アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(233)堤未果「(株)貧困大国アメリカ」

堤未果が現代アメリカの病理をえぐる渾身(こんしん)のルポタージュ「貧困大国アメリカ」は、三部作構成で岩波新書から出ている。「ルポ貧困大国アメリカ」(2008年)と「ルポ貧困大国アメリカⅡ」(2010年)と「(株)貧困大国アメリカ」(2013年)である。それぞれに好評人気で近年の岩波新書の中では相当に読まれているらしい。

堤未果「貧困大国アメリカ」シリーズを順次通読して、世上の高評価の人気ぶりに私も納得だ。なるほど面白い。現実のアメリカの病(やまい)の惨状(さんじょう)が、紙面を通してうかがい知れる。正確に言えば文字通り「面白い」わけでは決してない。「貧困大国アメリカ」の現実を知って少しも愉快にも元気にもならない。だがしかし、昔から現代社会の問題矛盾をえぐる秀逸なルポタージュやドキュメンタリーというのは、読んで現実の残酷すぎる不条理な問題を知って読み手は圧倒され困惑し憂鬱(ゆううつ)になり時に怒り、文字通り愉快の爆笑で「面白い」ことは何らないが、書籍を通じて現実社会の惨状を知り、問題意識を持ち深めて社会への見方が当人の内面で変わり、つまりは一周まわって「結局は面白い」になってしまうものなのだ。古今東西、優れたルポタージュやドキュメンタリーのレポート(報告)というのは、いずれもそういった「一周まわって面白い」の屈折した複雑な面白味を見せるものである。

堤未果「貧困大国アメリカ」は最初の一冊目よりも続編の二冊目のほうが、続編の二冊目よりも最終作の三冊目のほうが、よりよく書けていると私には思えた。新書ルポを書き継ぐにつれて著者の書きぶりがこなれてきているように感じられるからだ。また本シリーズはルポタージュであり、「貧困大国アメリカ」の各現場からの報告になっているが、それら時事問題のトピックを選択しレポートする著者の理論的立場を押さえておくことも必要であろう。毎回、各冊各章にて報告される現実問題のニュースを読むことだけに終始してはいけない。こうした観点からシリーズ最終作「(株)貧困大国アメリカ」の巻末「あとがき」は、本シリーズ・ルポの総括のまとめになっており、岩波新書「貧困大国アメリカ」三部作の読みの指針として大変に有用であると思うので、ここでその概要をまとめてみる。

「経済が、すさまじい勢いで人類史のしくみを動かしている」。こうした書き出しにて「あとがき」は始まる。それから、一冊目の「ルポ貧困大国アメリカ」で報告したブッシュ政権の政策は、市場こそが経済を繁栄させるというフリードマン理論がベースになっていた。政府機能が小さければ小さいほどいいとして規制緩和を進め、教育や災害、軍隊や諜報機関など、あらゆる国家機能を次々に市場化していくやり方だ。だが「経済徴兵制」が支えた二つの戦争で急上昇した戦費と企業減税で国内の格差が一気に拡大、さらに世界中を巻き込んだアメリカ発の金融危機にレーガン政権以降の新自由主義万能説への批判が高まった。その不信感は2008年の政権交代につながり、「チェンジ」を掲げるオバマ政権下では、経済政策の軸を市場に委ねる「小さな政府」から政府主導で経済再建を目指す「大きな政府」へと移っていく。

ところが、二冊目の「貧困大国アメリカⅡ」でレポートしたように、オバマ政権下では国民を監視する政府権限が真っ先に強化され、巨額の税金が大企業やウォール街に流れる一方で、公務員の行動は管理され、SNAP(アメリカ政府が低所得層や高齢者、障がい者や失業者に提供する食料支援プログラム)人口は拡大し、無保険者に民間医療保険加入を義務づける法律が成立した。オバマ政権にて市場万能主義の「小さな政府」を脱して政府主導の「大きな政府」による経済再建が目指されたはずなのに、国民の経済格差の二極化がますます加速しているのはなぜだろう。

そこで民主党が批判した「ブッシュの新自由主義」と、共和党が批判した「オバマの社会主義」での結果が同一の「貧困格差の広がり」の問題原因を三冊目の「(株)貧困大国アメリカ」にてレポートする。そうして「いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み『コーポラティズム』(政治と企業の癒着主義)にほかならない」と著者は指摘する。さらに続けて、

「グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を超えて拡大するようになった。価格競争のなかで効率化が進み、…あらゆるものが多国籍化されてゆく。流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。その結果、無国籍化した顔のない『1%』とその他『99%』という二極化が、いま世界中に広がっているのだ。巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団が、…業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引きかえに、企業寄りの法改正で『障害』を取り除いてゆく。コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだろう」

