本書にて指摘する所の「ロックにおける宗教性、複雑性、挫折」の3点があったと読むべきであろう。この意味で前時代からの宗教心が厚く神を信仰し、かつ新たな時代の政治哲学、世俗の人間の学問にも同様に熱心に取り組んだロックをして、岩波新書「ジョン・ロック」のサブタイトルが「神と人間との間」というのは絶妙である。

著者の加藤節は東京大学法学部出身で、東大の政治学者、福田歓一の弟子である。その福田歓一は元東大総長の政治学者・南原繁の弟子であるから、加藤節は南原繁の孫弟子ということになる。若い頃の加藤は晩年の南原に師事し南原の近くにいて、よく南原を見ていた。だから「南原繁回顧録」の新書版のような岩波新書「南原繁」(1997年)を加藤節は後に執筆している。

岩波新書の加藤節「ジョン・ロック」は、良くも悪くも南原繁と福田歓一の政治学史におけるロックの読みを踏襲している。本書を読んで「なるほど、そうかもね」と感心同意する箇所もあれば、「いや、それは違うだろ」と正直思う部分も私にはある。ロックにおける政治的作為の主体確立、世俗的政治への悪の認識の発見、普遍主義への志向、宗教(思想)的寛容の高評価に力点を置いた加藤節のロックに対する読みを見るにつけ、やはり「良くも悪くも、この人は南原と福田の正統な弟子なのだ」という思いがする。

南原が東大法学部でやった政治学史の講義録に南原繁「政治理論史」(1962年)、南原が退官後に師の南原を引き継いで福田が法学部の政治学史のコマでやった講義を収めたものに福田歓一「政治学史」(1985年)がそれぞれある。いずれも戦後日本の政治学研究の名著である。それらのロックに関する項も同時に読むと岩波新書の赤、加藤節「ジョン・ロック」はより深く味わって読めるに違いない。