アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(270)柳広司「二度読んだ本を三度読む」

岩波新書の赤、柳広司「二度読んだ本を三度読む」(2019年)は、岩波書店の月刊誌「図書」(2017年10月号から2019年2月号)で毎月一作品ずつ、小説もしくは戯曲を取り上げ、若い読者にとっての「初読み本」ガイド、ないしは年齢を重ねた人達へ向けての再読機縁提供のための書評の紹介本である。

新書タイトルの「二度読んだ本を三度読む」というのは、世の中には書籍があふれているが、著者にとってたいていの本は一度読んでそれきりになる。二度読むに値する本に出会う確率は極めて低い。希少である。だから、また読み返す。ゆえに「二度読んだ本は必ず三度読む」という理屈になる。そうして著者の柳広司にとって「二度読んだ本を三度読む」に取り上げた書物は、「すべて私が三十歳までに読んだ(初読)ものばかりとなった」という。本新書で語られている書籍は以下の18作品である。

「月と六ペンス」サマセット・モーム、「それから」夏目漱石、「怪談」小泉八雲、「シャーロック・ホームズの冒険」コナン・ドイル、「ガリヴァー旅行記」ジョナサン・スウィフト、「山月記」中島敦、「カラマーゾフの兄弟」フョードル・ドストエフスキー、「細雪」谷崎潤一郎、「紙屋町さくらホテル」井上ひさし、「夜間飛行」サン・テグジュペリ、「動物農場」ジョージ・オーウェル、「ろまん燈籠」太宰治、「竜馬がゆく」司馬遼太郎、「スローカーブを、もう一球』山際淳司、「ソクラテスの弁明」プラトン、「兎の眼」灰谷健次郎、「キング・リア」W・シェイクスピア、「イギリス人の患者」M・オンダーチェ 

本書を一読して、柳広司による「二度読んだ本を三度読む」愛読書選択に私は笑ってしまう。柳本人や関係者や柳広司ファンにお叱(しか)りを受けてしまうかもしれないけれど、あまり読書経験がない素人な自称「本好きの読書家」が、いかにも選びそうなセレクションではある。例えば中島敦「山月記」(1942年)は、昔から国語教科書に掲載されていて誰しもが学生時代に一度は必ず読む定番作品だし、山際淳司「スローカーブを、もう一球」(1981年)や灰谷健次郎「兎の眼」(1974年)は、普段あまり本を読んでない人が数少ない「愛読書」として懸命に考えてひねり出しやっと提示するような、その筋(?)では定番の書籍である。幸いなことに柳広司はセレクトしていないが、沢木耕太郎「深夜特急」全三巻(1986─92年)も普段あまり読書をしていない人が決まって「愛読書」に挙げる、その筋では有名な書だ。自称「サッカー通」の人に好きな選手を聞いたところ、「ベッカム」とためらいなく純真に即答され、「あーこの人は本当は欧州サッカー知らないな」と分かって聞いたこちらが思わず恥ずかしくなってしまうような(笑)。

だいたいプロとノンプロとに関わらず、ある程度の読書経験があって書評や批評の恐ろしさを知っている人は、例えば夏目漱石から一冊推薦本を挙げるとして、本新書の柳のように「それから」(1910年)の定番有名作品は普通、選ばない。たかだか月刊誌の連載の限られた紙面でどんなに周到にやっても、漱石の文芸批評のこれまでの蓄積の深さと裾野の広さを勘案したら、とりあえず「それから」や「こころ」(1914年)の定番有名作品は回避する。もう最初から失敗する危険性が高いからだ。少なくとも私なら書評や推薦本で漱石から一冊挙げるとすれば、「それから」は選ばない。せいぜいよくて「草枕」(1906年)とか「坑夫」(1908年)にする。案の定、夏目漱石「それから」と「こころ」を本連載にて比較し論じたところ、後日、周囲から囂々(ごうごう)たる非難の声と多くの訂正指摘の投書が著者にあったという。同様に、ドイル「シャーロック・ホームズの冒険」(1892年)を挙げるとは。ホームズはジュヴナイル(少年少女向け読み物)としてすでに多くの人に愛読されているし、またホームズ探偵譚が好きで相当に読み込んでいる熱烈なホームズ愛好家の「シャーロキアン」もいるのに柳広司、この人は無防備で怖いもの知らずである(笑)。

岩波新書の柳広司「二度読んだ本を三度読む」を読んで私は、既読のものに関し「なるほど、そういう読み方もあるか」と時に感心したり、「俺ならもっと上手に紹介文や書評を書けるけどな」と茶々を入れてみたり、未読なものに対し「この機会に是非とも読んでみたい」と思ったり、「やっぱり気が乗らないね。読む気がしない」と軽くいなしたりということになる。

例えば太宰治「ろまん燈籠」(1940年)にて、本作品に対する「だらしない作品」「甘ったるい創作」「じゃらついた小説」とする太宰の自己評価が低いのは、本作が発表された1940年の日中戦争泥沼化と太平洋戦争の日米開戦前夜の「お国のために」「ぜいたくは敵だ」の差し迫った社会情勢の時局を考慮し、芸術や文学への風当たりの強さの世間の厳しい評価を先回りして太宰が、あえて「読者に対するポーズ」から「世間の評判の口移し」で、あのような低い自己評価になると柳広司はしているが、率直に「それは違うだろ」と私は思う。「ろまん燈籠」前から太宰治には、これまでの「青春小説」の自分のスタイルを壊して次の段階に行きたい作家としての内的な創作についての葛藤が自身の中にあって、書き下ろしの「右大臣実朝」(1943年)で太宰は満を持して従来の自己スタイル脱皮の勝負をかけたけれど結局、上手くいかなかった。それで以後もこれまでの「青春小説」路線の継続を余儀なくされたため、この「右大臣実朝」前後の頃の「ろまん燈籠」も「だらしない作品」云々の低い自己評価になってしまうというのが、太宰文学に対するより深い読みの深層だ。「現役プロの小説家による太宰治への読みもこの程度なのか」と正直、私は落胆しもする。

かと思えば、「中島敦が『山月記』を書いたのは三十歳前後、五十になった著者からみれば恐ろしいことに、ほんの若者である」という中島敦の才能に対する驚きと嫉妬、「竜馬がゆく」(1962年)の大ヒットの成功で「流行作家」の地位を飛び越え、一躍「国民的作家」になってしまい、皮肉にもそのことが小説家・司馬遼太郎の筆を不自由にし以後の司馬の自由な創作を妨げた事実を指摘しての、司馬遼太郎に対する同情の共感は、同業の作家だからこそ書ける思いの入った良い文章で、岩波新書「二度読んだ本を三度読む」の著者・柳広司に対し「さすがはプロの小説家だ」と時に私は感嘆したりもする。