アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(259)鹿野政直「岩波新書の歴史」

岩波新書の赤、鹿野政直「岩波新書の歴史」(2006年)は、同赤版の岩波書店編集部「岩波新書をよむ」(1998年)の続編に位置するような新書だ。前書「岩波新書をよむ」では1998年までの総目録掲載で中断していたものが、本書「岩波新書の歴史」では「付・総目録1938─2006」とサブタイトルにあるように、1998年以降から2006年までの目録が新たに追加されてある。そうした鹿野政直「岩波新書の歴史」の概要といえば、

「1938年に創刊された岩波新書は、それまでの学術・古典を中心とした岩波書店の出版活動に、現代への視点という新たな方向を打ちだしたものであった。以来、赤版、青版、黄版、新赤版と装いを変えながら、2500冊余を刊行してきた。時代に鋭く切りこんだ話題作をはじめ、定評ある教養書等を生みだした、そのあゆみを概観する」(表紙カバー裏解説)

以前の「岩波新書をよむ」が岩波新書創刊の1938年から60年の記念の節目の1998年発行で、その時までに刊行された総目録が2000冊余りだったのに対し、今回の「岩波新書の歴史」の2006年時点では新書総数が2500冊余になっている。1998年から2006年までの、わずか8年間で500冊が新たに刊行されているわけである。この出版数は昔の「岩波新書の歴史」を顧(かえり)みると隔世の感があり、誠に感慨深い。

1938年の創刊から始まり今日までに至る長い「岩波新書の歴史」にて、その困難の苦境の時期は間違いなく1945年前後の日本の敗戦時にあった。「岩波新書をよむ」ないしは「岩波新書の歴史」に掲載の総目録にて1945年前後の出版状況を見ると、1943年で赤版の橘樸(たちばな・しらき)「中華民国三十年史」の1冊のみ。1944年には荒川秀俊「戦争と気象」とメチニコフ「近代医学の建設者」のたった2冊だけ。1945年の敗戦の年は刊行なし。敗戦翌年の1946年は、羽仁五郎「明治維新」と矢内原忠雄「日本精神と平和国家」と近藤宏二「青年と結核」のやっと3冊の刊行にこぎつけるも、翌年の1947年と翌々年の1948年はまたもや刊行なし。そうして1949年に赤版から青版に移行し年20冊以上の通常刊行ペースとなり、戦後に岩波新書はやっと本格的に復活を遂げるのであった。

戦中の岩波新書の赤、橘樸「中華民国三十年史」(1943年)は、当時の大日本帝国の中国大陸侵出の国策に沿った内容書籍であり、満州事変での関東軍の行動を支持して「王道論」を唱え、満州国樹立を理論面から支援し続けた橘による「いかにも」な日本人寄りの、中国人を軽視した完全に日本人本位で日本国にとってのみ都合のよい噴飯物の「中華民国史」であるし、翌年の敗戦前年に至っては、荒川秀俊「戦争と気象」(1944年)とかメチニコフ「近代医学の建設者」(1944年)の暗に戦争協力の「気象」か、もしくは戦局とは無関係の無難な「医学」の書籍しか岩波新書は、もはや出せなくなっていた。

いよいよ追い詰められた十五年戦争末期の連日の本土空襲により、国民一般は書店に行って書籍を購入し読書するような生活環境になく、この時期には国家当局による出版統制の思想検閲は、より狂信的に苛烈を極めていたであろうし、かつては戦時でも羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」(1939年)やウェルズ「世界文化史概観」(1939年)など、芸術論や世界文化史の外面的体裁を借りながら実は中身が確固とした、戦争に邁進する現実日本の挙国一致内閣の近代天皇制国家に対する痛烈批判になっており、検閲の国家当局は気づかないけれど、読む人が読めば著者や訳者の執筆意図や岩波新書編集部の刊行本意が分かるような、戦時下抵抗の余力も1945年前後の岩波新書には残っていなかった。瀕死の状態であり、まさに「傷だらけの」戦時下日本の出版文化であって、「岩波新書の困難の苦境の時期は間違いなく1945年前後の日本の敗戦時にあった」といえるのである。

