アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(449)江川紹子「『カルト』はすぐ隣に」

過去に私自身や私の家族や親族や知り合いで、いわゆる「カルト」の新興宗教や詐欺的グループや過激派政治団体に入信したり加入した人はいない。これは自分にとって誠に幸運なことであって、逆にそういった「カルト」に身近な人が入信・加入した人はとても気の毒に思う。私としては自分が直接に「カルト」に入信・加入することはほとんどありえないから、仮に私の周囲の人(家族や親族ら)が「カルト」に入信・加入したとして、その人に脱退を勧めたり、相手組織との交渉を通して結果として間接的にそうした「カルト」と関わりをもつことは、自分の人生にとって相当な無駄であり、心身の消耗と時間の損失以外の何物でもないと思えるからだ。

試しに、現代日本の「カルト」の典型たる「オウム真理教」による一連の社会事件を振り返ってみると、オウムにより殺害されたり傷害を受けた直接の被害者は、入信した当人であるよりは、彼らを教団から脱退させようとした家族・親族やオウム教団の社会的問題を追及したマスコミ、法曹(弁護士や検事)の関係者の方が圧倒的に多いのである。このことは例えぱ、

坂本弁護士一家殺害事件(1989年11月、信者の親の依頼で教団と交渉していた坂本堤弁護士の家に押し入り、妻と長男を共に殺害した)

松本サリン事件(1994年6月、当時オウム真理教に対する訴訟を担当していた長野地方裁判所松本支部の裁判所宿舎を狙って住宅街にサリンを噴霧。8人が死亡、約600人が重軽傷を負った)

目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件(1995年2月、在家信者の資産家女性が連絡を断ったため、居所を聞き出そうと兄を拉致し、薬物を使って監禁中に死亡させた)

ら実際の事件を参照するとよく分かる。オウムに入信した当人は自身の意思で入って主観的に「幸せ」で良いかもしれないが、それをいさめた信者以外の全くの第三者の方が、オウム教団の加害の標的となって殺害されたり暴力の直接被害を受けたりするのは、非常に馬鹿らしい思いがする。

このことからして、オウム真理教など、いわゆる「カルト」に私は一貫して関わり合いになりたくないのである。残念なことに「カルト」の集団組織は昔から今日に至るまで、いつの時代でも存在する。「カルト」は人間社会から容易になくなることはない。そして確かに「カルト」に入って、結果的にだまされていたり、現に苦しんだりしている当人は気の毒に思うけれど、とにかく私は「カルト」とは一切関わりを持ちたくないので、自分の身の回りの人々が「カルト」に入信・加入したりしないことを切に祈るのみである。家族や親族の脱退の説得や交渉などを通してさえ、「カルト」には一切関わりたくないのだ。

岩波ジュニア新書の江川紹子「『カルト』はすぐ隣に」(2019年)は、「とりあえず如何なる形であれカルトとは一切、関わりを持ちたくない」と常日頃から切に願っている私のような読者には、極めて実用的な書籍である。本書はジュヴナイル(10代の少年少女向けの読み物)の岩波ジュニア新書であるから、岩波ジュニアの読者層として想定されている若い人達がオウム真理教など「カルト」に安易に入信・加入しないよう注意を促したり説き伏せたりする、若者に向けて「カルト」を予防する内容に結果的になっている。本新書のサブタイトルは「オウムに引き寄せられた若者たち」である。本書は、オウム真理教の社会犯罪の実態から教団幹部らの逮捕と裁判を受けて彼らの死刑執行までの帰結、その他、裁判での教団幹部らの発言や獄中からの手紙、かつてオウムに入信していた元信者の手記などで構成される。

岩波ジュニア新書「『カルト』はすぐ隣に」を通して私達は、「カルト」は遠い世界にあり自分とは関係がないと一見思いがちであるが、オウム真理教のような「カルト」がまさに「(あなたの)すぐ隣に」もある注意の意識を持って、学校や地域やネットなどを介して勧誘され結果、安易に入信・加入してしまわないよう学ぶべきであろう。繰り返し何度も言うが、「カルト」と関わりをもつことは自分の人生にとって相当な無駄であり、心身の消耗と時間の損失以外の何物でもないからだ。

本新書の著者は、オウム真理教関連で一時期、メディアに頻繁に露出していた江川紹子である。江川は本書以外にもオウム関連の書籍を多数執筆している。彼女はもともと新宗教や災害や冤罪や若者の問題などを幅広く扱うフリーのジャーナリストであったが、ある時期からオウム真理教の問題を集中して追及するようになり、オウム教団を追跡して教団の実態に詳しかったことから、「オウム・ウオッチャー」として後に広く世に知られたのであった。

その江川紹子が岩波ジュニア新書「『カルト』はすぐ隣に」の中で、「カルト」の定義をしている。本新書にてまず読むべき所、決して読み逃してはいけない所は著者の江川による「カルトとは何か」の定義であろう。その概要は以下である。

