アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(222)神谷美恵子「生きがいについて」

(今回は、神谷美恵子「生きがいについて」の書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、神谷「生きがいについて」は岩波新書には入っていません。)

みすず書房「神谷美恵子著作集」全10巻にての、神谷美恵子の公式紹介文は次のようになっている。

「著者は津田英学塾在学中にキリスト教の伝道者であった叔父にさそわれて多摩全生園を訪れ、はじめて『らい』(ママ、註─ハンセン病)の存在を知った。同じ世に生をうけて、このような病に苦しまなくてはならない人びとがあるとは、いったいどういうことなのか。心の深いところで自分の存在がゆさぶられるような衝撃をうけた著者は、できることなら看護婦か医師になってこの人たちのために働きたいと願った。そして周囲の反対にも辛抱づよく時を待ち、ようやく医学部に進学を許されたその女子医専時代の夏休みに、長島愛生園をたずねて『なぜ私たちでなく、あなたが?あなたは代って下さったのだ』と詩に書いている。現実生活の荒波や自身の病をのり越えてその初志を貫いた著者は、終生を実践活動にささげた。…患者さんに接している間に、同じ闘病者のなかで半数以上は希望を持っていないが、しかし少数の生きがいを感じる人びとを見いだした。著者にとって前からの関心であった生きがいの問題がこれを契機に深められることとなる」

このように神谷美恵子の「生きがい」に関する思索は、病に苦しむハンセン病患者に接した際の彼らの問題として最初にあったわけだが、後の神谷美恵子「生きがいについて」(1966年)の著作を読むと、ハンセン病患者の話は前面に出てこず、全ての人にとっての一般的な「生きがいについて」の生きる意味の模索の考察になっている。この辺り、著者の神谷美恵子ないしは担当編集者の機転のなせる技(わざ)か。多くの人に本書を読ませる書き方の戦略が優れている。ハンセン病患者における「生きがい」問題にあえて限定せず、現代社会に生きるすべての人々にとっての「生きがいについて」一般化して述べているのだ。

そう、本書が初版の1966年の時点で日本の社会は敗戦から20年が過ぎ「もはや戦後ではない」、人々は当面の衣食住には困らない物質的に豊かな生活を手に入れられるようになっていたが、その反面で「自分はなぜ生きるのか」自身の存在価値(レゾンデートル)問題の難問に多くの人が突き当たり、精神的餓(う)えの「生きがいについて」の悩みが台頭してきていたのだ。そうした時代の流れに神谷美恵子「生きがいについて」は見事に乗った。初版当初から神谷の「生きがいについて」は広く読まれた。それから神谷「生きがいについて」は、いつの時代でも人気である。現在でも神谷美恵子のファンの愛読者は多い。その人気の秘密は人々の生きる意味に関する社会不安の時代の流れに乗って、ハンセン病患者のそれにあえて限定しない、人間の「生きがいについて」一般的に幅広く執筆しまとめた神谷の周到な書きぶりにあった。

神谷美恵子「生きがいについて」には、実は「問題・理念・方法」の各提示の3つの極点があり、それらが相互に結び付いて三角形を構成するように立体的に飛び出す形で、かつその三極について、それぞれの内容が細かに幾つも羅列される形式で組み込まれてある。その三極とは「生きがいをうばい去るもの(問題)」「生きがいを感じる心(理念)」「新しい生きがいの発見(方法)」である。例えば「生きがいをうばい去るもの」の問題原因に関し、内容を開いて展開させ具体化すると「破局感と足場の喪失」「価値体系の崩壊」など幾つかの項目が列挙できるという仕組みである。そうしてそれら各項目に関し、著者の神谷が昨今の時事問題や自身の診療経験や心理学理論の紹介や文学作品からの引用を便宜なし、話を膨(ふく)らませて「生きがいについて」の議論を前に進めていくという一貫した手順を取る。

以下、神谷美恵子「生きがいについて」における3つの基本の極点とその具体的内容を全て書き出し列挙してみる。各項目に重複もあり長く煩瑣(はんさ)なものになるが、それは省略せずに全部挙げることで本書をごまかしなく俯瞰(ふかん)して一気に読み切れた感触を調達したいためだ。

「生きがい喪失者の心の世界」─(1)破局感と足場の喪失、(2)価値体系の崩壊、(3)疎外と孤独、(4)無意味感と絶望、(5)否定意識、(6)肉体との関係(心身の不調、心と体とのばらばらになる傾向)、(7)自己との関係(自己に対する深刻な嫌悪の泥沼)、(8)不安、(9)苦しみ、(10)悲しみ

