アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(271)筒井康隆「短篇小説講義」

私が10代の高校生だった1980年代末に筒井康隆は今より流行っていた。私も含め周りの人達は筒井「文学部唯野教授」(1989年)を読んでよく話題になっていたし、皆が筒井康隆のドタバタ・コメディに爆笑していた。

岩波新書の赤、筒井康隆「短篇小説講義」(1990年)は、私は出版当初の1990年の比較的早い時期に入手して読んだ。タイトルの「短篇小説講義」からして「文学部唯野教授」のような、作家・筒井康隆による「短篇小説講義」のパロディ講義をはさみながら、日々の編集者との攻防や同業作家との応酬や読者からのツッコミなど、これまた作家の日常のドタバタ・コメディで笑わせにかかるのかと思いきや、本新書での筒井康隆が意外に真面目に「短篇小説講義」をやるので非常に驚いた初読時の記憶がある。

初講の「短篇小説の現状」にて筒井康隆は、短篇小説家になりたい小説家志願の老若男女がカルチャー・センターや文学学校での創作講座に殺到し、古典の名作を分析実証して短篇小説の作法や技術を学ぼうとする「短篇小説のお稽古ごと化」に苦言を呈する。芸道化した短篇小説作法がお手本にしているのは古今の名作のそれだが、そうした短篇小説作法を忠実に遂行して仮に文芸誌の新人賞を獲って作家デビューできたとしても、ほとんどの人は新人賞をもらってそれっきりで終わる。後々まで作品を重ねて大成する人は、めったにいない。なぜなら小説とは、何を、どのように書いてもよい自由な文学形式であり、したがって一般に言われるように短篇小説は「人生の断面」を浮かび上がらせるように特に記述しなくてもよい。現在、小説作法と言われているものは、ほとんどが定番で画一的な方法論ではなくて、作家個別の独自性(オリジナリティ)ある体験論に支えられているからだ。

よって短篇小説作法の技術論を教えるだけでは無意味なのだが、しかし、これから短篇小説を書く人は過去作品の短編小説の理論や技法をある程度は知っていなければ全くの無から自由に書くことはできず、ゆえに本書にて「短篇小説講義」としてやれることは、今一度昔の時代に書かれた短篇小説の古典の名作や隠れた良作を、書くためのお手本としてでなく、ただ自分の鑑賞力だけを頼りに虚心に読み返すことだけである。それが本書で展開される「短篇小説講義」であり、以下いくつかの短篇を取り上げ紹介するとともに、そこでの作者の創作態度や様々な手法を探索していくことにする。「短篇小説講義」を始めるに当たっての、こうした趣旨の筒井康隆の口上である。

岩波新書「短篇小説講義」は、小説執筆の方法論教授の指導というよりは、短篇小説を読む際に読み手の筒井康隆が、具体的にどんな所に着目しどんな思考で小説作品を読み解き鑑賞して味わっているかを指し示す小説の読み方指南の内容である。よって本書は小説家志望の方でなくても、日常的に小説を読んで楽しんでいる「趣味は読書」の多くの人に有用だ。各講にて過去の短篇小説をひとつ取り上げ随時、本文引用しながら、筒井が作品背景やここでの作者の記述の意図や効果的に使われている描写の技術(テクニック)を丁寧に解説してくれる。

例えば第十講は、スラップスティックのドタバタ・コメディについての「短篇小説講義」である。本講ではローソン「爆弾犬」を取り上げている。本新書に随時引用掲載されるローソン「爆弾犬」の原文を読んでいると、確かに本作はスラップスティック・コメディとして面白く読んで笑える。しかもそこに、「なぜここが面白いのか」効果的に読み手の笑いを誘う小説記述の仕組みの理論や技法を筒井が実に見事に解説してくれる。これはロシア・フォルマリズムで言う「遅延」と「妨害」のテクニックである、ここは「本性暴露」のギャグのひとつである、これは「一時的言語障害」ギャグだ、というように。

私は漫談や漫才や落語の滑稽噺が好きで日常的によく聞いたりするが、普通に聞いても面白いけれど、「なぜここで笑いが起こるのか」とか「漫才や落語の作家がネタを創作する際にどういう笑い誘導のテクニックを使っているか」を考えながら聞くとこれまた一層面白い。漫談や漫才や落語の滑稽噺には基本の型や常套(じょうとう)の技術がある。例えば天丼(テンドン)二段重ねの繰り返しとか、言い間違い・勘違いのエスカレート、発言行動と適切場面のズレ、韻を踏んだリズムネタなどだ。古典芸能の話芸に、そうした定番の手法がある。短篇小説の創作もそれに似ている。

岩波新書の赤、筒井康隆「短篇小説講義」を読んでおくと、後に短篇小説を読む際により掘り下げて深く味読の鑑賞ができる。

それにしても著者の筒井は、本書で参考にして引用する短篇小説をなぜ岩波書店が出した短篇小説集収録のそれのみにこだわるのだろうか。本文にて「この本でテキストとしてとりあげた短篇小説は、すべて岩波文庫の中から選んでいる」旨の文言が繰り返しよく出てくる。これも筒井康隆流の高等なギャグなのか!?当時、すでにそこそこのベテランで大家である筒井康隆が、岩波書店所収以外の他社版権の短篇作品を引用しゲラの前段階で岩波新書編集部から怒られたり灰皿投げつけられたりして、ビクビク岩波書店に気遣って「短篇小説講義」の岩波新書を執筆している情景を思い浮かべながら本書を読むと、これまた面白い(笑)。

「小説とは、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式である。しかし、短篇小説の芸道化がすすみ、魅力ある作品がますます生まれにくくなっている現在、これから小説を書こうとする人に向け、短篇小説とはどのように書かれるべきか、その手法と書き方について、岩波文庫の古典作品から厳選し、噂の『文学部唯野教授』が大上段に語る十講」(表紙カバー裏解説)