「オウム真理教のような団体を、しばしば『カルト』と呼ぶ。『カルト』の語源は儀式、儀礼、崇拝などを意味するラテン語で、そこから派生して宗教に限らず、何らかの強固な信念(教義、思想、価値観)を共有し、それを熱烈に支持し行動する集団を『カルト』と総称する。中でも自分たちの目的のために手段を選ばず、社会のルールや人間関係、人の命や人権などを破壊したり損なうことも厭(いと)わない集団を特に『破壊的カルト』と呼ぶ」

その上で江川紹子は次のように続ける、

「(『カルト』の)問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考えを敵視したりして、人権を害する行為があるかどうかです。一人静かに、時折鰯(いわし)の頭を拝んでいるだけなら、『カルト』とされるいわれはないでしょう。けれども、勉強や仕事をしなくなって四六時中拝み続け、他人の悩みや弱味につけ込んで仲間に引き入れたり、『これを拝まないと地獄に墜(お)ちるぞ』などと脅してお金をとったりすれば、これは『カルト』と批判されても仕方がありません」(「カルトとは何か」192ページ)

岩波ジュニア新書「『カルト』はすぐ隣に」の中での、著者の江川紹子による「カルトに人生を奪われない生き方」という言葉が印象的だ。「カルトに自分の人生を奪われない」ために、自身や周囲の親しい大切な人達が熱狂的で反社会的な「カルト」に安易に入信・加入してしまわないような防御を私達は講じる必要があるだろう。オウムの教団幹部に医師や弁護士や特に理系大学・大学院の出身者が多くいたことから、知識があって勉強ができて学歴がある、世間で俗にいう「頭がよい」ことはカルトにだまされないことの要素にはならない。知識があって勉強ができて学歴がある世間で俗にいう「頭がよい」人でも、オウム教団のカルトに引っかかり時に入信してしまう。

知識の総量や学歴云々以外のところで、本新書にあるオウム真理教の教団幹部らの裁判での発言や獄中よりの手紙、オウムに実際に入信していた元信者の手記から、本文に直接的には書かれざる、しかし一般化して読み取ることが出来る教訓になりうる「オウム真理教のような『カルト』にはまりやすい人の性格資質や精神傾向」について、最後に私なりにまとめておく。これらは、岩波ジュニア新書「『カルト』はすぐ隣に」を読んで私が気付いた、オウム真理教の「カルト」にハマりやすい人達の共通傾向であり、以下のような性格資質や精神傾向を有する人は、特に「カルト」に警戒した方がよい。こういう人は「カルト」に引き込まれる危険性が相当に高い。また、このような性格資質や精神傾向のある人が自分の家族や親族や知り合いにいる場合、その人が「カルト」に引き込まれないよう周囲の者は警戒し、前もって充分に関心を払っておくべきだ。自分の大切な人が「カルトに人生を奪われない」ために。

☆両親や家族との不和、学校や職場での孤立やイジメで「自分の居場所がない」疎外感・孤独感を持っている(そのため「カルト」への勧誘の際には、この疎外感・孤独感の弱味につけ込まれてしまう)。☆自身の容姿や能力や出自や社会的地位に不満や劣等感(コンプレックス)が強烈にある。もっとも多くの人が、この手の不満・劣等感は少なからず持ち合わせているものだが、「カルト」にハマりやすい人は、それら負の感情を自分の中で納得して合理化の処理ができていない。結果、無気力、投げやり、他者と社会に対する否定憎悪の攻撃に安易に走る衝動傾向がある。

☆断食不眠や回峰など、極端苛烈な苦行へのあこがれがあり、苦行の達成を通して自分自身が向上すると素朴に信じている(ないしは信じたがる)。自己への厳しい修行が自分に何らかの見返りをもたらすと信じる応報主義(「これほどの厳しい修行をしたのだから、その修行の見返りとして自己の魂が必ず向上する」などの根拠のない激しい思い込み)にとらわれている。☆真理を享受して自分のものにしたり、絶対的正義を求める求道心が強すぎる。ゆえに真面目、努力家、完璧主義者である。何事にも集中しすぎて視野狭窄(しやきょうさく)でハマりやすい性格資質であり、良い意味での融通の効く「いい加減さ」がない。

☆虚(むな)しさを感じないで済むような完全で万能な、人間にとっての「絶対的真理」や「生きる意味」や「完全幸福」を安易に欲したがる。☆「死後の世界」や「人間の前世の因縁」や「将来的な人類の滅亡」など、万人が知り得ない平等に不可知な事柄に対し、なぜか明確に断定して、やたらと語りたがる。もしくは皆が分からない不可知なことを自信を持って、あたかも自分だけが「真理」を手にしているかのように特権的に語る人物(教祖や指導者ら)に容易にあこがれてしまう。ある種の不可知(人間には誰もが知り得ないことがあること)に耐えられない。

☆現代社会に対する批判意識が強く、ある程度の知識があり、その批判的言説は一見、正しく思えるが、あまりにも過剰過ぎる批判意識から、不特定の他者や社会全体を傷つけたり現国家を転覆させても「やむを得ないし、場合によっては構わないし許される」といった反社会的で破壊的な行動を最終的に肯定する極端な思考を持つ。正当な目的の達成のためには、非人道的な非道な手段をあえて取ることも時に許されるとする「目的のためには手段を選ばず」の精神傾向がある。