アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(246)宮城音弥「超能力の世界」

岩波新書の黄、宮城音弥「超能力の世界」(1985年)の概要はこうだ。

「物理的な力を加えずに物体を動かしたり曲げたりする超能力とか念力とかいわれるもの、またテレパシーや透視、未来の予知などが、よく人びとの口にのぼる。これらの超能力現象については、どんな科学的研究や合理的解釈がなされてきたのか。心理学の立場から、諸外国の著名な研究を例にあげつつ、今までの研究成果を概括する」(表紙カバー裏解説)

本書は「心理学の立場から、現代の一般的な深層心理学では解き明かせない超心理学の『超能力の世界』を諸外国の著名な文献を参照し概括する」内容である。その際、心理学専攻の学者で医学博士でもある著者の宮城音弥は「超能力の存在」に対し、以下のような慎重な立場を貫く。

「証明なくしては何物をも容認せず、アプリオリ(先天的)に何物をも否定せず」

本新書にてまず有益なのは「超能力の世界」について、著者が最初にカテゴリー分けを周到に行い、その上で後に各分野別にその詳細を検討している所だ。その際、それぞれの超能力現象に関する諸外国の文献資料を豊富に引用紹介している。超能力についての人々の関心は昔から非常に高く、ヨーロッパにて1900年初頭から超能力現象の真偽を見極める、超能力に否定的な科学者と中立の見届人とを配した公的実験、後のメディアを介しての「超能力者vs科学者」の公開対決のようなフォーマットがかなり昔から出来上がっていたことに私は驚く。以下、本書冒頭にある超心理学の領域一覧を挙げてみると、

「超心理学の問題=(A)死後の世界(特異体験、霊媒、憑依(ひょうい)現象)、(B)超能力現象─(a)遠隔現象─(1)テレパシー(遠隔感応。遠方にいる他人の体験が感覚器官を通さずに伝達される)、(2)透視(感覚器官を通さずに物の認知がなされる)、(3)物体直観(物体によってその所有者などを直観する)─(b)念力─(1)精神的遠隔操作(遠方のものを精神的に動かす)、(2) 反復異様現象(音響)またはポルターガイスト(反復して異様な音響などが出現する)、(3)念写または超能力写真(精神力で写真をとる)─(c)予知(未来を予知する)」

本新書の全体的な議論のトーン(基調)は、現代の科学合理主義の立場から超能力現象を心理的錯覚やペテンの詐欺として超越的に完全否定するものではなく、かといって逆に科学万能主義への懐疑や心理学に対する限界の意識から「科学では合理的に説明できない超能力現象は確かに存在する。現代科学が万能というわけでは決してない」と戒(いまし)めるオカルト言説に走るものでもない。著者の宮城音弥は直接的に明確に書いてはいないが、本書の「結語」までを読むと、中には明らかにペテンで詐欺の自称「超能力者」(つまりはパフォーマー)もいるが、それらを排しても超能力の存在を認めないわけにはいかない幾つかの文献事例は確実に残る。すなわち、世間一般に数多くある「超能力」と称されるもののうち、そのほとんどが何らかのトリックによる詐欺や心理的錯覚などであるが、中にはどうしてもペテンの暴露や科学的解説や心理的錯覚や確率論的策術の次元では到底説明がつかない現象があって、「多少なりとも超心理学の超能力が実在することは確か」とする著者の控えめな結論は読み取れる。

宮城音弥は心理学者であるから、トリックによる「超能力」詐欺について、自称「超能力者」の当人や関係者らが世間の耳目を集めるため、もしくは金銭目的で画策する「意識的な詐欺」と、科学合理主義が支配する現代社会への素朴な反感や同伴者らが自称「超能力者」を何らかの理由で神的に崇拝していることに由来する「無意識的な詐欺」とがあることの指摘は、「なるほど」と感得させるものがあり非常に優れている。特に後者の「無意識的な詐欺」の場合、自称「超能力者」とその同伴者には元々世間をだます悪意や罪悪感が皆無で「超能力は存在する、彼こそは他ならぬ超能力者だ」と純粋に信じきっているため、いわば彼の周りの支持者の皆が熱狂的陶酔のトランス状態に入っており、ゆえに「無意識的な詐欺」における自称「超能力者」とその同伴者の事例の場合、「意識的な詐欺」に比べて、それが「超能力」現象であると集団催眠的に錯覚されやすいという。超心理学現象に対し、こうした心理学的カラクリの面を指摘した本新書での「意識的サギと無意識的サギ」の章の記述は特に読むべきものがある。

最後に「超能力の世界」に対する私の立場は、もちろん完全否定はしないけれども果てしなく懐疑的であり、どこまでも否定的だ。自称「超能力者」たちによるトリックのペテンや、必ずしも「超能力」の発揮が毎回安定して成功しない事例は岩波新書「超能力の世界」を一読してもらえば明白であるし、また昔に「スパイ大作戦」(1966年)というアメリカの秀作テレビドラマがあって、そのなかで描かれていた「超能力」トリックに以下のようなものがあり、私には非常に印象深い。

例えば(B)の「超能力現象」の内の(c)の「予知」に関し、事前に仲間がターゲットとなる人物の車に爆薬を仕掛けておいて、自称「超能力者」が未来の「予知」をやり、「爆発の不吉な兆候が見えます」などともっともらしく予言する。案の定、仲間が事前に仕掛けておいた爆薬が後に爆発し「予言は見事に的中」、ペテンの自作自演な「予知」のおかげで九死に一生を得たターゲットはその自称「超能力者」の「予知」能力をまんまと信じてしまう。

例えば(A)の「死後の世界」について、死者と交信でき自身の肉体を介し死者の霊を「憑依」させ死者の言葉を語る自称「霊媒」のトリックにて、炎に包まれて焼死した夫の霊が降霊会にて「霊媒」の口を借り、決して第三者には知り得ない夫婦二人の間にしか共有されていない秘密の情報を語る。それで霊魂の存在を信じている迷信深い未亡人は、夫への思慕からその自称「霊媒」のペテンを完全に信じてしまう。「今まさに亡くなった夫の霊が死後の世界から降りてきて、霊媒の口を借り私に話しかけているのだ」と。しかしながら本当は焼死したはずの夫は実は生きており、つまりは焼死体は夫と容姿体格の似た別人の遺体であって、自称「超能力者」の「霊媒」の一味が密(ひそ)かに夫を監禁し拷問して彼の口から夫婦間の秘密の情報を聞き出し、生きている夫から事前に聞き出した秘密の情報を降霊会にて、あたかも降霊現象により死者と実際に交信しているような巧(たく)みな「憑依」芝居にて「霊媒」が語り、未亡人をまんまとだましていたのだった。

岩波新書の黄、宮城音弥「超能力の世界」で紹介されている意識的ないしは無意識的詐欺や心理的錯覚や統計確率論的策術や毎回安定して成功しない「超能力」遂行の文献事例に加え、こうしたテレビドラマにて描かれる「超能力」トリックも知るにつけ「超能力の世界」に対する私の立場は、もちろん完全否定はしないけれども、やはり果てしなく懐疑的であり、どこまでも否定的にならざるを得ない。