「生きがいのさまざま」─(1)生存充実感への欲求をみたすもの。(2)変化と成長への欲求をみたすもの。(3)未来性への欲求をみたすもの。(4)反響への欲求をみたすもの。(5)自由への欲求をみたすもの。(6)自己実現への欲求をみたすもの。(7)意味への欲求をみたすもの。

「生きがいの特徴」─(1)ひとに「生きがい感」をあたえる。(2)生活をいとなんで行く上の実利実益とは必ずしも関係がない。(3)「やりたいからやる」という自発性を持っている。(4)まったく個性的なものである。(5)生きがいは、それを持つひとの心にひとつの価値体系をつくる。(6)生きがいは、ひとがそのなかでのびのびと生きていけるようなそのひと独自の心の世界をつくる。

「新しい生きがいを求めて」─(1)運命への反抗から受容へ、(2)苦しみとの融和、(3)肉体との融和、(4)過去との対決、(5)死との融和、(6)価値体系の変革

「新しい生きがいの発見(生存目標の変化の様式として)」─(1)同じ形での代償、(2)変形、(3)置きかえ、(4)心の構造の変化、(5)ひろがりの変化(社会化・歴史化)、(6)心の奥行の変化(精神化)

「精神的な生きがい」─(1)認識と思索のよろこび、(2)審美と創造のよろこび、(3)愛のよろこび、(4)宗教的なよろこび

「生きがい獲得における変革体験の特徴」─(1)歓喜と調和の感情、(2)強い肯定意識(小我を捨てて大我に生きる)、(3)使命感(生かされていることへの責任感)

長い引用のまとめとなったが、「問題・理念・方法」の三極に分けて、これだけの各項目が神谷「生きがいについて」には詳細に書き入れられている。「神谷美恵子も、いちいちカテゴリー別に分けてそれぞれに細かくよく考えたものだ」の感心の思いを私は持つ。「生きがいは人間にとって大切であることに相違ないが、人間の生きがいを阻害するものは何なのか」、ないしは「そもそも生きがいとは何か」、さらには「どうしたら生きがいが得られるのか」の各問いに即座に答えられ対応できる図式になっている。

これは心理学の認知療法に似ている。例えば感情過多のヒステリーやノイローゼに訳もなく苦しむ患者に対し、「なぜ自分はそうした病理の心的状態に至るのか」自身の生活環境や生い立ちや自分の性格・資質をカウンセリングを介して分析し言葉で認識し理解できれば、無意識下の抑圧にある感情・欲望・性癖を制御(コントロール)でき、病状は快方に向かう。とにかく無意味に苦しまず自暴自棄にならずパニックにならず、認知を通して現状を理性的に理解するよう促すのである。

神谷美恵子「生きがいについて」も、生きがい喪失で絶望感や虚無意識に苛(さいな)まれている人がいれば、先に引用の神谷の記述の指標を読んで認識理解して、「生きがいをうばい去るもの」は「否定意識」、逆に「生きがいを感じる心」は「生存充実感の欲求」と知ってその方向に自身を誘導してやると、「生きがい喪失の泥沼に陥らずに生きがいを実感できる」ことに原理的に一応はなる。しかしながら現実はなかなか難しい。実際の認知療法でも、例えば依存症(アルコール、過食、薬物、ギャンブル、自傷行為、他者への暴言暴力など)の患者に言葉で自己の無意識下を意識化し認知させ諭(さと)しても依存の症状は治(おさ)まらない。例えばアルコール依存症の患者は「飲酒が自分にとっての何らかの逃避や代償行為になっていること、酒が身体によくないこと、過度の飲酒により人間関係も崩壊し人生の損失が大きいこと」を道理の言葉で分かってはいる。しかし、やはり当人は酒を飲み続けてしまう。

それと同様で「生きがいについて」も、いくら精密にカテゴリー分けして項目別に子細に羅列し「生きがいについて」言語を介して認知し理解できていても、結局は書籍に記された紙の上の言葉の知識でしかなく、「生きがい」のある生活や人生をその人が必ずしも送れるとは限らない。むしろ書籍で読んで言葉で「生きがい」を理解するよりは、何らかの劇的な経験をし言葉ではなくて「これが生きがいというものか!」と全身の感覚や感情から一瞬にして腹の底から肌身に感じ身に染(し)みて感得することもある。

そういった意味からして、神谷美恵子「生きがいについて」を読んで「生きがい」獲得を追求している読者諸君、書物を読んで読書を通じて言葉を介して物事を知ることの何と虚(むな)しいことよ。あなたもそう思わないか。