アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(274)佐藤金三郎「マルクス遺稿物語」

マルクス「資本論」(1867年)に間する書籍といえば、「資本論」精読とか「資本論」を介したマルクス主義入門的なものが昔から多くあるが、岩波新書の赤、佐藤金三郎「マルクス遺稿物語」(1989年)はそれら書籍とは少し勝手が違っている。本書はマルクス「資本論」の内容に関するものではなくて、「資本論」の遺稿をめぐる書誌的情報の書物である。

1883年3月14日、マルクスは65歳の誕生日を待たずして亡くなった。生前のマルクスの構想によれば「資本論」は全四部の構成であった。しかし、第一部にあたる「資本の生産過程」だけを「資本論」第一巻として1867年に公刊し、残りの構想三部を未完のまま残してマルクスは没した。そうしてマルクスの死後、友人のエンゲルスが、マルクスのあの悪筆はなはだしい、マルクス本人以外の他人には読解困難な遺稿の整理をして「資本論」の第二部以降をまとめ完成させた。マルクスの遺稿を解読して原稿に仕上げ刊行に漕(こ)ぎ着けるエンゲルスの「資本論」完成の仕事は相当な困難と責任を要するものであった。何しろ当のエンゲルスいわく、

「二つぐらいの章を別にすれば、すべてが下書きだ。典拠の引用は未整理で乱雑に山積みされており、あとで取捨選択しようと集めるだけ集めたものだ。おまけに、絶対に僕にしか読めない─それも苦労してやっと読める─あの筆跡だよ」。しかも「理論的な部分の全体をほとんど完全に書き直さねばならな」かったし、「それにたいしては責任がともな」う「たいへんに厄介な仕事だ」

そして逝去したマルクスは「資本論」未完の大量の原稿とともに、その遺稿の相続・管理をめぐるエンゲルスとマルクスの娘たち、さらには「資本論」完成のためにエンゲルスの元に集まったベルンシュタインやカウツキーら友人らによる、錯綜した友情と不信と猜疑と陰謀と愛憎の人的関係のドラマも残した。そうしたマルクス没後の「資本論」遺稿の行方を軸に、残された人々の複雑な人間関係のドラマを描いたのが岩波新書「マルクス遺稿物語」である。

本新書は、正直読んであまり面白い話ではない。どこまでも俗っぽいゴシップ記事のようであり、マルクスの娘たちとエンゲルスとの間でのマルクスの遺稿と蔵書の相続をめぐる確執のやりとりであるとか、エンゲルスはマルクスの無二の親友であり有能な共産主義者であったが、この人もやはり人間であり、特に一人の男なのであって、マルクス家に長く勤めていた家政婦をその後、エンゲルス家に引き取る女性関係だとか、「資本論」完成のためにエンゲルスに協力したカウツキーの、カウツキーと離婚してエンゲルスの秘書となるカウツキーの妻へ宛てたエンゲルスの恋文の話だとか。少なくとも私は真面目に読む気にならないのである。読んでもすぐに内容を忘れてしまう。それら「マルクスの死後、『資本論』遺稿をめぐってエンゲルスらが繰り広げた友情と恋と猜疑の交錯するドラマ」という、本書のウリである「マルクス遺稿物語」が、ただのマルクス関係者の裏話やスキャンダルのゴシップ記事に思えて食手が動かないのだ。そうした特殊個別で俗な話(各人の交際や不和や絶縁や恋愛や結婚や離婚や不倫など)に私は昔から、まったく関心興味を持たない。

マルクスの葬儀にて、エンゲルスは次のように演説した。

「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発見法則を発見しました。それだけではありません。マルクスは、今日の資本主義的生産様式と、それが生みだしたブルジョア社会との特殊な運動法則をも発見しました。…マルクスは、彼が研究したどの個々の分野ででも、数学の分野でも、独自の諸発見をしました。マルクスにとっては、科学は歴史の動力、革命的な力でした。というのは、マルクスは、なによりも革命家だったからです。資本主義社会とそれによってつくり出された国家制度との打倒に、なんらかのかたちで協力すること、近代プロレタリアートの、すなわち彼がはじめて自分自身の地位と自分の欲求とを意識させ、みずからを解放する条件を意識させた、そのプロレタリアートの解放に協力すること─これが彼の生涯の真の使命でした。彼の名は幾世紀にもわたって生きつづけるでありましょう。その事業もまた!」

マルクスが生涯をかけた「資本主義的生産様式とブルジョア社会の運動方式」の発見、ならびに「プロレタリアートの解放に協力すること」の人間社会に対する歴史的使命の事業の普遍的な偉大さに比べて、マルクス没後の彼の遺稿をめぐるエンゲルスを始めとする残された人々の個別的な友情と不和の愛憎ドラマの「物語」の何と矮小でつまらないことよ。あなたもそう思わないか。マルクスが成し遂げた思想仕事の偉大さとマルクス死後に残された人々の間で繰り広げられる愛憎ドラマのつまらなさ、それら両者の落差のコントラストが、ある意味、本新書の全体を貫く直接に本文には書かれざる言外の意の「絶妙な味」と思えなくもないが。

岩波新書の佐藤金三郎「マルクス遺稿物語」は、経済学者である著者の佐藤が本書を雑誌連載中に突如、心筋梗塞で倒れ亡くなり、そのため佐藤金三郎の友人である同じく経済学者の伊東光晴が「まえがき」と「終章」を書き加え、全体の校正もして一冊の新書として刊行している。ちょうど本書の内容そのものである、マルクスが「資本論」を未完のまま没し、後に友人のエンゲルスが生前のマルクスの原稿をまとめ「資本論」を完成させて世に出した形と同様だ。

そうした「資本論」にてのマルクスとエンゲルス、「マルクス遺稿物語」での佐藤金三郎と伊東光晴という、中途で亡くなった故人の意思と仕事を友人が引き継いで遺稿をまとめ一冊の書籍に完成させて世に出すという構造の反復、「マルクス遺稿物語」の中での本の記述内容と現実の「マルクス遺稿物語」という書籍の刊行事情とが同じで、書物の内容が次元をズレて現実の書籍の公刊事情に架橋するメタな構造に奇(く)しくもなっている。その点もまた確かに岩波新書の赤、佐藤金三郎「マルクス遺稿物語」は「絶妙な味」といえる。

「マルクスの死後に遺された『資本論』第二、三巻の膨大な草稿─盟友エンゲルスは、その解読と編さんに全精力を傾け、ついに刊行を実現した。その遺稿をめぐり、マルクスの娘たち、カウツキー、ベルンシュタインらをまきこんで展開された、友情と恋と猜疑の交錯をするドラマ。急逝した著者に代わり、旧友・伊東光晴氏が終章の筆をとる」(表紙カバー裏解説)