つまりはこういうことだ。グローバル経済の浸透による多国籍企業の価格競争の中で、先進国と発展途上国の間のかつての南北格差の問題は現象的に解消し、今度は南北地域の濃淡を問わず、途上国のみならず先進国内でも貧困格差の顕著な二極化が見られるようになった。そうして多国籍企業は、さらに効率化と拝金主義にて献金や天下りと引きかえに、やがて政府と癒着し(コーポラティズム!)、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する形で国家による公的なサーヴィスを民営化して市場の論理で「合法的に」乗っ取っていく。あらゆるものが巨大企業にのまれ、株式会社化が加速する。ゆえにルポ三冊目の完結編のタイトルは「(株)貧困大国アメリカ」なのである。

結果として食、教育、医療、暮らしの人間の生存生活に最低限必要なものまでが市場化され、経済の金儲けの論理で一律に処理されてしまう。そこでは当然、市場の論理が貫徹するから金がない貧しい者は、それら最低限の生活保障サーヴィスにさえリンクできず「自己責任」で放置されていく。こうした本来は福祉国家で公共サーヴィスとして万人に保障されるべき、本当は経済の論理にて処することができない事柄まで企業が金銭を絡(から)めて利潤を求める市場万能主義の行き着く先は、過酷な自由競争にて淘汰される大勢の敗者と一握りの勝者、より激しい貧富の格差の二極化である。すなわち「無国籍化した顔のない『1%』とその他『99%』という二極化が、いま世界中に広がっているのだ」。常識的に考えて無国籍化した顔のない勝者で富者な「1%」は本当に限られたわずかなごく一部の極めて少人数の人達でしかないのだから、その他「99%」である世界中のほとんどの人々が、アメリカならばほぼ全国民が敗者の貧困に沈められているといってよい。だから現在のアメリカは著者から言わせれば「貧困大国アメリカ」なのだ。このような「貧困大国アメリカ」の「1%vs99%」という極端な二極化の驚愕構図、しかも圧倒的に99%が貧困なのであるから実質的には世界の人々の総貧困化がアメリカ発で各国に広がりつつある、と著者は警鐘を鳴らす。

岩波新書「貧困大国アメリカ」三部作を読むにつけ、著者の堤未果という人はジャーナリズムの取材報告文書の書き方を会得した非常によくできた優秀な人であると思う。現代社会の問題矛盾を明らかにするルポタージュやドキュメンタリーにて取材を通しての問題指摘だけでは不十分であり、必ずその後に報告者なりの改善や解決の方向性を示す必要がある。こうした書き方教授は、高校生の小論文指導でも大学生のレポート・論文指導にても定番の定石(じょうせき)だ。

「(株)貧困大国アメリカ」巻末にて、著者は多国籍企業のコーポラティズムの公共サーヴィス乗っ取り民営化による果てしのない酷薄な市場化、その結果としての効率化と拝金主義の過当競争による貧困格差の二極化、いわゆる「1%vs99%」の驚愕構図の問題を指摘した後に、2013年にEU議会にて蜂を殺す農薬、ネオニコチノイドの禁止をめぐり、市民らが署名を集め抗議デモを繰り返し政府に訴えて農薬産業界を屈服させた事例を紹介している。そして、以下のように述べて巨大多国籍企業の市場の金儲けの欲の論理に対抗する、人間らしい生き方を志向する人々の連帯の必要性を説くのであった。ルポタージュの書き方作法として誠に周到である。

「人間らしい生き方をすると決めた『99%』の意思は、欲でつながる『1%』と同じように、国境を越えてつながってゆく」

岩波新書の赤、堤未果「貧困大国アメリカ」シリーズは、遠い国のアメリカの出来事として「対岸の火事」的に読むのではなく、他ならぬ日本人の著者が日本の読者に向けて日本語で書いた報告ルポであるから、これは「貧困大国アメリカ」同様、現に日本でも同時進行している事態、ないしはこの先の日本社会にても現実に起こりうる事態として日本のことに引き付けて読むべきだ。それが「貧困大国アメリカ」三部作の正統な読み方である。事実、著者の堤未果も書いている。

「現象だけでなくその根幹にある原因を探っていくと、いまのアメリカの実態経済が、世界各地で起きている事象の縮図であることがわかる。経済界に後押しされたアメリカ政府が自国民にしていることは、TPPなどの国際条約を通して、次は日本や世界各国にやってくるだろう」