1938年の創刊から2000年代以降の現在に至るまでの長い「岩波新書の歴史」たる刊行新書の総目録を見るにつけ、敗戦前後の苦境の時代と今日の出版盛況のそれとの対比(コントラスト)が明確に意識され、私には感慨深い。

さて、鹿野政直「岩波新書の歴史」は、本書刊行時点での最新版の総目録と、これまでの「岩波新書の歴史」を書籍タイトル通り振り返る内容の二部構成になっている。本新書は前著「岩波新書をよむ」を踏まえて作られている。前回の「岩波新書をよむ」が全29のテーマに分けて多数の識者が歴代岩波新書の中から推薦書籍を雑多に挙げるテーマ別の領域横断的なものであったのに対し、今回の「岩波新書の歴史」は一人の著者による、これまでの岩波新書「赤版、青版、黄版、新赤版」の各歴史をじっくり振り返る時系列な内容になっている。すなわち「岩波新書の歴史」の著者・鹿野政直の章立てによれば、

「第1章・文化建設の一兵卒として─赤版の時代。第2章・国民大衆に精神的自立の糧(かて)を提供せん─青版の時代。第3章・戦後はすでに終焉を見た─黄版の時代。第4章・新世紀につながる時代に対応したい─新赤版の時代」

にそれぞれなるのであった。

私が本書「岩波新書の歴史」を最初に手にした時に驚いたのは、こうした岩波新書に関する総論概観的なものを鹿野政直の一人の執筆によりなしたということだ。時系列の歴史で歴代岩波新書を順次読んでいくという企画趣旨と論述内容からして本書は、同じく岩波新書の小森陽一・成田龍一・本田由紀「岩波新書で『戦後』をよむ」(2015年)と同様であり、読後の読み味も似ている。通常、こうした回顧な大型企画の新書は一人でやらずに複数人による寄稿や座談の形式でやるものだ。それだけに本新書は、鹿野政直その人に対する岩波新書編集部からの信頼の厚さを感じさせる。

それは岩波新書と鹿野政直の思想的立ち位置が同一であるからに他ならない。日本の戦後民主主義は、朝日新聞社と岩波書店とが文化的支柱をなした朝日岩波文化とよく言われるけれど、ここで「戦後民主主義」=「朝日岩波文化」の理念を「国家の恣意的な行き過ぎた権力行使に限界を付し制限していく」ことと、とりあえず簡略に私は定義しておきたい。このことは直近の戦前、日本近代史にて天皇制国家の日本の国体が「神聖な」価値源泉を体現し、どこまでも専制的・絶対的に国民のあらゆる生活領域(政治、教育、道徳、宗教、メディアなど)にて幅を利かせ権力行使を遺憾なく無制限的に発揮していたことへの深い反省に由来していた。だからこそ、日本の戦後民主主義の理念は「現存国家の恣意的な行き過ぎた権力行使に限界を付し制限していく」ことであったのだ。

そうして本新書を始めとして、近代日本思想史研究専攻の鹿野政直の他著も併(あわ)せて読むと分かるが、その対政治権力の国家観において、鹿野も「国家の恣意的な行き過ぎた権力行使に限界を付し制限していく」権力制限の戦後民主主義的理念を岩波新書と同様、有していた。例えば「国家は、自明の存在としての位置から、不断に問われる存在としての位置へと変わっていった」(185ページ)とする、本書にての鹿野の対国家への制限を付する「不断」の問いは象徴的だ。だからこそ「岩波新書の歴史」という企画を鹿野政直一人の執筆に岩波編集部は託(たく)したのだと私は得心して、鹿野「岩波新書の歴史」を読んでいた。

それにしても感嘆するのは、鹿野政直その人の能力の高さである。この人は近代日本思想史の専攻で早稲田大学にて教鞭をとっていて、最初は日本の近代化論やナショナリズム分析や頂点思想家の福沢諭吉研究をやっていたが、後に女性史と沖縄史の民衆史の方へ転回していった。しかし、他方で日本近代史の概説的な仕事も一貫して連続的にやっており、例えば鹿野「近代日本思想案内」(1999年)は、非常によくできた近代日本思想史についての概説名著である。鹿野政直をして、赤版「岩波新書の歴史」のような大きな企画書籍を一人で上梓するとは、「この人は相当に優秀な人だ」と私はただただ感心する他ない。